第六場 闇の舞稽古

 

「あー、楽しかったぁ」


 宿に戻るなり、ミコトは思いっきり寝台にダイブした。

 鬼面の宿の男が恭しく一礼して、その上に薄い布団を敷く。


「どうやら宵鬼祭りは楽しまれたご様子ですね」

「うん、こんな楽しいなら毎日でもいいよぉ」

「それはなにより。ここには昨日も明日も存在しません。あなた様が望む限り、いつまでも祭りは続くことでしょう」

「ほんとう!?」


 ミコトは半身を起こして、目を輝かせる。

 その表情は、眠りの森の神殿を出たその時よりも退行してしまったように、幼げで、赤子のようなようすだった。

 鬼面の男は深々とうなずいた。


「本当ですとも。その代わり、祭りが始まるまでの間は、ミコト様には舞の稽古を積んでいただきます」

「けーこ?」

「さようです。お目覚めになりましたら、舞の師のところへお連れしましょう」


 ぐにゃぐにゃと溶けかけていたミコトの思考が、ほんの少し覚める。

 思い出されるのは、先ほどのやぐらの上でのできごとだ。

 あの時の自分の舞は、お世辞にも上出来とは言いがたかった。


 周囲の熱狂や荒れ狂う音曲、般若面の男達に呑まれまいと必死に手足を動かすのがやっとであった。

 もし、もう一度同じ機会があるのであれば、もっと上手く踊れるようになりたい。


「いいよ、わたしの方からお願いしたいことだよー」


 それ以上あまり深く考えることなく、ミコトはうなずく。

 ミコトの頭は、自身のいる状況を異常なものと思わなくなっていた。

 鬼面の男はもう一度恭しく腰を折ると、扉を閉めた。


 次にミコトが目を覚ますと、外は再び薄闇迫る夕暮れ時だった。

 そんなに寝ていただろうか、とミコトは首をかしげる。

 そんな気もするし、そうでないような気もする。

 頭はいよいよかすみがかり、深くものを考えられなかった。

 何もかもが昨夜の記憶と同じだった。


 ミコトはやはり、踊り子のような羽衣をまとっていた。

 昨日さんざん大汗をかいて踊り明かし人ごみにもみくちゃにされたはずなのに、洗いたて同様の状態で汚れもしみ一つもなかった。

 階下に降りると、これも昨日と同じように鬼面を着けた宿の主が恭しく腰を曲げる。


「おはようございます、闇神楽の巫女様」

「うん、おはよ~」


 ミコトはどこか寝ぼけた声で返す。

 昨日幾十度も呼ばれたせいか、自分が「闇神楽の巫女」と言われるのに違和感はなくなっていた。

 と、宿の主はミコトの視線をうながすように、宿の入口の方に首を向ける。

 そちらを見やると、誰かが彫像のように気配を感じさせない素振りで佇んでいた。


 頭まですっぽりと覆う黒衣に猿面を着けている。

 昨夜、やぐらの中でミコトに黒い扇を手渡した者だ。

 異形の鬼面の者達のなかでも、とりわけ妖しげな風貌であった。


「お休みになる前にご説明さしあげた、舞の御師様です」


 宿の主がそう紹介する。


「お師匠様?」

「カタカムナ」


 ミコトが首を傾げると、猿面の者はたった一語、返す。それがこの者の名であろうか。

 低くくぐもった声は男のもののようだが、どこか作り物めいた、とらえどころのない声音であった。


「ついてこい」


 カタカムナはミコトの挙動をかえりみることもなく、きびすを返すと、宿の扉を押しあけた。

