第八場 決戦、アラハバキ!

 鬼界が消え去ったのち、自分達が立っている場所にミコトは見覚えがあった。

 茜燃ゆる国の郊外、墓からよみがえった鬼と戦った墓地だ。

 時刻は夕暮れ時で、西日が周囲を橙色(だいいろ)に染めていた。

 しかし、墓塚は見当たらず、ただなにもない平野が広がるのみだった。

 鬼界から出たのと同時に、ミコトの衣服もきわどい踊り子のようなものから、いつもの歩き巫女の巫女装束に戻っていた。


「ルサちゃん、ほんとにありがとう。でも、どうしてここに?」

「はい。ミコト姐様からいただいた、この品が教えてくれたのです」


 ミコトの問いにルサは微笑をもって応え、白衣の袷から東風玉を取り出した。


「姐様。ありがとうございました。いまこそ、こちらをお返しします」


 二年の間に、ルサの美少女ぶりはおとろえるどころか、ますます凄みを増していた。

 化粧っ気はまったくないが、ルサの容姿を見れば華美に装った街娘でも裸足で逃げだしたくなるだろう。


「そうだったんだぁ。でもすごいね。あの鬼界を簡単に破っちゃうなんて」


 ミコトが素直に感心すると、ルサはやや自嘲気味に苦笑した。


「さっきは鬼のてまえ見栄を張りましたが、ルサが鬼界に侵入できたのは、修行の成果ではないんです。以前、ミコト姐様に助けていただいた時、ルサの心と身体は鬼に乗っ取られました。たぶん、そのせいです。皮肉な話ですけど」


