第五場 狂鬼乱舞
気づくと、ミコトを載せた御輿は大きな広場に辿り着いていた。
そこにもかがり火が盛大に燃やされ、鬼面の男達がひしめきあっている。
広場の中央には、おそらく祭りのための特設なのだろう。
新築の清々しさを感じさせる、檜造りの舞台やぐらが建てられていた。
やぐらにぴったりと寄せて、御輿は停まった。
舞台の高さに合わせて、ななめに傾く。
降りろ、ということなのだろうと解釈して、ミコトは御輿からぴょんとやぐらにとび移った。
その瞬間に、大きな歓声が沸きおこる。
わけが分からないながらも、皆が自分の到着を待ち望んでいたのを感じて、ミコトはくすぐったいような快感を覚えた。
と、やぐらにはミコトを待ちかまえるように一人の男―――あるいは女、が立っていた。
頭から全身をゆったりと覆う黒衣に、鬼、というよりも猿を思わせる木面をぽつんと闇に浮かぶように着けていた。
鬼面はどれも不気味だったが、その中でもとりわけ異様な風貌だった。
猿面の者は無言でやぐらの奥を指さし、歩きだした。
舞台の後ろには幕が垂れさがっていて、その裏だ。
ミコトもその後に続く。
表の広場の明かりも舞台裏までは届かず、そこにいると喧騒も遠のいて感じられる。
「ここで待ってろってこと?」
ミコトが問うと、猿面がかすかに縦に揺れた。
そして、黒衣の中からにゅっと枯れ枝のような腕がのびる。
思わずミコトは身構えたが、害意はないようだった。
ただ、漆黒に塗られた扇を差しだしただけであった。
「え、えっと、ありがとう」
なんとなく、自分がそれを受け取るまで猿面の男が微動だにしないような気配を感じる。
ミコトは困惑しながらも扇を手にした。
その時、表の舞庭から一際大きな歓声が上がった。
なにごとか、とミコトも舞台袖から表舞台をのぞく。
と、一際壮麗な般若面を着け、漆黒の羽織袴を身に着けた四人の男が、やぐらの上に立っていた。
彼らは皆、細く怜悧な刀剣を手にしている。
腰を落とし、舞台をしかと踏みしめるその様からは、仮面の上からでも得も言われぬ緊迫感が漂っていた。
太鼓が激しく打ち鳴らされる。
それに合わせ、般若面達は一斉に剣を振りかざし、舞う。
「……すごい」
それはミコトが思わず息を呑んで魅入るほど、見事な剣舞だった。
四人の舞いは一寸の乱れもなかった。
深く腰をおろしたかと思うと跳躍し、激しく床を踏みならし、剣閃をひらめかせる。
突きの姿勢で静止したかと思うと、大きく腰をひねり、回転するように夜闇を蹴り上げる。
派手派手しく勇壮な舞いながら、見えざる幽鬼と真剣勝負をしているような気迫も伝わってくる。
ミコトの背筋がぞくりと震える。
それが舞の素晴らしさへの感動ゆえか、剣技の言いしれぬ迫力への恐怖ゆえか自分でも分からなかった。
ただ、まばたきする間も惜しみ、剣舞を見つめ、息をするのも忘れ、立ちつくしていた。
が、いよいよ剣舞も最高潮、と思われた瞬間、彼らは一斉に剣を鞘に収めた。
そして、舞台の上にぴたりと正座する。
―――えっ? これで終わりなの?
クライマックスの瞬間に焦らされて、ミコトは大いに拍子抜けした。
けれど、そうではないとすぐに分かる。
彼らは剣の柄に手をかけ、正座の向きを変え、そろって舞台袖(・・・)に頭を垂れたのだ。
四対の虚ろな仮面の空洞が、そろってミコトを見つめる。
その挙動は言葉よりもはるかに雄弁にミコトに語りかけていた。
―――おいでください、と。
「え、えっ、えっと……」
思わずミコトはあとずさる。
が、もしここで背を向ければ、手にした刀を抜き放ち、一刀の元に斬り伏せられる、般若面達にはそんな迫力があった。
逃げ道はなかった。
ミコトは手にした扇の要(かなめ)をぎゅっと握りつつ、表舞台に立つ。
熱風が吹きすさぶような人いきれが舞庭から吹きつけられ、歓声がうなる。
たじろぎそうになるのをかろうじてこらえ、ミコトは正面に立った。
背後では、主を迎える従者のように―――あるいは虜囚を監視する獄卒のように―――般若面達が微動だにせずかしずいていた。
なにがどうして、自分がこうして舞台の上に立っているのかまったく分からない。
頭は混乱のきわみだった。
背後の般若面も、足元でうごめく鬼面達も怖ろしい。
熱狂の渦に呑まれ、喰い殺されそうに感じた。
けれど、自分の中にこの熱狂にも負けない、煮えたぎるような衝動が湧き起こってくるのも感じていた。
衝動は般若面達の剣舞に焚きつけられ、もう抑えがきかなかった。
心の底から叫びたかった。
―――わたしも踊りたいよぉー!!