 ミコトはとまどい、宿の主を物問いたげに見る。


「いってらっしゃいませ。ご健闘をお祈りいたします」

「……うん。天城ミコト、いってきます」


 腰を折る男にうなずき、カタカムナを追ってミコトも宿を出た。

 通りの様子も昨夜とほとんど変わりなかった。

 広い通りには鬼面の者達があふれ、熱気の渦をつくっている。

 西に傾いた日差しが長い影をつくる。

 違うことといえば、ミコトを迎える御輿がないことくらいだった。


 カタカムナの、地面に横たわる影がそのまま直立したような姿は、すでに群衆の奥に遠ざかっていた。

 ミコトは慌ててその後を追う。

 その足取りはゆったりしてみえるのに、気を抜くと黒い影は遠ざかりそうになり、ミコトは追いつくのに必死で、ほとんど駆け足になる。

 川魚が難なく奔流に逆らって泳ぐように、カタカムナは人混みの間をすり抜けていく。

 相変わらず、ミコトが付いてきているかどうかは、まったく気にもとめていない様子だった。


 やがてカタカムナは、建物の隙間にかろうじて見てとれるほどの、地下へと続く手狭な階段を下りていった。

 ミコトがその後につづくと、階下には武道の道場のような空間が広がっていた。

 どうやら、ここが舞の稽古場のようだ。


 地下のこととて、稽古場はうす暗い。

 採光用の隙間がわずかにあったが、もう暮れかけた西日はあまりにか細く、伸ばした自分の手もかろうじてその影がとらえられるくらいだ。


「これでちょうどよい」


 ミコトの内心を察したようにカタカムナは言う。

 黒衣は闇と同化し、猿面ばかりが宙に浮かんで見えた。


「光は心を惑わせる。舞の稽古には不要だ」


 カタカムナはミコトに昨夜と同じ漆黒の扇を手渡した。

 ミコトはその闇に呑まれまいとするように、しっかりと扇を握りしめた。


大蛇おろちの型を舞え」


 前置きもなにもなしに、カタカムナはそう命じた。

 それと同時に、笛太鼓の音が鳴り響く。


 どうやら、暗闇の向こうに奏者が潜んでいたらしい。

 そうとは知らなかったミコトは、突然の音色に驚く。

 と、左肩に激痛が走った。


「ぎゃっ」


 ミコトは思わず短い悲鳴を上げていた。

 あやうく扇を取り落とすところだった。

 前方を見やると、黒衣の下に仕込んででもいたのか、カタカムナが杖を手にしているのが、暗闇の中、かろうじて見てとれた。

 激痛は、カタカムナがその杖を振り落としたゆえのようだ。


「どうした。はやく舞え」


 なにごともなかったかのようにカタカムナは言い、再び笛太鼓の音がする。

 今度はミコトもためらわなかった。

 旅の間、蛇の姿くらい幾十度も見た。身の丈ほどもある大蛇に遭遇したこともある。


 その姿を思い描きながら、ミコトは音曲に合わせて身をくねらせる。

 が、いくらもしないうちに、再びミコトの肩に杖が打ちこまれた。


「やめよ」


 痛みに涙目になりながら、ミコトは師であるカタカムナを上目遣いで見やる。


「それが大蛇か。天日に干からびかけたミミズに見えるわ」

「うぅ……」


 師の辛辣な批評に、ミコトは思わず下唇を噛む。


「蛇は不要とあらば幾日でも微動だにせず制止する。その眼光は、針の如く獲物を射すくめる。とびかかる時は、弓弦より放たれた矢よりもなお速い。蛇は水流を制する。長じて天命の枠を超えでれば、龍にも化ける」


