第九場 東風出ずる地の亡国記 (前編)

 その日、使者の男は戦いの全てを目撃した。

 彼が報告をもたらすべき都は滅亡してすでにない。

 けれども、彼は一瞬たりとも戦いのゆくえを見逃さず、すべてを語り継ぐことを、胸中密かに決意した。

 眠りの森の顛末が、世界の行く末を占う戦いとなるであろうことを、直感的に理解したからだ。


 以下は、使者の男が残した記録文からの引用である。

 男はこの文章に表題を付けなかったが、書写され、語り継がれるうちに『東風出ずる地の亡国記』と呼びならわされるようになる。

 近隣諸国にとって、この書は人類の辿る滅亡の恐怖と、ひとすくいの希望を伝える書として広く読み継がれることとなる。


 ―――


 我が国には古くから伝わる、鬼と巫女の伝説がある。

 東風出ずる国の生まれなら、五歳児でも知っている有名な昔話だ。

 けれども、それがただのおとぎ話ではなく、真実の一部を伝えるものであると知る者は限られている。


 それはいまより昔の話。

 人の世界は鬼の軍勢によって荒廃していた。

 鬼は世界に破壊と絶望を撒き、力無き人々はただ逃げ惑うしかなかった。

 その鬼に対抗できるのは、ほんの一握りの強い霊力を宿した少女達、歩き巫女だけであった。


 我が東風出ずる国も、鬼の脅威にさらされていた。

 都より北東に当たる方角の森の中に、鬼の将軍が住んでいたのだ。

 鬼将は夜になると都にやってきては若い女や子どもをさらい、喰い物にしていた。

 時の国王は、たまたま都に巡礼の旅で滞在していた、歩き巫女の一人に鬼退治を依頼した。

 巫女はこれを引き受け、自らの命と引き換えにした術式をもって鬼を鎮めた。

 だが、鬼将の力はすさまじく、身命を賭しても滅ぼすことはかなわず、封印するのが精いっぱいだった。

 我が身と引き換えに巫女が鬼を封じたその夜、都中の者の夢にその巫女が現れ、こう告げた。


「封印は永遠に続くものではありません。

 やがてわたしの残した霊力も薄れ、再び鬼が姿を現すでしょう。

 ですが、心配することはありません。

 その時はわたしもまた生まれ変わり、再び鬼を封印しましょう。

 ですからあなた方は、わたしの生まれ変わりが巫女の修行を受けられるよう、神殿を造ってください」


 そのお告げに従って、王は昼夜を問わず深い霧に覆われた眠りの森の中に神殿を造らせた。

 これが東風出ずる国一の大神殿、ラクサ神殿の起こりである。

 巫女に小人のようなおともがいたり、逆に鬼将の方に部下が大勢いたり、巫女が優れた剣の遣い手だったり、鬼将に酒を飲ませて酔い潰れたところを封じたり、と物語によって細部は異なるが、おおまかなあらすじは大体このようなものだ。


