第四場 魂送りの儀

 ミコトが振り向くと、1人の少女が、肩をいからせてミコトの方に歩いてくる。

 わあ、と思わずミコトは口の中で感嘆の声を上げた。

 少女が絶世の、や傾国の、という形容が頭につくほどの美しさだったからだ。

 顔立ちも背丈も全体的に小柄で、細くしなやかな腰つきは柳のようだ。

 優美な身体を白い小袖と緋袴という、ミコトと同じ巫女装束で包んでいた。


 肌の色は身に着けた白衣にも劣らず、透き通るように白く、くせっ毛のミコトと違って、清冽な小滝の流れを思わせる鮮やかな黒髪をしていた。

 細く美しい眉、つぶらかな瞳、夜空に浮かぶ満月のようなあでやかな頬、その顔立ちは一流の人形師でも描きえないほど、完璧な調和をかもしていた。


 しかし、いまはその柳眉を吊り上げ、微笑めばさぞ異性を魅了してやまないだろう、黒曜石のような瞳を、疑わしげに曇らせていた。


「神聖なる歩き巫女を僭称するとは、なんと不届きな……あなた、何者です」

「え、だから、歩き巫女の天城ミコトだよ」


 自分の名乗りが相手を怒らせてるとはつゆとも思っていないミコトは、きょとんと首を傾げ当然のように言う。

 相手の少女は白い歯さえむいて、地団駄を踏んだ。

 なまじ美しい顔立ちなだけに、怒る姿には妙な迫力があった。


「まだ言いますか!? いいですか、歩き巫女となるためには、魂の片割れである従者の存在がないと……」


 少女はそこで不意に言葉を途切れさせた。


「ミコ、きゅうにほうりだすなんて、らんぼうすぎ」


 ぶつぶつと言いながら、直刀から少女の姿に戻ったサチミタマが、ミコトの傍らにふわふわととんできたからだ。

 少女は幽霊でも見たかのように、目を見開いてサチミタマを凝視した。

 一方のミコトも驚いていた。

 少女の傍らに、手のひらに乗れるほど小さな少年が浮かんでいたからだ。

 藤を模様にした紺の着物をまとっている。

 まるでサチミタマの兄妹のようにそっくりだったが、やや太い眉や尖ったあごがサチミタマよりも精悍な印象だった。


「ふたりとも、なにをそんなにおどろいてる」


 サチミタマが二人を見比べ、あきれをにじませて言う。


「あるきみこがせかいにひとりだけなんて、ひとこともいってない」


 サチミタマの言葉に同意を示し、青い着物の少年もこくんとうなずいた。


「えーー!?」「聞いてません、そんなこと!」


 二人の巫女は同時に叫んだ。


 ―――

 顔を見合わせたまま固まる二人の巫女。

 そのそれぞれの肩先の辺りに小さな女の子と男の子がふわふわ浮かんでいる。

 事情がまったく分からず、おろおろと二人の姿を交互に見やる老夫婦。

 幼い男の子もきょとんとしている。

 畑に転がるのは鬼の死骸。

 そんな混沌とした状況を打ち破ったのは、遠くから聞こえた呼び声だった。


「おおーい、無事かー」


 凍りついた時間が溶けたように、地面に横たわる鬼をのぞいた皆が一斉にそちらを向いた。

 老夫婦はその声に聞き覚えがあるようで、ほっと笑顔を浮かべた。

 見やると、谷の向こうから、若い男達が数人駆けてくる。

 その手には鍬や鎌、木槌など畑道具、というより武器になりそうなものが握られていた。


「おーう、大丈夫じゃー」


 老爺が大きく手をふり返事をした。

 男達は全力で駆けてきた様子で、畑に着くとぜえぜえと荒い息を吐いた。


「いったいどうしたんじゃ、みんなして」

「ど、どうしたもこうしたも……、お、お前さんとこの畑に鬼が出たみたいだって、仮絹の巫女様が言うから、慌ててきてみたら……はぁ、はぁ」

「……お、おうよ。どうやら無事みたいじゃないか」


 ようやく一心地ついて顔を上げた男たちは、鬼の死体を目にして、そろって悲鳴をあげた。


「ひゃあっ」


 顔を青ざめ、腰を抜かして畑にひっくり返ってしまったものもいる。

