第六場 迎撃準備

 使者の話はまたたくまに、神殿内を駆けめぐった。

 神殿の広間はたちまちのうちに、集った神官や巫女で埋め尽くされた。

 一番最後にやってきたのは、離れの工房から不自由な足を引きずってきたアシナヅチであった。


 そろいの神官衣と巫女装束に身を包んだ神殿の者達が一堂に会する様はなかなか壮観だった。しかし、彼らの表情はみな、暗い。

 使者の述べた鬼の脅威をささやきあっては、皆の前に立つオグニに不安げな視線をちらちらと送る。

 恐慌をきたしそうになるのを、皆が集うことでかろうじてこらえている、そんなありさまだった。


「しっかりなさい」


 オグニは居並ぶ一同を大喝した。決して声高ではなかったが、皆は雷に打たれたように身をすくめ、ぴたりと口を閉ざした。


「鬼は人の心を喰らいます。かように我らが心乱せば奴らに付け入る隙を与えるも同然です」


 と、その時、使者を休ませたタケサチヒコが広間に戻ってきた。


「オグニ様のおっしゃる通りです。都の者達は、私達に心の備えをさせるため、使者を遣わしてくださったのです。自らは鬼に襲われながら、です。

 その思いに応えなければなりません」


 神殿の長たるオグニともっとも若輩のタケサチヒコの双方にこのように言われ、神殿の者達も幾分冷静さを取り戻しはじめた。


「……それで、オグニ様。さきほど御使者殿におたずねになられていた、ゴトビキ岩というのは一体……?」


 巫女の一人が、疑問をこらえきれない様子で問う。

 使者との対面に居合わせた他の者達も同調するようにうなずき、オグニに視線を送った。


「この眠りの森を護る霧を生み出していた、霊力を宿した神岩のことです」

「……そのようなものが、都にあったのですか?」

「逆です。元々ゴトビキ岩があったところに、それを護るために都が造られたと伝承にはあります」


 オグニの告げた言葉に神官達はどよめいた。

 この眠りの森の霧が昼夜も季節も問わず決して晴れることがないのは、自然ならざる現象であることは誰もが知っていた。

 だが、それを発生させている霊具のようなものがあると聞いたのは初めてのことだった。

 長らく神殿で暮らすうちに、そのようなもの、と霧の存在も当たり前に感じていたのだ。


「しかし、その霧が急に晴れ渡ったということは……」

「ええ。鬼がゴトビキ岩を破壊したと見て間違いないでしょう。

 神岩は王城の地下に祀られていたと聞きます」


 ということは、王城も完全に鬼の手に陥落させられたということだ。

 皆は黙祷を捧げるように、いたましげに目を伏せた。


「ということは、我らに気づかれぬ間にゴトビキ岩を破壊し、眠りの森に侵入するのが鬼の企てだった、ということでしょうか」


 そう確認するように問うのはタケサチヒコだった。

 タケサチヒコは神殿の者達のために、事のあらましを語った。


 ごく微かな妖気を森の外れに感じたということ、そしてオグニと二人鬼を封じる洞穴に赴いたところ注連縄の封印が破られていたこと、さらにはその注連縄に鬼術の紋様がほどこされ、妖気を感知されるのを防いでいたということ、などをごくかいつまんで説明する。


