第三場 畑地の鬼

 だが、その道なかばで、ミコトは不意に足を止める。


「サチ、もしかして……」

「ん。ようきをかんじる」



 ミコトの首から下がった東風玉が、警告を発するように光っていた。

 それも本来の爽やかな蒼穹色ではなく、まるで雷雨直前の曇天のような、黒々とした光である。


 この東風玉は、霊球儀のように、迫りくる危難を告げて色を変える。

 本来、東風玉はただのガラスの装飾品なのだが、優れた神官が霊力を込めて作ったことによって、このような霊具となったのだ。

 ミコトがその変色によって異変に気付き、命を拾ったことはこれまでに一度や二度ではなかった。

 きっと、心配性な作り手の想いが乗り移ったのだろう、とミコトは信じて疑わなかった。


「鬼がいるってことだよね」


 サチミタマは無言でこくりとうなずいた。

 しかし、周囲に鬼の姿は感じない。

 となると、畑の方に出没したのかもしれない。


「急ごう。サチ、お願いッ」


 ミコトの呼びかけに応じ、サチミタマの姿が紅く輝く。

 一瞬後には、少女は一振りの剣に姿を変えた。

 鍔に鳥の羽根のような装飾が散りばめられた、銀に輝く直刀である。

 同時に、ミコトの巫女装束も紅い輝きに包まれ、大きく変化する。

 ゆったりした小袖は半袖状になり、剣を握ったミコトの白い腕が剥き出しになる。

 同時に、白衣がミコトの肌にぴたりと貼りつき、成長期の少女の稜線をくっきりとうつす。

 赤袴は丈短く、ふわりと裾が広がるような形状に変化し、はるか西国の着物で言うところの“みにすかーと”状になった。

 形状の変化した腰帯や袖、襟元など、ミコトの全身を鮮やかな飾り紐が彩る。

 そして、ぼさぼさのくせっ毛だったミコトの髪が背まで届くほどに伸び、コチドリの羽根のような髪飾りによって一つに結ばれる。


 変身を終えたミコトは全速力で、飛ぶように目的地に向かった。

 崖の上からかろうじて見えても、実際走るとなるとかなりの距離があった。

 道なき道を全力で駆けるのは、旅慣れた歩き巫女にとっても困難だった。

 ミコトの胸中に焦燥感がつのり、双脚に込められるだけの霊力を注ぐ。

 その走る姿は、まるで赤い風が丘陵を舞うようだった。


 案じられた通りの光景が、そこにはあった。

 遠目からは分からなかったが、夜明け間もない早朝から、畑には人の姿があった。

 家族だろうか。

 三人の人影が、腰を抜かしたのか、畑の中央で互いによりかかるようにへたりこんでいた。

 そして、それを囲むのは異形の者達―――、鬼であった。

 五体程はいるだろうか。

 人より遥かに大きな巨体が、三人の人影に覆いかぶさるように近づいていた。


 ―――だめ、間に合わない!


 ミコトがその光景を視認できる距離に近づいた時には、鬼の一体が人影のごく間近で、腕をふりあげていた。


「お願い、逃げてぇぇーー!!」


 手を伸ばしても届かないその距離に、ミコトは悲痛な叫び声を上げた。

 その願いもむなしく、人影は微動だにできず、巨木にも似た鬼の腕がいまにもふりおろされようとしていた。


 その瞬間―――、眩い閃光が朝陽に舞った。


 一拍遅れて、ぐるおぉぉ、とおぞましい断末魔の声と共に、鬼の巨体があおむけに倒れた。

 常人には何が起こったのか分からない、刹那のできごとだった。

 しかし、ミコトには、どこか高いところから一本の矢が飛来し、鬼の眉間を正確に射抜いたのが見えた。

 矢はそれで終わりではなかった。

 間髪入れずに二の矢、三の矢が継がれ、正確に鬼を倒していく。

 それが、高い霊力のこもった破魔の矢であることにも、ミコトは気づいた。

 が、鬼の一体が腕を射抜かれながらも、絶命をまぬがれていた。

 まるで地獄への道連れを求めるように、降り注ぐ矢を無視し、畑に座る三人の方に襲いかかる。


 ―――今度こそ、間に合う!


「やあああッ」


 ここまで走ってきたその勢いを減じることなく、鬼に向け一直線に駆ける。

 そして、三人と鬼の間に割り込むと、体ごとぶつかるようにして、鬼の心臓を刺しつらぬいた。

 獣とも人とも似つかないおぞましい断末魔の叫び声を上げ、鬼はあおむけに倒れた。

 戦闘が終わると同時に、ミコトの格好も元の巫女装束へと戻る。


「大丈夫!?」


 鬼の最後を見届けることなく、ミコトはかばった人達のことを案じて振り向く。

 おそらく夫婦らしき老人二人。そして、その孫とみえる、五歳ほどの少年だった。

 少年は目の前の凄惨な光景と恐怖のためか、ひきつけを起こしていた。

 瞳孔が開き、うまく呼吸ができないようで、悲鳴のような呼気をひゅうひゅうと喉の奥でむなしく鳴らしている。


 ―――いけない!


 ミコトは剣を放り出し、少年の背の高さまでかがみこんだ。


「大丈夫、もう大丈夫だよ」


 ミコトは微笑を浮かべ、すぐ直前に鬼を斬ったのと同じ手とは思えないほど、柔らかく、優しく少年の頭をなで、抱きかかえる。

 むずがる赤子をあやすように、そっと小さな身体をゆすった。

 それは揺りかごがそよ風に揺られるような、自然で、優しい抱擁だった。

 耳元で何度も「大丈夫」とささやきかける。

 少年は目に見えて落ち着きを取り戻していた。

 呼吸も安定してくる。


「大丈夫、大丈夫。―――だいじょーぶのポーズ、いえいっ!」


 ミコトは少年を抱く手をほどいて地面に立たせ、不意打ちのように思いっきりおどけた顔と仕草を作ってみせた。

 一瞬きょとんとした少年だったが、すぐにミコトを指さし笑い転げた。

 その無邪気な笑い声に呪縛を解かれたように、老夫婦が少年に駆け寄り、ひしと抱き寄せた。


「ありがとうございます。ありがとうございます」

「なんとお礼をしたらいいか……」


 抱き合ったまま頭を下げる老夫婦に、ミコトは気にしないでというふうに笑って、手をひらひらとふる。


「いいのいいの。三人とも無事でほんとよかったよぉ」

「はい、本当に……あの、あなた様は」


 老爺の問いに、ミコトは笑顔で応え、名乗った。


「天城ミコト。旅の歩き巫女だよ」

「聞き捨てなりません!」


 老夫婦が反応するよりも早く、ミコトの後ろから鋭い声があがった。

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