 そんな様子では、たとえ鬼に襲われる前に畑に着けたとしても犠牲者が増えるだけだっただろうが、老爺達を心配して来たのだからそれは言わぬが華だろう。


「そ、そちらの巫女様は?」


 男の一人が老爺に向き合うミコトの姿に気づいて問う。


「このおねえちゃんがたすけてくれたんだよ!」


 老夫婦より先に、幼い少年が答えた。

 すっかりミコトになついた様子で、その膝に抱きつく。

 ミコトも少年の頭をわしわしとなでた。


「ねー、ほんとに間に合ってよかったよぉ」


 その様子に男達も事の顛末を察したようで、ほっと顔をなごませた。


「ほぅ、そいつはたまげたな」

「旅の巫女様のことは噂には聞いてたが、こんな子ども……おっとわりい、若い娘さんだなんてなぁ」

「あんた一人でこのおっそろしい化物ぜんぶやっつけちまったのかよ」


 最後の男の質問には、ミコトはふるふると首を横にふった。


「ううん、ほとんどの鬼を倒したのはこっちの……えっと、」

「ルサ、桜崎(おうさき)ルサです」


 ミコトにふられ、仕方なしにといった様子で、もう一人の巫女―――桜崎ルサはそっけなく名乗った。


「そう、ルサちゃん。ルサちゃんが倒したんだよ!」


 ミコトはルサの華奢な両肩をつかみ、ずずいと男達の前に押しだした。

 初対面の人間にいきなりちゃん付けで呼ばれ、おまけになぜか肩をつかまれて、ルサは猫のように喉の奥で小さくうなった。

 不機嫌そうにしていても絶世の美少女である。

 男達は明らかにミコトの時とは違うニュアンスで「おお」とどよめいた。

 そんな男達のぶしつけな視線をさえぎるように、老夫婦がルサとミコトの前に立ち、そろって深々と頭を下げる。


「ほんに、危ないところを救っていただき、ありがとうございました。大したお礼はできませんが、どうかわしらの里にお立ちよりください」


 男の子も二人の真似をして、いっちょまえにお辞儀をしてみせた。


「おお、それがいい。じいさん達も今日は野良仕事どころじゃねえだろ」

「仮絹の巫女様にもあってもらわねえとな」

「よっしゃ。じゃあ俺、ひとっ走り先にみんなに知らせてくる」


 男の一人が、いま走ってきたばかりの道を再び駆けもどった。


「わぁい。ぜひぜひ、寄らせてください! いこっ、ルサちゃん」

「ちょ、ちょっと、勝手に決めないでください」


 再び肩に手をのせられそうになり、ルサは邪険にその手を振り払った。

 とはいえ、とても滞在を断れそうな雰囲気ではなかった。

 男達の熱視線はともかく、老夫婦の真摯な様子は無視するのにしのびない。

 もとより、旅の間、人里に寄れる機会は貴重だ。

 鬼が猛威をふるい、数々の街や村が滅び去っているのだからなおさらだ。

 ミコトが勝手に返事をしたことに怒りはしたが、断る理由は本来なかった。


「分かりました。ではお言葉に甘えさせていただきます」


 ルサの返事に男達は歓声を上げた。

 なぜか、一番喜んだ様子を見せたのはミコトだった。


 では、一同そろって里に出発。

 という前に、すべきことがあった。

 倒した鬼の後始末、である。

 鬼の死骸はそのまま放っておくと悪霊と化し、再び人や獣にとりついて鬼を生む、と云われていた。

 どのみち、畑に死骸を転がしておくわけにもいかない。


「そーだ、魂送たまおくりの儀、やらないと」

「ルサがやります」


 ミコトが思い出したように言うと、すかさずルサは宣言する。

 取りつく島のない断言口調だった。


「えー、鬼を倒したのもほとんどルサちゃんだし、悪いよぉ。

 それくらいは、わたしやるよ?」

「けっこうです。鬼にとどめを刺すのはルサの役目です」

「うーん、じゃあ半分手伝おっか?」

「必要ありません。五体程度、ルサ一人で十分です」

「そっかぁ。たしかにわたしも二人で魂送りってやったことないから、うまくいくか分かんないし。……じゃあ、お願いしよっかなー」


 ルサは明らかにうっとうしげに拒絶の意を込めていたが、ミコトはその空気を一切読まなかった。

