5-12

 チリは生きている、絶対。


 ゼノの背中を追い、やぐらから急ぎ足でこの岩礁地帯に着くまでの間、そのシオリカの確信が揺らぐことはなかった。


 バルタに告げたとおり、感じるのだ。

 気配ではない。

 チリの鼓動を、その命が宿す息吹をシオリカは全身で感じ取っている。


 この近くにいる。

 けれど正確な場所までは分からない。

 だから私は今ここで……これを使う。


 その決断と覚悟はシオリカの全身を強張らせる。



 あの日、チリと一緒に狩りに出かけた森の奥。

 そこにひっそりと隠れたたずんでいた巨大な古代遺跡。


 幼かった私は危険を顧みることなく何度も一人であの場所を訪れては探り、やがて何度目かの探索でようやくその入り口を見つけた。それは灌木や草の蔓に隠された人ひとりがようやく通れるぐらいの岩の裂け目だった。怖気づきながらも全く光のない暗闇を岩壁に手を這わせて進むとやがて広い洞窟のような所にたどり着いた。

 奥に一点、ほのかな緑色の光があり、近づくとそれはやけに平坦な壁に埋め込まれた手のひらほどの真四角な板であった。そしてさらに目を寄せると光を放つその板には古代文字が記されていた。

 

 ためらいつつもそれを指先で押すとどこからともなくやや無機質な女性の声が聞こえてくる。


 ―――― そうすこおどをしょきかします。


 意味不明な単語の羅列。けれど言語の形態は同じだと分かった。

 次いでこれまで耳にしたことのない甲高い音がいくつか鳴り響き、再び声が放たれて辺りにこだまする。


 ―――― にんしょうしました。けんげんがふよされました。


 その不可思議な声に恐れをなした幼いシオリカは思わず両手で耳を塞ぎ、目蓋をギュッと閉じた。そして身を縮ませてその場にしゃがみ込むとその時、微かながら金属が擦れ合うような音が聞こえてきた。また低く唸るような音もそれに続く。


 恐るおそる顔を上げた。

 するといつのまにか目の前に真っ白な光の世界が蓋を開けていた。

 あまりの眩さにシオリカは咄嗟に手庇しを作り、ひとしきり目を眇める。

 そして再びゆっくりと目蓋を開いたシオリカは自分の視界に映る光景が現実とは信じ難く、瞳を大きく見開いたまましばらく身動ぎもできずにいた。


 それはまさしく生き残った古代文明そのものであった。


 開いた扉の先にある空間はおよそ王宮の練兵場ほどもあり、その広々とした室内全体が目も眩むような光で満たされていた。また光の下には大小さまざま無数の透明な箱がそれぞれ腰高の台に据えられ、それが幾列にも並んでいる。

 シオリカは震える足を両手で支えてなんとか立ち上がり、まるで吸い寄せられるように室内へと足を進めた、そのときだった。


「ようこそ、未来の人よ。ここはです。あなたは記念すべき第一のです。これより先、あなたの承認がなければ如何なる者もを許可されません」


 どこからともなく響いてきた明朗極まるその女性の声にシオリカは足をすくませた。


はすでに登録認証されています。これよりを確認します。あなたの氏名をお答えください」


 半ば意味不明な文言に呆然と立ち尽くして黙っていると再び声が放たれた。


「繰り返します。あなたの氏名をお答えください」


 その温度が感じられない機械的な声に迫られ、体がビクリと反応した。


「シ、シオリカ・マミヤ。私の名前はシオリカ・マミヤ」


 慌てて声を上擦らせるとわずかに間をおいて音声が響いた。


「初めましてシオリカ・マミヤ様。わたくしの案内役を務めます『アリス』です。以後、希望は全て私にご命じください」


 興奮の余り、高まった心臓の音が鼓膜にまで響いた。

 頭の中では別の自分が「危険だから今すぐ立ち去れ」とけたたましく警告を鳴らしていた。けれどそんなものはごくわずかな時間で立ち消え、そして溢れ出してくる興味が軽々と畏れを退けた。

 シオリカはいつのまにか貪るようにひとつひとつの箱を覗き込んでは見て回っていた。透明な箱が置かれた金属製の台はシオリカが近づくとうっすらと輝き、また次いでひとりでにアリスが喋り始める。


 たとえば小さな箱に入れられたそれは自分の手のひらよりも少しだけ幅広の薄っぺらで表面がつるりとした金属板のようなものであった。


「これは初期のケイタイデンワです。あっぷるしゃが開発、流通したケイタイデンワは全世界的に爆発的な売り上げをキロクし……」


 ケイタイデンワという単語さえ初めて耳にするものであったけれど、アリスの流麗で淡々とした説明を聞くにつれどうやらそれが古代人たちが遠く離れた場所で会話をしたり、観ている景色や情報を共有していた道具だということはなんとなく窺い知れた。


「こちらは家庭用小型です。2052年、であるヨツビシジュウコウギョウが開発したこの製品により危機的状況にあった世界の枯渇事情は一変しました。以後、人類はに繋がるや非効率的な自然に頼ることなく……」


 シオリカが前にした透明な箱の中に流線型の管がいくつも絡みついた銀色の四角い物体が据えられていた。腰を屈めたシオリカがギリギリ収まるかどうかといった大きさの丸みを帯びた箱のようなそれはシオリカの瞳になぜか少しばかり禍々しく映った。


 シオリカは時間が過ぎるのも忘れておびただしい数の古代科学の陳列を覗いて回った。おかげでその日は家に帰るのが日も暮れ切った夕刻となり、父のせギルにこっぴどく叱られてしまったことは云うまでもない。

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