第三場 まほろばの都と墓地

 巨人の国に迷い込んだように山河の壮大なこの国で見ると、夕陽さえもが大きく、この身にのしかかってくるように見えた。

 ミコトは日が沈む前になんとか街に辿り着いていた。

 茜燃ゆる国一の大都市、まほろばの都である。しかし―――、


「んー、想像してなかったわけじゃないけど、やっぱりこうして見ると辛いなぁ」


 崩れた城壁をくぐり街の中に入ると、ミコトは思わず立ちつくしてしまう。

 そこは無人の廃墟だった。石造りの家屋のほとんどは、大規模な火災を物語るように黒く焼け焦げていた。

 かろうじて火の手の外にあった建物も、土砂崩れに巻き込まれたみたいに、ことごとく倒壊していた。  

 そこには自然災害とは違う、意図的な破壊の跡が感じられる。


 鬼に襲われたことは明白だった。

 広大な自然に囲まれていると人間も気が大きくなるのか、まぼろばの都はミコトが訪れたどの国の街よりも立派な造りの大都市だった。通りは広々としていて、家屋はどれも他の国なら御屋敷と呼ばれるくらい大きい。


 それゆえに、その荒廃ぶりはいっそう虚ろな印象を与えた。

 荒涼とした風が廃墟に吹きわたる。西日が瓦礫を赤く染め、長い影を作った。

 鬼に襲われ廃墟と化した街など、これまで嫌というほど見てきた。街道が長い間放置され、荒れ放題だったことからも予想できたことではあった。


 けれどミコトは、その光景に己の無力さをかみしめずにはいられなかった。

 この通りを埋めつくすほどいたであろう人の姿を想像し、その末路を思うと胸が痛んだ。


 鬼を憎いと思ったことはかつて一度もない。けれども、この世界の理不尽さと、自分の弱さを思わずにはいられなかった。

 歩き巫女は人々の希望だ、と言われてきた。けれど、この手で救えるひとの数なんて、あまりにもたかがしれていた。


「ミコ、かんがえるだけむだ」


 サチミタマの言葉に、ミコトはいつもの快活な表情をいくぶんか取り戻し、うなずいた。


「そだね。考えてもしょうがないか」

「ん。ミコはどうせバカなんだからむだ」

「うるさいなぁ。ばかばか言いすぎだよぉ」


 大通りをざっと眺めやり、ミコトはねぐらになりそうな建物を探す。


「もうすぐ大禍時だし、一応結界張っといたほうがいいよねえ」


 鬼が街を襲ったのが正確にいつかは分からないが、廃墟にはその時の瘴気が残っている気がした。鬼が徒党を組んで住みついていたとしてもおかしくない。

 廃屋のおかげで雨風をしのげるのはありがたいが、決して安全な場所とは言えなかった。


 ミコトは暮れなずむ廃墟の中を歩く。無論のこと、人影はおろか動くものの気配もない。崩れ落ちるのをかろうじてまぬがれた建物も損傷が激しく、それがもとはなんの家屋だったのかも分からない。


