第四場 凶兆
しかし、ミコトはやや心配げな表情になって、言う。
「そうだ。タケさん、師匠。なんだか、森、変じゃないかな。うまく言えないんだけど……いやなかんじがするの」
オグニとタケサチヒコは思わず顔を見合わせた。
眠りの森に漂う妖気はごく微弱なものだ。
タケサチヒコも勘違いかもしれない、といまでは思いなおしているくらいだ。
だが、ミコトも同じ予兆を感じていたらしい。
「それはわたしとタケサチヒコ殿で調べます。あなたはいつも通り、修行場にお行きなさい。わたしもすぐ向かいます」
オグニの言葉には、師としての命令の響きがあった。
それでもミコトは不安げにしばし逡巡する。
が、ややあって掌に抱いたひな鳥に目をやり「分かりました」と元気よく言って駆けだした。師への信頼もあるだろうし、ひなを早く巣に戻してあげたいという想いが勝ったのだろう。
「憐れみ深い、良い巫女に育ちましたね」
タケサチヒコがミコトの背を見送り、つぶやく。
「甘やかし過ぎたのではないかと不安になります。我々が付いていられる時は限られているのに……」
「それはオグニ様の責任ではありませんよ。神殿の者はみな、ミコトには甘いですから」
「あなたも同罪ですよ、タケサチヒコ殿」
間近でオグニの鋭い視線を浴びて、思わずタケサチヒコは肩をすぼめた。
が、すぐに真顔になり、問う。
「やはりオグニ殿も異変を感じましたか」
「無論です。これをごらんなさい」
オグニは白衣の襟元から水晶球のようなものを取り出した。その表面はモノクロの万華鏡のごとく、白や黒の紋様が浮かび、見てる間にも目まぐるしく移り変わっていた。
「霊球儀、ですか……」
タケサチヒコはその名をつぶやく。
ごくかすかにだが、嫌いな食べ物が食卓に並んだ時のような苦笑が、つぶやきには混じっていた。
霊球儀はそれによって周囲の霊力や妖力の移り変わりを読み解くための霊具である。
ただし、その紋様から霊力を判じるためには長い修練が必要となる。
天性の霊感を持つタケサチヒコも、霊球儀の読み解きはさっぱりで、ただ抽象的な模様がぼんやりと映っているようにしか思えない。
オグニもそのことは承知しているので、自ら結論を述べてゆく。
「どうやら、妖気の発生源は北東の方角、森の外れのあたりのようですね」
「なんと―――」
さりげなく告げられたオグニの言葉だったが、タケサチヒコは衝撃のあまりしばし言葉を失う。
オグニが述べた場所と方角がなにを示しているのか、よく知っているからだ。
「オグニ殿、それは鬼封洞になにか異常があったのでは……」
「ええ。ですが、感じられる妖気はごく微弱です。とても鬼のものとは思えませんが……」
封印が破られたわけではない、ということか。
しかし、タケサチヒコは不穏な予感を拭い去れなかった。
「ともかく、霊球儀から分かる情報はこれだけです。あとは行ってみるより他ないでしょう」
「分かりました。すぐに調査に向かいましょう」
「わたくしも参ります」
タケサチヒコは一瞬だけ意外そうに、オグニの顔を見た。
自分一人でおもむくつもりでいたのだ。
神殿の長たるオグニ自ら動くというのは、よほどのことだ。
妖気は微弱、とはいえオグニも何かしらの予感を抱いているのだろうか。
「分かりました、お願いします」
ともあれ、長の決定には従うまでだ。
タケサチヒコとオグニはほぼ並走するように駆けだした。
神官と巫女、という言葉から余人が想像するのとはかけ離れた、俊敏な動きだ。
歴戦の戦士や狩人もかくやという無駄のない、素早い走りだった。
ラクサ神殿の巫女、神官の修行は霊的な事柄に限らない。
肉体的な鍛錬も武道場なみに求められる。
立ちこめる霧も、深く生い茂った木々もものともしなかった。
神殿に入ってから、生涯をついやす森だ。
二人はもちろん、まだ幼い天城ミコトにとってすら家の庭先を走るようなものだった。
ラクサ神殿を遠く置き去りにし、昼を回るよりも早く、二人は森の外れに辿り着いた。
霧を抜けたその先、唐突に森は終わる。
そしてその先には、巨大な岩山があった。
岩のふもとには、まるで巨大な匙でくり抜いたような大きな空洞ができている。
それが天然の洞穴ではないことは、見る者が見ればすぐ分かるだろう。
岩肌は綺麗に削られ、意図的に均等な楕円を描いていた。
「む……」
洞穴の様子を目にして、オグニが微かに眉根を寄せた。
タケサチヒコの反応はそんなものではすまなかった。
さあっと顔から血の気が引き、立ちくらみを起こして、よろめく。
「なんということだ」
愕然とつぶやいた……。
洞穴には単純にして最も強力な魔を封じる霊力を持つ霊具―――
破邪の麻を封印の紋様で編み込み、さらに代々のラクサ神殿の長が霊力を注ぎこんだ品だ。
巨大な縄はぐるりと岩山をくるむように、洞穴の前に巻かれていた。
―――はずだった。
その注連縄が、無残にも真っ二つに分かれ、地に横たわっていたのだ。
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