第五場 青月籠る国のかくれ里
「ねーねー、ルサちゃん。ルサちゃんっていくつ?」
「……数えで十三歳です」
「そーなんだ。わたしの二つ下だね。いつから歩き巫女やってるの?」
「……三年前、故郷を鬼に襲われた時からです」
「そーなんだ。じゃあわたしの方が二年早いね。あの従者の子はなんていうの?」
「……アラミタマのことですか?」
「アラミタマくんっていうんだぁ。すごく無口な子だね」
「アラミタマは口をききません」
「そーなんだ。いいなぁ。うちのサチは口が悪くていっつもやかましいんだから」
あなたも十分うるさいです、とルサは返したかった。
最初の驚きから覚めやると、ミコトはぴったりとルサにつきまとい、質問責めにした。
ルサにとってはうっとうしいことこの上なかったが、向かう先が同じなので撒くこともできない。
ここからずっと南の島国、渦潮とどろく国に生まれたルサは、ミコトとほとんど同じ経緯で歩き巫女になった。
神殿で巫女の修行を受けていたが、島を鬼に襲われ、試練の末にアラミタマに出会った。
そして、ルサは鬼を討つ歩き巫女として旅に出る決意をする。
それが三年前のことだ。
当人にとっては思い出すたびに胸がうずく辛い過去なのだが、訊くほうのミコトはまったく遠慮しなかった。
「ねーねー、ルサちゃん、いっこだけ気になったんだけどさ」
「……なんですか?」
心底うんざりとルサは返すのだが、やはりミコトはルサの内心には気づいていない様子だ。
「魂送りの儀を見てて思ったんだけど、ルサちゃんの霊気、鬼への怨念っていうのかな、復讐心で練り上げてるでしょ。
あれだとルサちゃんの方がそのうち辛くなっちゃうよ」
「余計なお世話です!」
とうとうこらえきれず、ルサは怒気を爆発させた。
前を行く男達と老夫婦が、なにごとかと振り向くほどの大声を出していた。
「年上だから、二年早く歩き巫女をやってるからってなんなんですか。
先輩風吹かせて偉そうなこと言わないでください!」
「べつに偉くなんてないよぉ。
どれだけの年数生きたかよりも、いかにして生きたかによって人の価値は決まるんです、って師匠も言ってたし」
そう言ってから、ミコトは腕を組んで首をかしげた。
「ん? でも師匠、長い年月修行を積んだ人にはそれだけの経験があるのだから、霊力の大小にはとらわれないで、目上の者を敬いなさい、とかも言ってた気がするなぁ。
もー、どっちだよー、師匠ー」
勝手に自問自答して悩みはじめたミコトに対し、ルサはさらに怒りを募らせる。
「とにかく! 人の戦い方に口出ししないでください」
それについては、ミコトも素直に謝った。
柔らかく苦笑を浮かべて言う。
「うん、ごめん。ルサちゃんにはルサちゃんのやり方があるよね」
ルサは、整った鼻を小さく鳴らすと、これ以上ミコトに話しかけられないように、早足になって男達と並んで歩いた。
毛を逆立てた猫のような姿に、男達もうかつに声をかけられず、互いに顔を見合わせると、気まずげに無言で歩く。
一人ずんずんと先を行くルサの姿に、さすがのミコトも声を潜め、そっとサチミタマに耳打ちした。
「ねえねえ、ルサちゃん、なんか怒ってる?」
「ん。ミコはもっとでりかしーをしるべき」
「でりかしー? なにそれ」
それ以上言っても無駄と思ったのか、サチミタマは肩をすくめて何も答えなかった。
ルサの従者であるアラミタマはルサの言った通り、もとより一言も口を聞かず、ただルサの傍に黙然と付き従っていた。
一行の間に、なんとはなく気まずい沈黙が流れる。
幸いだったのは、畑から目的の里まではそう離れていないことだった。
そこは文字通りの隠れ里だった。
山谷のわずかな土地に、粗末なわらぶき屋根がひしめきあっていた。
豊かではないが、身を寄せ合って暮らす者たちのあたたかみが、その光景からは感じられた。
そして、その里には、目には見えないが魔のものを寄せつけないための結界が張られていた。ミコトとルサはそのことにすぐに気がついた。
もちろん、この小さな里に宿などあるはずがない。
ミコトとルサが案内されたのは酒蔵だった。
といっても、いまは酒を造る余裕はないようで、ほとんど中は空だった。
「わるいなあ。これでも里で一番大きな建物でな」
案内の男は、申し訳なさげに何度も頭を下げる。