「……つまり、鬼は眠りの森の護りを解き、我らがラクサ神殿に奇襲をかける気であったのか」

「ええ。そして、おそらくは混乱のうちにミコトをさらうつもりだったのでしょう」

「だが、それもタケサチヒコ殿とオグニ様が妖気を感じられたことで、未然に防げたわけだ」


 神官達は口々にタケサチヒコによくやったと言葉をかけた。

 だが、タケサチヒコはとても誇る気にはなれなかった。

 結局のところ、鬼が封印を解いたことに気づけず、王都をむざむざと陥落させてしまったのだ。

 鬼の方が一枚上手であったと言わざるをえない状況だった。


「それよりも火急を知らせてくださった、御使者殿の功績が大きいでしょう」


 タケサチヒコは謙遜でもなんでもなく、本心からそう返した。


「ともあれ、わずかなりともこうして鬼の襲撃に備える間がわずかなりともできたのだ」

「ええ。鬼の狙いも分かった以上、ミコトをどこかへ逃してしまった方がいいのではないでしょうか」


 巫女の一人の提案に、しかしオグニは首を横に振った。


「いえ。鬼が現れるのはもう間もないことでしょう。

 眠りの森の霧が晴れてしまった以上、鬼の目はあざむけないでしょう」


 鬼の中には優れた鬼術師がいる。巫女一人を追うくらい、難なくやってのけることだろう。

 そうでなくとも、使者の報告によれば百は下らない数の鬼の軍勢がいるという。

 ミコト一人で逃げるよりもむしろ、


「ならばこの神殿であの子を御守りするしかありませんな」


 神官の一人が髭をしごきながら、不敵に言う。

 最初の動揺からははや立ち直り、神官というよりも歴戦の武将を思わせる面構えであった。

 アシナヅチが目を細め、ことさら軽い調子でうなずく。


「さようさの。不謹慎かもしれぬが、この日が来たということは、わしらのかわいい天城ミコト、門出のめでたき日とも言える。笑顔で送り出してやらねばなるまいて」


 天城ミコト。その名が出たことで場の空気が一挙になごんだ。先程まで誰もが悲壮な顔つきであったのに、そこにはいない少女のことを思い、目を細めだす。


「かわいい子には旅をさせろというが、それは帰り着く故郷があっての云いじゃろうにのう」

「なにを辛気くさいことを。アシナヅチ翁が言うとおり、めでたき門出ではないか」

「あの子は今年で十か……」

「裳着というて、武家の娘は十二で成人すると聞くが、二年早いの」

「なに、あの子なら二年くらいなんということないでしょう」


 あるかなきかだが、笑みのようなものさえ浮かべている者もいる。

 不思議なものだな、とタケサチヒコはその光景を見ながら思う。

 ミコトはその場にいなくても、その存在だけでみなの心を明るく照らす。

 かくいう自分も鬼は怖ろしい。あの幼い巫女のためと思わなければ、いますぐこの場から逃げだしてしまいたいほどだ。


 だが、その顔を思い浮かべるだけで、迷いがすっと消えてゆく。

 一同の想いが一つに定まったのを見計らい、オグニは指示を出してゆく。


「皆の気持ちはよく分かりました。皆、最後の秘術の段取りは覚えていますね」

「無論ですな。いくらわしらが歳を取ったとはいえ、あれを忘れるほど耄碌してはおりませぬぞ」

「うむ。わしらの命は元よりそのためにあるのじゃからな」


 皆の決意を見てとったオグニは、もう一度順々に全員の顔を見つめ、うなずく。


「わたしはこれより、ミコトを試練の間へと連れてゆきます。

 アシナヅチ、皆に霊具を。

 わたしが戻るまでの指揮はタケサチヒコ殿にとっていただきます」

「わたしが……ですか?」


 思わぬオグニの指名に、タケサチヒコは疑問の声を上げた。

 タケサチヒコはミコトを例外とすれば、神殿でもっとも若い。

 この大事に指揮を執って、みなが聞くだろうかと不安に思った。

 だが、不満の声はどこからも上がらなかった。


「それがよかろう。わしら年寄りでは、こういう何が起こるか分からぬ事態には対処しきれん」


 アシナヅチが賛意を示すと、皆も次々にうなずく。


「分かりました。わたし達の目的は唯一つ。

 最後の試練を終えるまで、天城ミコトを魔の手から守り抜くことです。

 そのつもりで布陣を組みます」


 タケサチヒコの宣言に誰もが決然とうなずいた。

 自らの命を未来の礎に捧げることを選んだ者だけが示せる、決死の表情だった。

 タケサチヒコはみなの覚悟を全身全霊で抱きとめるように、重々しくうなずいた。

 が、ほんの少しだけ本来の柔和な表情に戻り、言う。


「みなの戦い方、役割は順次指揮させていただきます。

 ですが、鬼の妖気が感じられるまではまだ時間があります。

 まずは英気をやしなうこととしましょう」


 タケサチヒコの宣言に対するみなの動きははやかった。

 日常の作法も修行の一環とするラクサ神殿の神官と巫女達だ。最期の饗宴の準備はあっという間に整った。

 備蓄していた食糧はすべて使いきった。

 神官、巫女一人一人の手に清冽な水の注がれた杯が渡された。

 タケサチヒコはなんと音頭をとるか一瞬迷ったが、すぐに思いつく。


「我らの希望、天城ミコトの前途を祝して」

「前途を祝して」


 みなは、唱和し、高々と杯をかかげた。

 ラクサ神殿では肉食は禁じられていないが、特別の祝い事でもないかぎり飲酒することは滅多にない。

 それゆえ、清冽な井戸水は常の飲料ではある。


 しかし、皆が水杯を掲げるその様は、討ち死にを覚悟した籠城兵を思わせ見るも哀れであった。

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