第二場 東風玉

 世界の東の果ての果ての小さな国"東風出こちいずる国"のそのまた東に、広大な樹海がある。

 眠りの森、と呼ばれるその森には、巨大なかけ布団のような深い霧が昼夜を問わずたちこめ、決して晴れることがなかった。


 人跡未踏の秘境のごとき眠りの森だが、その奥深くには国内一の大神殿、ラクサ神殿があった。

 そこでは、常緑樹の木々と白い濃霧に抱かれるようにして、三十人ばかりの神官と巫女達がつつましく自給自足の暮らしを営みながら、修験にはげんでいた。


 神殿のはなれには、神殿内の日用品から儀礼用の神具までいっさいの製作を担う工房があった。

 石造りの荘厳な本殿に比べて、あまりに粗末な、木の柱と土塀を組み合わせただけの掘っ立小屋と呼ぶべき建物で、その中も、暗く、狭い。

 幾度となく建て直しが提案されたのだが、その都度工房の主が「狭い方が落ち着くし不自由ない」とかたくなに主張したため、最低限の修繕にとどまっている。


 その暗く雑然とした工房を、炉の炎が目に痛いほど赤々と照らす。

 小屋の四分の一ほどの場所を占める大きな炉は、工房の心臓であり、魂でもあるといえた。だが、この時炉を使う男は、工房の主ではなかった。


 焔に鉛の棒を差しいれ、一心不乱にその先を見つめている。

 年の頃は二十代半ばといったところ。青年と呼ぶには成熟した若者であった。

 丈高く、眉目秀麗だが、たくましいというよりも、柔和な印象の面持ちだった。

 その優しげな顔に前髪がべっとり貼りつき、諸肌脱いだ全身に滝のような汗をかいていた。


 若者は名をタケサチヒコという。

 ラクサ神殿で暮らすもっとも年若い神官だった。

 流れる汗も拭わず、真剣な面持ちで炉の内を見つめ、ゆっくりと両腕に握りしめた棒を回す。


「うむ、もうよいじゃろう」


 かたわらでその様子を見つめていた老人が、しわがれた声でタケサチヒコに合図を送った。

 この老人こそ、工房の主アシナヅチ翁であった。

 タケサチヒコは炉の奥を見つめたまま無言でうなずき、鉛の棒をそっと炉から引っ込め、アシナヅチに手渡した。


 棒の先端には球状になった瑠璃の玉が貼りついている。

 熱し切った瑠璃は灼熱の輝きを宿し、まるで小さな日輪のようだった。


 アシナヅチは長年の工房生活で全身しわがれ、森の中にいれば木の棒と見まごうような老人だった。

 両の瞳は失明寸前までかすみ、足もなえて、杖なしで歩くこともかなわない。

 しかし、淀みなく芯棒から瑠璃の玉を抜き取り、細い金糸をくくりつける姿には、熟練の職人のみが醸しだせる洗練された美しさがあった。

 熱が冷めるにつれ、瑠璃の玉は爽やかな小春の空を思わせる蒼色へと変わり、白い縞模様が魔法のように浮かび上がる。


「よかった……できました」


 それまで真剣なまなざしで瑠璃を見つめていたタケサチヒコが、安堵の声をあげ、端正な顔をほころばせた。

 アシナヅチもいかにも好々爺然とした笑みを浮かべ、うなずいてみせる。

 玉の表面をさっとみがき、最後の仕上げを手早くすませ、金糸を首飾り状に結びつけ、タケサチヒコに渡しかえす。


「よくやったの。はじめてにしては上出来じゃ」


 瑠璃の玉は、春の空に東風がなびくような形状から東風玉こちだまと名づけられていた。

 東風出ずる国で採れる特殊な瑠璃でしか作れず、特産品としてこの国の者に親しまれていた。

 瑠璃の塊を鉛の棒に貼りつけ、あぶるように焔の中で溶かして東風玉は作られる。単純な行程のようだが、それゆえに奥深く、熟練工のアシナヅチが作ると、まるで本物の大空を球状に閉じ込めたような迫力ある作品となる。