 最終的にルサの言うとおり全て任せることにしたが、ひるんだ様子ではない。

 すまないねぇ、などとつぶやき、儀にとりかかろうとするルサを見送る。

 魂送りの儀。

 絶命した鬼の妖気を祓い、その御魂を黄泉の国に送る術法である。

 鬼と戦うのと同様に、歩き巫女が行わねばならない大切な役目だ。

 ミコトも、その必要性とやり方は魂の従者であるサチミタマに教わっていた。


 ルサは畑地に向き合うと、懐から小さな榊(さかき)の枝を取り出した。

 その傍らには、青い着物の小さな男の子が、まさしく従者としてルサを護るように控えていた。

 ルサの身体が霊力をまとい、巫女装束が強風にあおられたようにはためく。

 里の者達にも、ルサのまとう空気が一変して厳かなものとなったのが分かった。

 ルサの口から謳うように呪法の文言が流れる。

 榊の枝を振りながら、ゆっくりと大地を踏みしめるように、五体の鬼が横たわる畑地をぐるりとめぐる。

 畑に染み込んだ鬼の黒々とした血が、空気に溶け消えるように浄化されてゆく。


「ほぅ……」


 里の者達からそろってため息が漏れた。

 特に男連中は恍惚とした、憧憬にも似たまなざしをルサに向けて送る。

 ルサの表情は厳しく、きっと眉根を寄せていたが、それがまた厳粛で神聖な雰囲気を醸し出していた。

 なにより、魂送りの儀に臨むルサの姿は美しかった。

 まるで、神殿に飾られる絵画から抜き出てきたような光景であった。

 ミコトもまた、その姿に感嘆の声を上げる。


「すごいねぇ、ルサちゃん。わたしの魂送りの儀と、なんか違うようねー」

「ん。ミコよりずっとはながある」

「華かぁ……。ねえねえ、サチ。華ってどうやったら身につくの?」

「しらない。それをかんがえるのも、あるきみこのしゅぎょう」

「ぶー。サチの役立たず」


 サチミタマとそんなやくたいのない会話をしながらも、ミコトはじっとルサの姿を見つめていた。

 いままで自分一人が行っていた魂送りの儀を外から眺めるのは、不思議な気分だった。

 歩き巫女は寄る辺ない孤独な旅人、などと言われていたが、同じ仲間がこうしているのは驚きであり、また喜びでもあった。


 ―――やっぱり、サチの言うことって、どこかいい加減なんだよなぁ。


 そんなふうに思うミコトの内心を察したのか、サチミタマはすっと肩をすくめ、言い合うだけ無駄とばかりにそっぽをむいてしまった。


『生々流転の理(ことわり)を外れ、現世(うつしよ)をさ迷いし悪鬼の穢れし魂よ。

 我、歩き巫女、桜崎ルサの名において命ずる。

 疾く黄泉への旅路へと出でんことを。

 我、歩き巫女、桜崎ルサの名において禁ずる。

 再び此岸に舞い戻り、今生のありし姿を乱すことを』


 結句の宣言と共に、ルサは懐から幣(みてぐら)と呼ばれる紙の霊具を取り出すと、それを宙に放った。

 幣は中空で青白い炎の玉と化し、五体の鬼に降り注ぐ。

 青い炎に包まれ、鬼の死骸はその姿を消した。

 こうして絶命した鬼は浄化され、魂送りの儀は完了する。

 あとには、鬼の死骸はおろか、血の一滴、瘴気の一かけらすら残らず、畑の作物にも影響ない。


 が、代償がまったくないわけではない。

 鬼の魂を浄化するために、その穢れを歩き巫女と、その片割れである魂の従者が受けねばならないのだ。

 魂送りの儀を一分の隙なく執り行ったルサだが、終了した瞬間、かすかによろめいてしまった。


「ルサちゃん!」


 慌ててミコトが駆け寄る。

 肩を抱こうと伸ばした手を、しかしルサはすげなく振り払った。

 そして、ミコトのことを完全に無視して里の者達に振り向くと、澄ました顔で言う。


「お待たせしました。さあ、参りましょう」


 その神々しいまでの美しさに、男達は思わず拝み手でひれ伏した。

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