ミコトの胸中を知るかのように、太鼓が再び打ち鳴らされ、笛や弦の音もそれに加わった。
そこから先は無我夢中だった。
巫女の教養として、ミコトも舞を習ってはいた。
もう一人の歩き巫女桜崎ルサの内から憎悪の念を取り除き、鬼を追い払ったのも舞によってだ。
けれど、ラクサ神殿の舞曲は素朴で大らかで、拍子もゆったりしたものだった。
それに対して、舞庭で打ち鳴らされているのはずっと攻撃的で、暴風雨が吹き荒れるように激しい囃子であった。
笛太鼓の音によって呼びさまされたように、ミコトの手の内で扇が暴れ回る。
振り回されないようにするのが、ミコトの精いっぱいだった。
加えて、般若面の男達がミコトをあおるように、かりたてるように、周囲で激しく踊る。
まるで大海に浮かぶ小舟に、四方八方から高波が襲いかかるかのようであった。
「ま、負けるかあッ!」
それでもミコトは懸命に舞う。
囃子の荒々しい流れに乗り、猛る馬を乗りこなすように扇をふるい、般若面達に呑まれまいと舞い踊った。
滝のような汗が飛び散り、心臓の鼓動が激しく胸を打つ。
髪が汗で額にへばりつくのにも、構っていられない。
ただもう、舞い踊ることだけに神経の全てを注ぎこんだ。
笛太鼓の音を肌に受けとめ、短い髪をふりかざし、これ以上速く動けないと主張する手足を叱りつけ、鞭打つ。
もはやミコトに、自分のきわどい格好を気にするような余裕は一切なかった。
舞庭の熱気はいまや焼け焦げるほどに高まり、世界を呑みこんでしまうほどの渦を巻く。
その熱風の中心が自分であることを、ミコトは肌で感じていた。
「あはははは、あははははは」
ちぎれそうなほど激しく舞いながら、ミコトはこらえきれず笑声を上げた。
視界がぐるりと回る。何がおかしいのかも分からず、けれど笑い声は止まらない。
どこまでも堕ちてゆけそうなほど深い夜空が頭上に広がる。
足を滑らせ、やぐらの上で大の字になりながらも、なおミコトは笑い転げていた。
やぐらの舞という祭りのメインイベントが終わると、その後は飲めや騒げやの無礼講だった。
ミコトもやぐらから降り、鬼面の鬼たちの間で一緒にはしゃぎまわった。
全力で踊った後だったから、喉がからからに渇き、空腹に倒れそうだった。
「闇神楽の巫女様、最上等の般若湯にございます。どうぞおおさめ下さりませ」
鬼面の男がかしずき、片手サイズの升を差しだした。
升には透明な液体がなみなみと注がれていた。
野の花が灼けるような、独特の甘い香りが鼻孔をくすぐる。
その匂いに釣りこまれ、ミコトは般若湯という聞き慣れないその飲料を、一息に飲み干した。
「んん~、おいしい~」
その味わいは格別だった。
舌の上から、全身が痺れるような快感が伝わってゆく。
それは、どこか背徳的な悦びだった。
かすかに残っていた、なにかを忘れているような胸のとっかかりも溶け、消えてしまう。
ミコトが升から口をはなしてほっと息をつくと、周囲で笑いがわく。
「なんのなんの、そのような般若湯など亜流に過ぎぬ。我が蔵のものを味わえば、二度と口にする気にはなりますまい」
「なにを言うか。我が蔵秘伝の般若湯こそ、香り、味わいともに一級品。闇神楽の巫女様、是非お試しあれ」
「いやいや、すきっ腹に般若湯ばかりでは目が回るではないか。焼き鳥、焼き魚、米菓に蜜菓子、我が屋台には何でもござるぞ」
人だかりには難儀したが、祭りの主役であるミコトを誰もが歓迎した。
薄布をまとっただけの気恥ずかしさも、鬼面を不気味に感じる心もとうにミコトの内から消え去っていた。
差しだされる食べ物、飲み物を笑顔でむさぼり、音曲に合わせて黒い扇をひらひら舞わせ、唄声をあげる。
もうなにも考える気が起きなかった。
ただこの愉快な気持ちに全てを委ねたかった。
熱狂の渦に巻き込まれ、ミコトはけたけたと笑う。
ぐにゃりと歪んだ視界に鬼面が浮かびあがるのが、無性におかしかった。
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