第六場 仮絹の巫女

 巫女の家といっても神殿のような造りではなく、他の家と変わらないごく質素な民家だった。

 藁もふかれていない木組みの屋根は、ラクサ神殿の工房を彷彿とさせる。

 使用人もなく、家の主みずからがミコトとルサを迎えいれる。


「ようこそおいでくださいました。本来こちらからお伺いすべきところですが、ご足労をおかけしてしまい、申し訳ありません」


 里に満ちた清澄な霊気をそのまま体現したような、物静かな声だった。

 顔に刻まれた小じわと白髪が目立つが、おそらく心労によるものだろう。

 全体の雰囲気は若々しい。

 年齢は二十歳を少し過ぎたところか。


 神職者らしく巫女装束をまとっていた。

 長旅に合わせて簡略化された歩き巫女の服装と比べ、袖口も袴もゆったりしていて複雑な紋様の刺繍がほどこされている。

 それが彼女の清澄な雰囲気によく似合っていた。


 どこであろうと、この人が住まう場所が霊場になってしまうような、そんな空気をまとっていた。

 自ら出迎えに来られなかった理由はすぐに分かった。

 その両の瞳がうっすらと閉じられていたからだ。


「なにもない家ですが、どうぞこちらへ」


 一寸の淀みもない挙動で、盲目の巫女は二人をいろりへと招き入れる。

 所々に普通の家にはないようなくぼみや出っ張りが見えたが、彼女がさわって確かめるための印なのだろう。


「いま、この里で採れる薬草のお茶を淹れますね。

 少し苦いですが、旅の疲れにはよく効くはずです」


 物を触って確かめる回数が少し多いものの、女性に不自由そうな様子はなかった。

 手早く不思議な香りのする茶を注ぐと、二人の前に差しだし、その対面に自らも座った。


「申し遅れました。この里で巫女をつとめさせております、霧月(きりつき)ウズメと申します」

「歩き巫女の天城ミコトです。こっちはサチ、えっとサチミタマ」

「歩き巫女の桜崎ルサと申します。それと、従者のアラミタマです」


 ミコトに対抗するように、ルサは歩き巫女、という語を強調して名乗った。

 ウズメは静かにうなずく。


「天城ミコトさんに、桜崎ルサさんですね。お二人とも声はお若いのに、わたしなんかよりずっと強力な霊気を感じます。さぞ、御苦労されてきたのでしょうね」

「そうかなぁ……」

「ミコはいつものうてんき。くろうとはむえん」

「むっ、そんなことないよぉ。わたしだって苦労くらいしてるよ。

 朝起きないサチを叩き起こしたりとか」

「それをいうなら、むだなよりみちばかりつきあわされる、こっちのほうがくろうしている」


 ミコトとサチミタマのやりとりにウズメはくすくすと忍び笑いをもらした。

 幾年かぶりにおかしくて笑う、という行為を思い出したような、そんなはかなげな笑い方だった。


「ルサ達にお話がある、と聞いてますが……」


 やくたいのないミコトとサチミタマのやりとりをさえぎるように、ルサがそう切り出した。

 ウズメはそちらに耳を傾けうなずいた。


「はい。まずは里の仲間を救ってくださったこと、厚くお礼を申し上げます。

 本当にありがとうございました。

 歩き巫女様の噂は聞いていましたが、本当にお二人ともお強いのですね」

「いやぁ、それほどでもぉ」

「一応言っておきますけど、ほとんどの鬼を倒したのはルサですから。

 こっちの者の強さはあまり信用しないほうがいいと思います」


 お二人とも、の一語にルサは頭痛をこらえるように眉を寄せた。

 が、ミコトはまるで気にもとめていない。


「そうそう。ルサちゃんの破魔の矢、すごかったよねー。

 わたしだけだったら、ぜったい間に合わなかったよぉ。ほんとにありがとうね」

「あなたから礼を言われる筋合いはありません!」


 なんとなく小馬鹿にされたような気がして、ルサはつい声を荒げた。

 が、ムキになって大きな声を上げたのが気恥ずかしく、咳ばらい一つして、ウズメに向き直る。もうミコトの存在は無視しようと心に決めながら。


「お話をさえぎってしまってすみません」

「いえ。お二方がうらやましいです。わたしにもそれだけの力があれば、皆を守れるのに……」

「ウズメさんだってすごいよ!」


 不意にミコトは勢いこんで言い、ウズメの両手を力強く握った。


「こんなにあったかい結界はじめて感じたもん。ウズメさんが張っているんだよね」

「ええ、まあ……」


 突如手のひらに生まれた柔らかな温かさにとまどうように、ウズメはかすかに身じろぎした。


「不思議ですね。ミコトさん、あなたからそう言われると本当に自信が湧いてくる気がします」

「そうだよ、自信もって!」


 いつまでもウズメの手を握ってはなそうとしないミコトに、ルサはもう一度咳ばらいをした。

 はっとウズメは気恥ずかしげに手をひっこめた。

 物憂げな顔立ちは変わらぬものの、その頬がほんのりと赤く染まっていた。


「ミコ、いきなりひとのてをとるのはしつれい」

「え、あっ、そっか。ウズメさん、ごめんなさい。つい」

「……いいえ。気にしていません。ミコトさんに励ましていただいて、嬉しく思いました」


 それきり言葉が途切れ、なんともよく分からない沈黙が落ちる。

 話を進めたのは、やはりルサであった。


「ルサはこの国に巫女の言い伝えを聞いてやってきました」

「あっ、わたしも。それってひょっとして……」


 ウズメは二人の言葉にこくりとうなずいた。


「恥ずかしながら、わたしの、いえ、わたし達の家系のことだと思います。

 霧月家は代々この青月籠せいげつこもる国で、仮絹かりぎぬの巫女と呼ばれる守護の役目を担ってきました。

 ですが、凶悪な鬼の力に抗しきれず、都を襲われ、こうして生き残った者達とこの里に結界を張り、暮らしているのです」


 鬼の襲撃のことを思い出してか、かすかにウズメの眉が苦悶に歪んだ。


「わたしの霊力では、里の家々を護る程度の結界しかつくれず、田や畑をその外に作るしかありません。もっとわたしに力があれば、今朝のように里の者を危険な目に合わせずにすんだのですが……」