 鬼界に足を踏み入れた時、ルサは懐かしいような奇妙な感覚をおぼえたという。

 ミコトですら倒れ伏したカタカムナの術式も、自分の中に耐性があるような感じがした。


「それでもすごいよぉ。霊力もぐんとたくましくなってる感じがするし。ねえねえ、ルサちゃん、いままでどこでどんな修行を―――」


 と、ミコトはそこで不意に言葉を途切れさせた。

 ルサもなにかに気づいたように、固い表情になる。


「ミコト姐様と再会したら、たくさんお話をしたかったのですが、ひとまず後回しにせざるをえないみたいです」


 二人はそろって、広野の奥を見つめていた。

 と、夕陽に照らされ、青黒い巨体が立ち現れた。


「我が眷属一の鬼術師カタカムナでも、どうやら貴様の心を闇に浸すことはかなわなかったようだな」


 長い瞑目から目を覚ましたように、物憂げにアラハバキはつぶやいた。

 その背後にはラクサ神殿を襲った時のように、鬼の軍勢が控えていた。


「なぜだ。なぜお前は我を憎まない。故郷も家族も奪った我らを」


 ミコトは実にあっけらかんと答える。


「恨んでもしょうがないよぉ。あなたは鬼だからそうした。それだけでしょ」

「そうか……」


 アラハバキもそれ以上問おうとはしない。

 鬼界から出でた、そのことが天城ミコトという人間の本質を全て物語っていた。


「だが、ヒトと鬼は決して相容れることはない」

「うん、残念だけどね」


 ミコトの胸にちくりと痛みが走った。

 それを寂しさと呼んでもいいだろう。


「ならば道は一つ。我が眷属の存亡と誇りをかけ、いざ、尋常に勝負だ。ヒトの巫女よ」

「うん。天城ミコト、受けて立つ!」


 互いの視線には恨みも憎しみもなかった。

 それでも後には引かないという決意の色がにじんでいた。 

 アラハバキの両腕の爪が、大剣の如き、鋼の刃と化す。


「他の鬼はルサが引き受けます。どうかご存分に戦ってください」


 ルサがミコトにそっと告げた。


「うん、ありがとう。ルサちゃん」


 ミコトは迷うことなく、その背をルサに預けた。


「サチ、いける?」

「ミコ、だれにくちきいてる」


 サチミタマは不敵に応え、そして直刀へと姿を変えた。

 それ以上の言葉は不要だった。

 ミコトとアラハバキ、ルサと鬼の軍勢、その場にいる全てが同時に動いた。

 サチミタマの剣とアラハバキの爪が刃を重ね、激しく火花を散らす。


 互いの裂帛の声が混じり合う。

 二刀流の如く、アラハバキは左右の爪を自在に振るう。ミコトは、それを紙一重でかわし、時には真っ向からサチミタマの剣で受けとめる。

 互いの妖気と霊気がぶつかりあい、相手を呑みこもうと喰い合い、渦巻き、灼熱の力場を作る。

 アラハバキは、間違いなくミコトが戦った中で一番の難敵だった。

 雷を自在に操る鬼術も厄介だが、動きもミコトに劣らず素早く、体術も一流のものだった。そして鬼らしく、少々の傷ではびくともしなかった。


 しかし、激闘の中、ミコトは感覚が研ぎ澄まされてゆくのを感じた。

 戦いが激しさを増す一方で、己の心はどこまでも静かに澄んでゆく。


 ちらりとその姿を目にしたルサは、思わず自分の戦いの手を止めて見惚れてしまいそうになった。

 以前にも、ミコトの戦いぶりをまるで舞踏のようだ、と感じていた。

 だが、その時よりもなお美しく洗練され、激闘のさなかなのに、ミコトの動きだけひどくゆったりとして見えた。


 ―――せっかくミコト姐様に追いついたと思ったのに、姐様はさらにその先に行かれてしまうのですね。


 悔しさ半分、賛嘆半分にルサは思う。


 そしてとうとう、地に倒れ伏したのは青黒い巨体のほうだった。

 それとほぼ同時に、ルサもアラハバキの率いた鬼の軍勢を掃討しおえた。


「……不思議なものだな」


 最期の時でありながら、アラハバキの声は静かなものだった。


「この地でお前と相まみえた時、闇の王として迎えるのではなく、戦うとすれば、簡単にひねり潰せると感じた。だが、実際に地にひれ伏しているのは我の方だ」

「……うん。たぶん、カタカムナに舞の稽古をつけてもらう前だったら、あなたには勝てなかったと思う」


 ミコトの言葉に、アラハバキは血だまりを吐きながらも、哄笑を上げた。


「ふはははは、なんと皮肉な話か。我らは、自らの手で最強の好敵手をつくりあげてしまったということか」

「それだけじゃないよ。あなたがいなかったら、わたしはここまで強くなれなかった。ここまで辿り着けなかった。だからあなたに会えたのは悪いことじゃなかったんだと思う。たぶんね」


 そう語りかけている間にも、アラハバキの体からは妖力が抜けおち、その体がぼろぼろと崩れ去ってゆく。


「……我はお前を王と迎え、共に滅びの道を歩むことを夢見た。だが、こうして死力を出し尽くして相対するのも、そう悪くはないと思える」


 もはや、アラハバキの瞳は光を失い、ミコトの姿をとらえていなかった。

 その声音も呼びかけるというよりも、自らの胸の内を確かめる述懐のようだった。


「この胸にうずく渇きは世界を滅ぼし尽くすまで決して癒えはしないと思っていた。

 だが、いまは奇妙に晴れやかな気分だ。

 お前と戦えたことを誇りに思おう。ヒトの巫女、天城ミコトよ」

「わたしもだよ。鬼の王、アラハバキ」


 決して親しみをこめたやりとりではない。

 互いの立場がまじりあうことも理解しあうこともないだろう。

 しかし、ミコトとアラハバキの間には、全てを出し尽くして命のやりとりをしたものだけが作りえる、絆が感じられた。

 ルサもまた、ミコトと並び立ち、死にゆく鬼王の姿を見下ろす。

 そして、黙祷を捧げるようにそっと目を伏せた。

 風にさらわれるようにして、誇り高き鬼の王の身体は消え去っていった。

 その瞬間―――、先ほどまでアラハバキが横たわっていた場所に黒い御影石が生まれ、墓標を形作った。

 そして、その上に座るのは一人の少女。


「ふうん、鬼たちの誘いを断ったんだ、残念」


 誰も、その気配に気付けなかった。

 ミコトもルサも、身動き一つできずにいた。


「なら次はわたしがあなたに会う番だと思う。この国で一番高い山の上で待ってる。それじゃ」

「ま、待って、あなたは一体……」


 ミコトは少女を制止しようと手を伸ばす。

 だが、その頭がぐらりと揺れた。


「あ……あれ……?」


 足に力が入らない。

 自分でも気づかないうちに、ミコトは地面に倒れていた。

 意識が急速に暗い淵へと堕ちていく。


 ―――ミコト姐様、ミコト姐様!


 自分の名を呼ぶ、笛の音のようにきれいな声を聞きながら―――ミコトは気を失っていた。

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