 私は神殿に着いた後、不覚にも一時(ひととき)ほど眠ってしまった。

 神殿のもてなしは手厚く、報告という役目を終え、気が緩んでしまったのであろう。

 こうしている間にも都の者達は鬼の脅威と絶望にさらされていることを思えば、安眠をむさぼるなど言語道断のふるまいで慙愧の念にたえない。

 が、いまは私のことは置いて、ここで何が起こったのかを可能な限り記憶に忠実に記そう。

 私を揺り起こしたのは、タケサチヒコという名の若い神官だった。


「すみません。もう少しお休みいただきたいところですが、そうもいかないようです。

 ―――奴らがやってきました」


 その言葉に、私はとび起きた。

 タケサチヒコ殿に導かれ、私達は神殿の表へと向かった。

 てっきり、この神殿の内に陣をとって籠城戦を仕掛けるものと思っていた。

 しかし、神官たちは一人残らず外に出て、神殿へと通じる森の中に集った。

 人智を超えでた力を有する人外の化物相手には合理的な布陣かもしれない。

 げんに、我らが都でも、建物の中に籠ったまま為す術もなく壁を壊され、瓦礫の下敷きになって命を失う者が大勢いた。

 しかしそれ以上に、巫女殿のいる神殿には指一本触れさせまいとする覚悟が、その布陣からは感じ取れた。

 私はその最後尾にくっつき、全てを見届けさせてもらうことにした。

 神殿の方々には何度も逃げるように勧められたが、私とて剣の心得くらいある。

 いざという時は鬼の一体とでも刺し違えて、皆さまの足手まといには決してならないから、と強弁した。

 ともかく、全てを見届けねば気が済まなかった。


 最初に感じたのは異臭だった。

 吐き気のするような血の匂い。

 墓場のすえたかび臭さ。

 獰猛な肉食獣が発するような獣臭。

 それらが混ぜ合わされたような、ひどくむかつく匂いが鼻をついた。

 間をおかず、鬼どもが森の奥から姿を現しはじめた。

 都を襲われた時はその姿をゆっくり観察する暇などなかった。

 だが、ここでははからずも、こちらにやってくる鬼の姿をはっきりと観察しえた。


 何年経った後でも、その光景を思いかえすだけで全身が震え、怖気に胃の腑が縮みあがる。

 容易には形容しがたい醜悪な姿であった。


 形ある災厄、それがまさしく鬼である。


 鬼、と一口で言ってもその姿は千差万別だ。

 ヒトのように一つの頭と二本の腕、二本の足を持つものが大半だが、共通するのはそこだけだ。

 一つ目のものもいれば、大きな牙や角を生やしたものもいる。

 獣のような体毛を全身に生やしたものもいれば、火傷を負ってただれたような赤色の肌をあらわにしたものもいる。

 岩と金属を組み合わせたような、ほとんど無機質に近い姿のものもいる。

 総じて、ヒトとも獣とも似つかない、化物と呼ぶのにふさわしい姿であった。

 おびたただしい鬼が居並ぶその様は、この世の終わりを想起させるのに十分な光景であった。


 私は、かろうじてくずおれるのをこらえ、再び失神する失態だけはまぬがれえた。

 神殿の者達はさすがだった。

 緊張した面持ちながら、取り乱す者は誰もいなかった。

 タケサチヒコ殿が指示を飛ばし、巫女達が何かの呪文を唱和しはじめた。

 異形の者達に口上も宣戦布告もあろうはずがない。

 奇怪な吠え声を上げ、鬼は一斉に我々の元へ殺到した。


 霊的な事柄に心得のない私に、戦いの詳述は難しい。

 ただ私は打ち震えていた。

 恐怖にではない。


 感動によってだ。


 この凄絶な状況のさなか、私は心が震えるのをおさえられなかった。

 神殿の者達の戦いぶりは見事なものだった。

 彼らは誰一人絶望していなかった。

 我々俗世の武人も、圧倒的な敵を前に、討死を覚悟で主君を守り通すくらいの意地はある。けれど、彼らの姿はそんな悲壮感とは一線をかくすものであった。

 誰一人希望を捨ててはいなかった。

 自らの命を意味ないものとは、誰も思っていなかった。

 彼らの戦いは粘り強かった。


 勝つためではなく、負けないための戦いであった。

 術式と結界を用い、鬼を容易に近づけない。

 負傷した者があればすぐにさがり、治療を施す。

 代わりの人員がすぐに前に立ち、陣型を崩すことはない。


 おそらく破魔の霊力がこもっているのだろう。

 我らの長槍ではびくともしなかった鬼だが、彼らの振るう剣や弓に次々と倒れていく。