 タケサチヒコの手にした東風玉はそれとは比べられぬほど稚拙で、玉はところどころ表面が歪んでいて、白い模様もとぎれとぎれだった。

 それでも、自分で作った東風玉を手にしたタケサチヒコの顔は誇らしげであった。


「無理を言って工房を貸していただき、ありがとうございました」


 工房の心臓であり、職人にとっては神聖なものである炉を、素人の東風玉作りに快く使わせてくれた工房の主に対し、タケサチヒコは深々と頭を下げた。


「なんのなんの。真面目なお前さんが突然東風玉を作らせてくれ、と言った時には驚いたがの。はて、なにかの記念日じゃったかの」

「あ、いや、そういうわけでもないのですが……」


 あの子に贈りものをしよう。

 それも手作りの品を。

 そう唐突に決めた動機を、タケサチヒコ自身も分かりかねていた。

 何故だか突然に、そうしなければならないという焦燥感に駆られたのだ。


「ふむ、霊感の強いお主のことじゃ。なにかしらの予見をしたのかもしれんの」


 答えあぐねていると、アシナヅチは一人で結論づけ納得したようだった。


「この東風玉にもお主の心情がよう表れておる。

 相手のことを愚直に気遣いながら、心配で心配でたまらないという、過保護な心がの」


 そんな風に評され、タケサチヒコは気恥ずかしそうに頭を掻く。

 その様子を楽しむアシナヅチの視線をかわしたかったが、狭い工房内では逃げ場もない。

 アシナヅチが言うとおり想いが東風玉に表れているかどうかは分からないが、焔を見つめている間、この玉を贈る相手のことを一心に案じていたことは事実だった。


「む」


 と、東風玉を見つめるアシナヅチが難しい顔をしてうなった。


「この球、霊力を宿しておるの」

「ええ!?」


 言われて、タケサチヒコも球を注意深く手に取る。

 確かに、自分のつくった東風玉からじんわりと熱がにじむような気配がした。

 まるで、神殿に伝わる祭器を手に取ったようなような厳かな感覚だった。

 けれども、タケサチヒコには霊術の類を用いた記憶はない。

 ただアシナヅチの指導のままに球を作っただけだ。


「なに、そう不思議なことではあるまい。一心不乱の念を込めて作った品が霊力を持つことは稀にある。しかも、お主は稀代の天才神官なのじゃからな」

「そういうものでしょうか。ですが、霊具となってしまったのなら、これをあの子に贈っていいものか……」

「心配いるまいて。お主があの子を護りたいと思う気持ちが霊力となったのじゃ。

 万が一にも、持ち主を害することはあるまい。

 それどころか、その念がきっとあの子の力となることじゃろう」

「それなら良いのですが……」


 タケサチヒコもアシナヅチの太鼓判に表情を和らげる。

 なにせ、相手は神殿の物作りのプロフェッショナルなのだ。

 その言葉には大いに説得力があった。

 この贈り物が自分の代わりにあの子の力になる。

 そう思うと、なんとはなしに心が弾む心地がした。


「それと関係あるのか分かりませんが、森でごくかすかに妖気を感じた気がします」


 タケサチヒコのその言葉に、二人の間を流れる空気が一変した。

 アシナヅチは笑みをかき消し、眉根を寄せる。


「ふむ。おぬしが言うならたしかなことかもしれぬの……」

「ええ、もしやとは思いますが……」


 二人とも、何かを予感しつつも、その先を言うのをはばかるように、語尾を濁す。


「明朝、森の中を見回ろうと思います。なにか兆候を見つけられるかもしれません」

「うむ、それがよいかもしれんな」


 重々しくアシナヅチはうなずき、うたた寝するように腕を組み、目を閉じた。

 が、一瞬、気づかわしげに片目を開き、タケサチヒコに目線を投げかけ、言う。


「のう、お前さんだけでも逃げてはどうじゃ」


 タケサチヒコは困ったような微笑を返すだけだった。


「わしらはもう十二分に生きた。じゃが、お主はまだ若い。わしらと命運をともにすることはなかろう」

「お心遣い感謝します、アシナヅチ殿」


 タケサチヒコはやんわりと言う。その口調は柔らかかったが、ひるがえしえない決意の色がにじんでいた。

 アシナヅチもそれ以上言いつのろうとはしなかった。

 タケサチヒコは深々と一礼して足早に工房を去った。

 作ったばかりの東風玉の紐を我知らず、強く握りしめながら。

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