「ミコ、ねぐらにするとこなんてどこでもいい」

「……うん、分かってる」


 サチミタマに対する返事はどこかうつろだった。


「ミコ?」


 けげんに思い、サチミタマはミコトの前にまわり、その顔をのぞきこむ。

 ミコトは自身どう説明していいか分からないという目で、とまどいの表情を浮かべていた。


「ねえ、サチ。なんか呼ばれてるような気がしない?」


 ミコトの言葉に、サチミタマは眉を寄せる。


「しない。こえもなにもきこえない」

「うん……。そのはずなんだけどさ」


 言葉を交わしながらも、ミコトは歩みを止めなかった。

 大きな都にはよくあることだが、大通りを少しはずれると複雑な小路が縦横に入り組んでいた。


 それも半ばはがれきに埋もれていて、道はとぎれとぎれだった。

 ミコトは自分でもどこをどう歩いているのか分からなくなってきたが、それでも足は止まらない。

 だんだんと二人は、都市の中央から離れ、建物の数はまばらになってゆく。

 そしてとうとう、ミコトは街の外れにまで出てしまった。


「―――ッ!」


 そこに広がる光景に声も上げられず、ただ息を呑んだ。

 表情にとぼしいサチミタマですら、目を見開き、凝視する。


「これってお墓だよね……?」


 ミコトの目の前に広がるのは、おびただしい数の塚であった。

 街の郊外に墓があることはさほど珍しくない。鬼の横行するこの時勢に、生き残った者が供養しようとしても、なにも不思議はない。


 だが、その数が尋常ではなかった。見渡す限り、びっしりと塚は広がり、果てが見えない。 国中の者全員を埋めたとしても、あまりあるように思えた。

 簡単な盛り土をしているだけで墓標もないが、もし全ての塚の下に遺骸が埋められているとすれば、とてつもない労力であろう。

 何人がかりで為したのか分からないが、慈悲の精神だけで為せる業とは思えない。作ったものの妄執すら感じさせる光景だった。


「ミコ、ほんきでもうもどったほうがいい」

「うん……」


 大禍時が迫っていた。

 そして、ここは闇の者達と最も親和性の高い墓地なのだ。

 こんなところで鬼に遭遇でもしたら、ろくなことにならないだろう。

 さすがにミコトも我に返ったようすで、きびすを返そうとする。


 なにものかに呼び寄せられているという感覚は消えるどころか、墓地に辿り着いて一層強まっていた。


 が、それ自体、狡猾な妖異の罠かもしれない。

 だが、振り返ろうとした直前、ミコトははるか遠くに異様なモノの姿を見とがめた。


「あれは―――」


 思わずミコトは墓地へと踏み出してしまった。

 最初の一歩を踏むと、もう止められなかった。

 呼び寄せようとする力は強烈に強まり、ミコトをからめとる。


「ミコ!」


 珍しくサチミタマが声を鋭くし、とがめるように名を呼ぶ。

 が、ミコトの足は止まらない。

 塚の間を縫いながら、奥へ奥へと進む。


「女の子がいた……」

「おんなのこ?」


 それ以上ミコトは何も語らず、黙々と歩む。

 仕方なしに、サチミタマもそのななめ後ろに浮かんで、ついていく。

 四方に等間隔で塚が並ぶ墓地は、方角と距離の感覚を狂わせる。

 ずっと同じところを歩いているような心地がして、現実味が遠ざかっていく。


 墓の中央付近に差しかかった時、はじめてそれまでと違う光景が目に映った。

 誰か特別な者の墓なのだろうか。

 それだけは盛り土の墓ではなく、夕暮れの陽に黒々と照る、御影石が地面に直立していた。


 そして、その石の上に腰かける一人の少女の姿が、そこにはあった。

 墓石に座るなど、ほんらい罰当たりもいいところだ。

 しかし、何故か不敬の行為には見えず、そこにそうしているのが自然のように思えた。


 少女はさながら、この墓地の主であるかのような印象を、ミコトに抱かせた。


「やっと来てくれたのね。退屈しちゃった」


 足をぶらぶらさせながら、無邪気―――と呼ぶにはどこか挑発的な声音で、少女はミコトに呼びかけた。

 頬骨が浮きあがって見えるほど痩せこけているのに、着物は王族のような豪奢なものだ。

 そして、真夏の日差しの光でさえもその奥に飲みこんでしまいそうな漆黒の瞳は、おさなげな風貌に反し、ひどく老成してみえた。


「このお墓は、あなたがつくったの?」


 ミコトは、自分自身の口から出た問いに驚いていた。何故そんな問いを発したのかまったく分からなかった。

 常識的に考えて、この膨大な量の墓塚を少女一人がつくったなどということはありえない。


「もちろん」


 けれども、少女はこともなげにうなずいた。


「大切なわたしの子ども達だもの。ちゃんと葬ってあげないと」


 よっ、と一声あげて墓石から飛び降り、冗談めかしたように少女は言う。あどけない口調と仕草だったが、瞳だけはそれを装っているような、奇妙な違和感があった。


「わたしの子ども達……?」


 しかし、言っていることは困惑を深めるような言葉だ。ミコトは意味が分からずとまどうばかりだ。


「それよりも歩き巫女さん、あなたにみんなが会いたがってるの」

「みんな?」


 少女は首をかしげるミコトに応えなかった。

 その代わり、小袖がまくれあがるほどの勢いで、さっと片手を上げた。

 それに呼応して、墓場の妖気が急激に高まる。


「サチ!」「ん」


 ミコトは緊迫した面持ちで周囲を見回す。その顔が瞬間、凍りついた。