「ううん。十分過ぎるよぉ。ありがとう」
ミコトはその手を取って、屈託なく礼を言う。
ルサも無言でうなずいた。
ただ一つ不満があるとすれば、このもう一人の巫女と同じ屋根の下ということだったが、それはこらえるしかないだろう。
蔵に入るなり、ルサは中央に境界を定めた。
「ここからこっちはルサのスペースです。あなたはあっちへどうぞ」
「へ? うん、わかったよぉ」
これ以上近づくなと暗に言ったつもりだったのだが、ミコトはまるでその意図には気づいていないようで、無頓着に荷解きをはじめた。
散らかった荷物はルサのところまで転がってくる。
大した荷ではないのに、どうして一瞬でここまで散らかせるのか、ルサには疑問だった。
ルサが文句を言おうと口を開き、ちらりと目をやると、ミコトは小袖も緋袴も脱いで、下着姿でくつろいでいた。
「んな……」
いくら部屋の中だからといって、だらしなすぎる姿だ。
巫女の慎み深さなど、微塵も感じられなかった。
口を開きかけたまま、ルサは絶句してしまった。
結局、相手をしても疲れるだけだと悟り、完全にミコトの存在を脳裏から追い出すことにした。
襟元を正し、床に足を組んで座り、静かに呼吸する。
瞑想に入ると、ささくれだっていた心が落ち着いてゆく。
そうすると、里に張られた結界の霊気が、よりはっきり感じられた。
決して強大な霊力ではないが、丁寧な法術だった。
術者の人柄と里の者への気遣いがうかがえる。
自分にはこんな結界はつくれないだろう、とルサは思う。
これほど強靭な守りの加護を有した結界を張るには、対象を心から守りたいと願う心が不可欠だが、ルサの守りたいものは失われて、いまはもうない。
それで構わなかった。
自分が修行を積み、霊力を高めているのは盾や鎧とするためではなく、ただ鬼をほふる刃を磨くためなのだから―――。
おもてから男の呼び声がして、ルサは瞑想を解いた。
「お寛ぎのところすみません。いま、よろしいでしょうか」
ルサはいまだ下着姿のミコトをちらりと一瞥してから、澄ました声で答えた。
「ええ、どうぞお入りください」
「ちょ、ちょっとルサちゃん!?」
ミコトが慌てて衣服をかき集めているのを横目で見て、ほんの少しルサの留飲が下がる。
蔵に入ってきたのは先ほど畑に駆けつけたうちの一人の、若い男だった。
ほとんど半裸のミコトに驚いてあわてて目をそらすが、いまさら外に出るのもどうかと思ったのか、入口のあたりで立ち往生する。
「どのようなご用でしょう」
「あっ、その、仮絹の巫女様がお呼びです。ご足労ですが、お越しいただけませんか」
「分かりました。ルサもご挨拶にうかがおうと思っていました。すぐに参ります」
ミコトの存在を完全に無視して、ルサは受け答えする。
男は明らかにほっとした様子で、そそくさと蔵を出ていった。
「あー、驚いた。もー、せっかちだなあ、ルサちゃんはー」
なんとか巫女装束を着直したミコトが言う。
どうやら意地悪されたという自覚はないようだった。
「かりぎぬのみこさまって、この結界作った人かな」
「おそらくそうでしょうけど、あなたもついてくる気ですか?
下着姿でごろごろしていたくせに」
「とーぜん。こんな気持ち良い結界張れる人なら会ってみたいもん」
ルサがどれだけ皮肉の意を込めても、ミコトにはまるで通じなかった。
一瞬、ミコトの隣りのサチミタマと目が合う。
と、「無駄だからやめとけ」とばかりに肩をすくめてきた。
「あなたが付いてきてなにか非礼な振る舞いをしないか心配です」
「そのおそれはじゅうぶんある」
ルサの言葉に、ミコトの代わりにサチミタマが応えた。
この小さな少女も、従者のくせにどちらの味方なのか、よく分からない存在だった。
「ぶー、大丈夫だよぉ、サチ。これでも師匠にれーぎさほうは叩きこまれたんだから」
「ん。とりあえずはかまがうしろまえ」
「あ」
サチミタマの指摘に、ミコトは慌てて緋袴を脱ぎはじめた。
ルサは腹の底からため息をついた。
「……先に行っています」
「あ、ちょっと待ってよー」
後ろから聞こえるミコトの呼び声を無視し、ルサは蔵を出た。
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