 無論、こちらに戦死者がまったくないということはない。

 鬼の膂力はすさまじく、腕の一振りでも直撃すれば即死である。

 加えて、口やてのひらから火球の術を生み出す鬼もいる。

 巫女達の結界をもっても全ては防ぎえず、直撃を受けて無残にも焼け死ぬ者もいた。

 だが、圧倒的な個の力の差がありながらも、数を減じているのは鬼の方が多かった。

 統率力では神殿の者達がはるかに勝っていた。

 もしかすれば、巫女殿が現れなくともこのまましのぎきれるのではないかとすら、私は思った。

 だが、それがあさはかな幻想であったことを、私はすぐに思い知った。


「なるほど、ここにヒトの巫女がいることは間違いないようだな」


 鬼達の群れの奥から、そんな人語が聞こえてきた。

 直後、生木を引き裂くような、すさまじい音がとどろいた。

 それは雷音であった。

 音とともに、閃光が散る。


 そして私は、本当の地獄絵図を目撃することになる。

 自然の雷ではありえない。

 邪悪な殺意を宿した電撃が神殿の者達を、またたく間に絶命に追いやった。

 黒焦げになった死者の名を叫ぶ悲痛な叫びが戦場に響きわたった。

 結界が崩れたためであろうか。残る鬼どもが殺到してきた。

 神殿の者達はたちまち劣勢にたたされた。


 そのとき、私は見た。

 群がる鬼の向こうにその姿を。

 雷を放ったのはその者だ、と私は直感的に確信した。

 俗人の私にも、それが他の鬼とは別格の存在であることは、容易に感じられた。


 青黒い肌に、六本の腕。

 その顔は醜悪な他の鬼どもとはかけ離れ、貴公子然としていた。

 両目の他に額にも第三の目があり、その三つの瞳は他の鬼よりも激しい破壊の衝動を湛えていた。

 その者だけは裸身ではなく、異国の王者のような金銀細工を散りばめた腕輪や首飾り、腰布、そして冠を身につけていた。


 伝説に云う鬼将とはこの者に違いない。

 それは戦場を見下ろし、鬼が神殿の者達を蹂躙しようとする様を、なぶるような目で眺めていた。まるで、ねずみを捕えた猫が、手を下せば命を奪えるのにそれをせず、どこまで抵抗してくるか観察して愉しんでいるような、そんな残忍な眼だった。


「みな、さがっていなさい」


 戦場に渦巻く狂乱と憎悪を洗い流してしまうような、凛と澄んだ声が響いた。

 決して大きな声ではないのに、その声は戦乱のさなかでも、戦場のすみずみまで届いた。

 直後―――、さきほどの雷にも負けない、すさまじい風の奔流がほとばしった。

 それは神殿の者達を一切傷つけることなく、鬼どもを薙ぎ払い、大きく後退させた。


 ほう、と低くうなり、鬼王がおもしろげに口の端を歪めた。

 あらたに戦場に姿を現したのは、神殿の長であるオグニ殿であった。

 神殿の者達が安堵の息をついたのが分かった。


「すぐに結界を立て直しなさい。あの者の相手は私がいたしましょう」


 オグニ殿は老齢をまったく感じさせない機敏な動きで前線に立つと、みなにそう指示を下した。

 その視線はまっすぐ、最奥の鬼将に注がれているようだ。


「大したものだ。ヒトの身でこれほどの術式をきわめたものは、そう多くはあるまい」


 再び鬼将が口を開いた。


「問おう。ヒトの巫女はこの神殿の奥にいるのだな」

「こたえる必要はありません」


 オグニ殿はどこまでも毅然として返す。

 問答はそれまでだった。

 再び鬼の軍勢が殺到する。

 そして、それを追い立てるように邪悪な雷が降り注ぐ。

 オグニ殿を中心とした神官たちの術式がそれと真っ向からぶつかりあう。

 霊感など持たない私にも、人智を超えた力と力がぶつかり、せめぎあっているのが、肌がしびれるほどはっきりと感じ取れた。


 だが、劣勢なのはオグニ殿の方だった。

 泰然とした面持ちを保ちながらも、押しつぶされるのをこらえるように両足を踏みしめ、その端からは血がにじんでいた。

 結界では防ぎきれず、何人もが再び雷で焼かれた。

 鬼の力に抗しきれず、押し殺される者達もいた。

 時間にすればそれはわずかな間だっただろう。

 だが、私には永遠に引き続く絶望の時に思えた。

 その時だった。

 私達の後方――、

 ラクサ神殿からまばゆい光が天に向かって立ち上ったのは。

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