 滅多なことでは動じることのないミコトとサチミタマの二人が、そろって顔を青ざめていた。

 四方の塚という塚の地中から、鬼が姿を現したのだ。


 ぼこり、ぼこり、という不気味な音と不快なうめき声を上げて、次々に鬼が大地より湧きあがってくる。

 たちまちのうちに、無数に等しい鬼にミコトは囲まれていた。

 あまりの事態に、ミコトは呆然自失する。その間に―――、


「じゃあね、あとはこの子たちに任せる」


 少女はくるりときびすを返していた。


「あ、待って!」


 絶対絶命のこの窮地にあってなお、ミコトは少女のことが気にかかっていた。

 慌てて呼びかける。が、少女は御影石の後ろに隠れ、空気に溶けこむように、その姿を消してしまった。


「ミコ、それよりおに!」


 サチミタマが叱責する。


「まともにあいてするのはむだ。どこか、にげみちをつくる」

「うん、分かってる。お願い、サチ」


 ミコトの呼び掛けに応じ、サチミタマは直刀へと姿を変えた。

 サチミタマの言っていた通り、全ての鬼を相手どることなど不可能だ。


 一方向にありったけの霊力を放出し、突破口をつくる。それしかなさそうだった。

 だが、鬼たちも霊気を練り上げるのを、悠長に許してはくれない。

 ミコトのすぐ近くの塚から顕現した鬼は、はやくもミコトへと襲いかかってくる。

 やむなく、ミコトも剣技をもって応戦した。


「ぐっ、この……」


 ともかく、一ヶ所にとどまっていては、すぐに取り囲まれる。

 迫りくる鬼の巨体それ自体を他の鬼からの盾にして、死角をつくらないように立ちまわる。


 次々と鬼はむくろと化し、地に横たわっていく。

 それでも、あまりにも数が膨大すぎた。

 ミコトが対峙するその遥か向こうまで、鬼の姿が連なり、視界を埋め尽くす。


 ―――この鬼たち……。


 荒く息を弾ませながら、ミコトは奇妙な既視感にとらわれはじめた。


 ―――わたしは、この鬼を知っている?


 もちろん、鬼の姿など一々覚えてはいない。けれども、命懸けで対峙した記憶、剣を刺し貫いたその感触は、消えてなくならない。ミコトには、ここにいる鬼たちと、すでに一度戦いあったように思えてならなかった。


 ―――まさかこのお墓は、いままでわたしが斬った鬼たちのものなの?


 それは、あまりに怖ろしい想像だった。

 ミコトがいままで倒したはずの鬼が、自身の復讐のため殺到しているとするならば、その恨みも相当なものだろう。


 なによりも、鬼をどれだけ斬っても無駄だということだ。

 こうして墓の下から復活を遂げてしまうのなら、それは、ミコトの旅した、この七年の月日が無駄だったと言われるのに等しい。


「この時を待っていたぞ、ヒトの巫女よ」


 ミコトが絶望感に打ちひしがれそうになったその時、鬼たちの向こうから、朗々と響きわたる声がした。

 鬼は一旦ミコトから距離を置き、たたずむ。

 鬼の群れが、さながら統率のとれた軍隊のごとく左右に割れた。


 その奥から姿を現す、一際大きな姿。

 緑青のような、青い身体。六体の腕に貴公子然とした顔立ち、三つの瞳。

 その姿をミコトは忘れるはずもなかった。


「アラハバキ……!」

「久しいな、遥か東の森で会って以来か」


 無論、再会を喜びあうような間がらではない。

 その声音は複雑で、人間には感情が読みとりづらい。


 だが、そこには長い年月をかけて押し殺したことで、かえって濃縮された妄執の念がこもっているように思えた。

 鬼の邪気には当たり慣れているミコトも、一瞬背筋が震えるような思いがした。


「いかな貴様とて、この亡者の檻からは逃れ得まい」


 アラハバキのその言葉が合図であったかのように、鬼たちは再びミコトへの猛攻をはじめた。

 ミコトにはアラハバキに構う余裕はなかった。

 突破口をつくろうと度々剣を振るうが、鬼の壁は分厚く、一瞬あいたと思ってもすぐに塞がってしまう。


「……くっ、まだまだぁ」

「勇猛なことだな。いまだいささかも士気が衰えないとは大したものだ。だが、従者の方はそうはいかぬとみえる」


 ミコトは、はっと手にしたサチミタマを見た。

 その刀身は鬼の穢れを吸い、どす黒く染まり、かすかにひび割れかけていた。

 いまや、霊気は灯火のようにごく小さく押し込められ、圧倒的な妖気に屈しようとしていた。


「……サチッ!」


 ミコトは鬼をほふろうとしたその手を、思わず止めた。


 ―――だいじょうぶだからきにするな。


 そう伝えようとするように、サチミタマの刀身がほんの一瞬、本来の純白の輝きを宿した。


「で、でも……」


 しかし、それも一瞬のことで、サチミタマの姿はすぐに黒く覆われてしまう。

 ミコトは剣を振るうことをためらった。

 そのためらいを見逃さず、鬼が殺到する。


「あ―――」


 ミコトは懸命に逃れようとするが、やはりサチミタマをかばう気持ちが残り、精彩を欠く。たちまち、その身体は鬼の壁に呑まれていく。

 アラハバキの哄笑が、墓塚に響き渡った。


 ミコトには、不思議と苦痛がなかった。

 鬼に取り囲まれながら、自分の身体がどうなっているのかも分からない。

 ただ、意識が急速に遠のいていた。


「サチ、ごめん……」


 闇の眷族の巨体にのまれながら、ミコトは気を失った。

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