5-14
鉄製の筒から打ち上げられた花火玉が風音に負けじ、ヒュルヒュルと奇妙な音を立てながらまっすぐに上空へと昇っていく。
シオリカは一心にそれを見上げ、その瞳に強い祈りを込める。
――――お願い、どうか大きく開いて。
火薬の主な材料となる硝石の精製方法はぱびりおんで調べた。
原料として当初は家や蔵の床下にある乾燥した土を使ってみたけれど、煮出して採れる硝石の粉はほんの微量に過ぎなかった。また一人で集められる土の量などたかが知れているし、それを怪しまれずに保管する場所もなく、結局はその方法を断念せざるを得なかった。そこでアリスに問い掛けさらに調べてみると古代でかつてニホンと呼ばれていたらしいこの国で開発された培養法というものなら自分にも出来そうな気がした。
ムサシノの森では最近になって養蚕という一種不思議な製糸産業が生まれていた。
では、それがなぜ不思議かといえば所以は蚕という虫にある。
なんでも一見なんの変哲もないその蛾の幼虫は文明崩壊の難を逃れて古代から連綿と飼育を受け継がれてきた虫で嘘か誠か自然界には存在しないものなのだというのだ。信じ難い話だが現に王宮の技術者が似た羽虫で何度試してもそれらの繭からでは糸どころか短い繊維を紡ぐことさえ適わなかったらしい。
そういうわけで西国において今以て蚕はどうやら基本的に門外不出の昆虫であるという。
ムサシノにその奇特な虫が持ち込まれたのは十年ほど前のことだ。聞くところによるとどうやら西方で勃発した内戦から落ち延びてきた難民が移住を認可してもらう引き換えにとその蛾のつがいと製糸技術を王宮に献上したのだそうだ。
絹は金になる。
そこで王宮は生糸産業を促進するべく、まずはその虫を増やし、それから森に虫の餌となる桑の畑と養蚕施設をいくつか設けた。そして数年の試行錯誤の末、ようやくここ最近になって製品として形を成せるようになった。
シオリカも王宮を訪れた際、ムサシノ産の糸で縫製された衣服を見せてもらったがそれらの布地はなんとも艶やかで滑らかな光を放つそれは美しいものであった。
さすがに感嘆を漏らし、見惚れているとそばに立つ父セギルが「どうだ、おまえも着てみたいか」と嬉しげに耳元で囁いた。
当然、頷いた。
美しい衣を纏ってみたいというのは女としての根源的な願望だろう。
けれど実のところシオリカはそのときにはすでに別のことを思案していた。
数日後、シオリカは王宮の命のもと養蚕を手がけている農家に出向いてこう切り出した。
―――― 蚕の糞を譲って欲しい。
余程、奇妙な頼み事に思えたのだろう。
その農家の主人は真剣な表情で頼み込むシオリカを不審げに見つめた。
それもそのはず、蚕の糞など畑や果樹園の肥料ぐらいにしかならない。それに肥料なら腐葉土と人や家畜の糞を混ぜたもので十分に事足りるのでどう考えてもわざわざ蚕のものを使う必要などないのだ。どんな目的があってそんなものを欲しがるのか不思議に思うのも当然のことであっただろう。
壮年の男が訝しげな顔を捻るとシオリカは慌てて懐から取り出した小振りな布袋を差し出した。
「あの、少ないですが銀貨五枚でいかがでしょうか」
たいした額ではないが捨て場所にも困るゴミ同然の蚕の糞には破格の値であった。
それでも主人の男はいかにも胡散臭いといった表情でひとしきりシオリカを見遣っていたが、やがて苦笑いを浮かべて腕組みを解くとその小袋を受け取った。
「まあ、別にかまわんよ。好きなだけ持って行きな」
シオリカはいくつかの大きな麻袋に詰めたそれを自宅の近くの森に運び、密かに耕していた場所に綺麗な層にして埋めた。そして出来るだけ湿気が届かないようにその上に木材を組み上げて広い屋根を作った。
アリスによれば土中で寝かせた蚕の糞を用いる培養法は家屋の床下の土に比べて数倍の効率で硝石を精製できるらしい。
そして根気よく待つこと約五年。
シオリカは掘り出した土と乾燥させた堆肥、そして灰汁を大鍋で煮てようやくまとまった量の硝石を抽出することに成功したのだった。
しかし花火作りの苦労はそれだけに留まらなかった。
硝石だけではただの火薬しか作れない。打ち上げたところで爆発して終わりだ。
それを花火とするには火薬の色付けを行う必要がある。
古代の打ち上げ花火にはさまざまな色合いのものがあったらしい。
赤、青、黄色、緑、紫、そして白。
色とりどり、形状もさまざまな花火が夜空で炸裂する映像を目の当たりにしてシオリカは何度もため息を吐いた。
さすがのシオリカでもアリスが説明するその成分についてはそのほとんどが珍紛漢紛で理解が追いつかなかったのだ。けれどその中にひとつだけシオリカにも手に入れられそうな原料があった。
―――― あるみにうむ。
火薬にその金属を混ぜると真っ白な花火ができるという。
古代国家ではあるみにうむは貨幣金属として使われていたという。
そしてその貨幣が映し出された途端、シオリカはこれだと思わず手を打ったのだ。
シオリカもよく見知った親指の大きさほどの薄っぺらな円盤状の金属。数千年前のこの国でイチエンダマと呼ばれていたらしいそれはムサシノの点在する遺跡や開墾された地中から多く出土していて、さして珍しくもない代物である。
またこの時代においてあるみにうむはそれほど重宝される金属ではなかった。軽量で熱に溶けやすく加工もしやすいが、それだけに武器や農具、あるいは建材には脆弱すぎて向かないし、またあまり美麗ともいえないため宝飾品にもならない。なので現代では無用な金属としてほとんど誰も見向きもされず、工房でもまるで厄介者のように袋詰めにされたものが納屋の奥に押し込まれていることをシオリカは思い出したのだ。
あれなら多少減っても誰も気が付かないだろう。
シオリカは父親や工房の人間に見つからないように小袋ひとつほどのイチエンダマを持ち出し、時間をかけて丹念にヤスリで削って粉末にした。
他にも硫黄や木炭など手に入れられるものを集め、こうしてシオリカは基本的な打ち上げ花火の材料をようやく全て手にいれることができたのだった。
そしてぱびりおんで仕入れた知識をもとにそれらを混ぜ合わせ、捏ね上げ、乾燥を繰り返し、紙で包んで丹念に作り上げた花火玉は、それでもようやく今、打ち上がったたったひとつだけである。無論、試し打ちを行う事もできなかった。
だから今、シオリカは白線を描いて上空に昇っていく火の玉を見つめて祈るしかない。
この花火玉が上空で真っ白な大輪を咲かせることを。
そしてその光がチリの姿をしっかり照らし出してくれることを。
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