 謳うように朗々とカタカムナは語る。

 ミコトの脳裏にも、ありありと大蛇の姿が思い浮かぶようだった。


「もう一度だ」


 カタカムナの言葉を念頭に置き、ミコトは再び舞う。

 今度は先程よりもはるかに身体の動かし方が分かる気がした。

 手足を持たず、季節が巡るごとに脱皮を繰り返す神秘的な生物と、舞の中で一体になれたような心地がした。

 だが、先程の倍以上の長さとはいえ、曲の途中で三度目の杖が振り下ろされた。


「小手先の動きでごまかすな。常に全身に神経を張り巡らせよ」


 カタカムナの指摘にミコトは痛みも一瞬忘れ、はっとする。

 言われた通り、舞の中で指先の動きにばかり気をとられ、足さばきや腰の動きがおろそかになった瞬間だった。


「……もう一度、お願いします」


 ミコトは内心自分を叱咤しつつ、師に懇願した。

 闇の中で、猿面がかすかに縦に揺れた。

 稽古の間は、カタカムナも能弁だった。

 自身舞の手本を示すことはなかったが、微に入り細を穿ち、ミコトの舞を指導する。


「次は土蜘蛛の型を舞え」


 どれほど大蛇の型を繰り返したあとだったろうか。

 ミコトの舞を良いとも悪いとも言わず、カタカムナは次の指導を下した。

 手足なき生き物から一転、八本の脚を持つ虫を舞で表現しなければならなかった。

 この時もまた、ミコトが自身蜘蛛と舞の中で一体になれたと完全に思えるまで、容赦なくカタカムナの稽古は続いた。

 手といわず肩といわず、ミコトの全身を指導の杖が打つ。

 カタカムナはついで、百足の型、蝦蟇(がま)の型、毛(け)蟲(むし)の型、と次々指示を下す。

 その多くが毒を持つ、不気味な生物ばかりであった。


「はぁ、はぁ、はぁ……」


 とうとうミコトの息は上がり、扇を取り落とした。ミコトの意思はまだまだ踊りつづけようとしていたが、身体が言うことを聞かなかった。


「小休止とする」


 そのミコトのようすをとがめるでもねぎらうでもなく、カタカムナは短くそう宣言した。


「蛇、蜘蛛、百足、蛙、毛蟲―――戦えばいずれが生き残ると思うか?」


 全身の痛みをこらえて扇を拾おうとするミコトに、カタカムナはそう問いかけた。

 この舞の師が問いを発するのはこれがはじめてであった。


「……少なくともケムシじゃないと思う」


 問いの意図が分からず困惑しながら、ミコトはそう答えた。

 カタカムナも別段ミコトの答えを知りたい様子ではないようだった。

 再び言葉を続ける。


「これら毒虫を一つの壺に封じ、互いに喰い合わせる。やがて生き残った一匹は、類まれなる妖力をまとった魑魅(ちみ)となる。これを蠱毒(こどく)の術という」

「うげげげ」


 あまりの薄気味悪さに、ミコトは師の前であることも忘れ声を上げた。

 が、叱責の杖はとばなかった。

 稽古の時以外は杖を用いない主義なのかもしれない。


「お前は舞によってその魑魅となれ」

「……それが闇神楽の巫女ってやつなの?」

「思いあがるな」


 ミコトの問いに、杖こそふりおろさなかったものの、あるいはそれ以上に鋭い声音でカタカムナは否定の意を示す。


「蠱毒の舞は序の序に過ぎぬ。闇神楽の舞は、天に浮かぶ日輪すら岩戸の内に閉じ込めるほど、深く、果てなき夜闇の舞。お前はそのいただきのふもとにすら届いておらぬ」

「まだまだ稽古を積まなきゃだめってことかぁ」


 目指す先の果てしなさを思い、ミコトは嘆息した。

 なんとなく、それはいままで積みあげてきた修行と真逆の道のように感じたが、ミコトにはその「いままで」という過去が思い出せなかった。

 それに、カタカムナの指導によって、短時間のうちに驚くほど舞が上達したのも事実だった。


 と、笛太鼓の音がミコトの耳に届く。

 稽古再開か、とミコトは扇を身構えたがそうではなかった。

 囃子の音は、建物の外から聞こえてきた。


「どうやら迎えが来たようだな。ゆくがよい」


 カタカムナはぽつりと言う。

 その師に向けて、ミコトは深く頭を下げた。


「あ、はい。ありがとうございました」


 地上へ出ると、辺りはすっかり宵闇に包まれ、それに負けじとかがり火があちこちに焚かれていた。

 そして、ミコトを出迎えたのは昨夜も載った壮麗な御輿だった。


「お迎えにあがりました、闇神楽の巫女様」

「うん、ありがとぉー」


 今度はミコトも騒ぐことなく、自ら御輿に乗り込む。

 鬼面の男達の担ぐ御輿は、猛スピードでまっすぐに舞庭に向かった。

 そこから先は昨夜とまったく同じであった。


 やぐらに降りたったミコトは、般若面達の剣舞に続いて、自らの舞を集う者達に披露した。

 カタカムナの稽古ですでに全身くたくたに疲れていたが、昨夜よりもずっと巧く踊れた自信があった。

 その後は差しだされる食い物や般若湯を膨れるほど飲み食いし、宿に戻るなり泥のように眠ったのも昨夜とまったく同じであった。

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