「ウズメさん!」

「はい、大丈夫です」


 再びミコトが身を乗り出す気配を感じ、それを制するように間髪入れずウズメは返した。


「ミコトさんが励ましてくださったとおり、わたしはわたしのやれる限りのことをしようと思います」


 ミコトは、うんうんと何度もうなずく。


「ですが、一つ気がかりなことがあるのです」

「気がかりなこと?」

「はい。鬼たちはここから二里ほど離れた、いまはもう人もいない寺院を根城としているようなのですが……。

 最近そこに、いままでにない禍々しく、力強い妖気をもった鬼が住みついたようなのです。わたしの結界などたやすく破ってしまいそうなほどの……。

 今朝のことが凶兆のように思えてならないのです。

 これほど里の近くに鬼が現れたことはいままでありませんでした。

 あのもの達は、この里を侵す機会をうかがっているような、そんな気がいたします」


 そこでウズメは口を閉じた。話を終えたのではなく、次の言葉をどう切り出したらいいか、言いあぐねている様子だった。

 けれども、ミコトもルサもウズメが何を言おうとしているのかは、すぐに察した。

 これまでの旅で、幾度も投げかけられた願いであったから。


「まっかせて。その鬼はわたし達が倒してくるよぉ」

「お願い……できますか」


 ほんの少しだけ、曇りがちなウズメの表情が輝いた。


「もっちろん。もともと鬼を倒すのが歩き巫女の役目だもん」


 この時ばかりは、ルサもミコトの言葉に同意した。


「その通りです。むしろ鬼の居場所を教えてもらって感謝したいくらいです」

「さっそく明日の朝にでもルサちゃんと一緒に討伐に行ってくるよぉ」

「はぁ!?」


 だが、つづくミコトの言葉には、ルサは声を荒げるのを抑えきれなかった。


「明日だなんて何を呑気な。

 憎き鬼の居場所は分かっているんです。

 さっそくいまからでも討ちにいくべきです」


 はやる気持ちそのままに、ルサは勢いこんで言う。

 まるで噛みつかんばかりの気勢だったが、ミコトは気にもとめずに返す。


「ん~、そうしたいのはやまやまだけどさぁ。

 こっから二里だったら、着く頃には夕暮れになっちゃうよぉ」


 夕暮れから夜の間は大禍時おおまがときと呼ばれる鬼の支配する時間だった。

 この間はただでさえ人力をはるかにしのぐ鬼の妖力がさらに強まる。

 だが、そんなことはルサも先刻承知だった。

 相手の力が少々強まろうと、鬼を討つのに日を置きたくなかった。

 なお反論の言葉を返そうと口を開きかける。

 が、その直前でふと思い直し、口をつぐんだ。


「……分かりました」

「鬼のことは歩き巫女様の方がずっとお詳しいはずです。すべてお任せいたします」


 ウズメもやんわりと、ミコトに賛意を示した。


「けど、ウズメさん、二里も離れたところの鬼の妖気がよくわかるね。今朝畑に来た人達もウズメさんに鬼が出たって言われて来たって言ってたし……」


 ミコトの言葉に、ウズメはおくゆかしげにうつむきながら言う。


「生まれた時から周囲の気配を感じるのに頼っていたせいでしょうか。霊気や妖気を感じる霊感だけは、それなりのものが身についているのかもしれません」

「それなりどころか全然すごいよぉ。ラクサ神殿にもウズメさんほどの霊感を持った人はいなかったと思う」


 ミコトは率直に感動を口にした。

 言葉にこそしなかったが、ルサも内心ではそれに同意する。

 ウズメほどの霊感が自分にもあれば、鬼を狩り出すのももっと容易になるだろう。

 隣りに座る二つ上だという歩き巫女には失望を感じてばかりだが、この仮絹の巫女にはある程度の敬意をおぼえる。

 もっとも、それも“ある程度”の域を出なかった。

 守護の結界や霊感だけでは鬼は殺せない。

 ルサが求めているのは、鬼と渡り合うための純粋な「力」だ。

 だから、仮絹の巫女のありようは、自分の目指す場所とは大きく隔たっている、そうルサは内心結論付けた。

 が、ミコトはそうは思っていない様子だった。


「師匠が言っていた霊力の大小なんか関係なく、先達を敬いなさいっていう意味、ウズメさんに出会って分かった気がするよぉ。もっと色んなお話をききたいなぁ」


 心から憧れを込めたまなざしで、そんなふうに言う。

 対するウズメは謙遜する、というよりじゃっかん戸惑った様子であった。


「そんな……。私などの話よりも歩き巫女様のお話をお聞かせ下さい。

 里を護る助けにもなるでしょう。

 幸い、村の者も巫女様を歓迎したがっています。

 ささやかですが、歓迎の宴をもよおさせていただければと思います」

「ほんとう!? わ~い、やった~」


 ウズメの言葉にミコトは無邪気に歓声を上げた。

 対照的に、ルサは終始不機嫌そうに押し黙ったままであった。

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