5-3

 梯子を登り終え、櫓の板敷きに足をつけた男はそこで仁王立ちになった。

 長身である。おそらくはヨシアと同等か、それ以上。

 しかも首は太く、肩幅も広く、袖から突き出した二の腕はゼノのそれに勝るとも劣らない隆々と引き締まった筋肉を孕んでいる。

 ゼノは右足を一歩引き、低く身構えた。

 

「誰だよ、あんた……」


 睥睨するその鋭い眼光。

 対峙するだけでビリビリと響いてくる気の力。

 身を強張らせてしまうほどの圧倒的な威圧感。

 この男は恐ろしく強い。

 ゼノは無意識のうちに記憶を浚い始める。

 かつて同じような圧を感じたことがあったと思う。

 あれは確かドラグイ討伐のとき……。

 すると曖昧な記憶がフッと鮮明な像を結び、その刹那、瞠目したゼノの口から思いがけない名が零れ落ちた。


「ソルト……さん」


 その呟きに近い声に男の表情が訝しげに歪む。

 

「おっと、懐かしい名だが、あいつと見間違われるのは少々癪だな。よく見てみろ。俺の方がいくらか男前だろう」


 そういって男が不敵な笑みを浮かべたそのとき、ゼノの背後でシオリカが凍りついたような声を震わせた。


「お、お父さん、……どうしてここに」


 すると男は声の方を睨み据え、豊かな顎髭を従えた唇をいかにも不機嫌そうに引き絞った。


 ゼノはゴクリと唾を呑む。

 シオリカの父親……ということはこれが森の工房の棟梁、セギル・マミヤ。

 兵役時代は数々の戦功を立て、何度も王宮に士官を求められたがそれをことごとく辞退したと聞く。

 なるほど、それで纏う空気感がソルトさんに似ているというわけか。

 ゼノがそんな得心を胸にやおら振り返るとザン爺の肩口からシオリカが青褪めた顔を半分だけ覗かせていた。


「どうしてだと。おい、不良娘、この際だから教えてやる。こんな嵐の夜に子供が家に帰って来なけりゃ親は心当たりを虱潰しに探し回るモンだ。よく覚えておけ」


「……はい、ごめんなさい」


 怖じた声でそう謝ったシオリカの体からは、湯気のように昇り立たせていた青白い光が跡形もなく消えている。

 こうして見れば確かにただの年端もいかない少女だ。

 滑稽なほどに怯えたその姿にゼノは可笑しみと安堵を感じずにはいられなかった。


「まあ、とはいえ浜へ遣いにやったのはこっちだからな。責任は俺にもある。大方また身の程知らずのお節介を焼いているんだろうとは予想が付いたが、いやさすがにコイツは想定外だったな」


 誰に向けるともなくそう言い放ったセギルはおもむろな足取りでエルキ発生器のそばに歩み寄った。そして呆然として手の止まりかけたヨシアに代わってハンドルを持ち、片手で造作もなくそれをグルグルと回し始める。

 

「ふん、まったく。ろくでもないモンばかり作りやがって」


 ため息まじりに野太い声を放ち、その目線が再びシオリカへと向く。

 するとヒッと小さく悲鳴を上げて幼い子供のようにギュッと目を瞑ったシオリカの代わりにザン爺が嗄れた声を返した。


「久しいのう、セギル」

「ああ、ずいぶん無沙汰をした。しかし見たところ爺さんも達者なようで何よりだ」


 ザン爺はその皺深い顔をくしゃりとほころばせる。


「達者なもんかよ。すっかり老いぼれてしもうたわ」

「その口が利ければ、まだしばらくは大丈夫そうだ。ふふ、安心したぜ」


 セギルはそう挨拶をし終えると次いで「ふん」と下腹に気合いを込めた。

 するとハンドルの回転が信じがたいほどに勢いを増す。するとそれにつれてゼノが右手に提げたレイトが櫓の床を白く煌々と照らし出した。


「おい若造、お前がそいつの係をしろ」

「は? え? お、俺っすか」


 つっけんどんな命令にヨシアがあたふたと指先で自分の顔を指した。


「バカやろう、若造はおめえしかいねえだろうが。ボサッとせずにさっさとやれ」

「は、はいぃ!」


 ヨシアは返事とともにゼノの手からレイトを奪い取ってツンのめるように海側の板壁へと向かった。


「事情はさっきマルスの婆さんに聞いてきた。寄合所に詰めていた浜長は森の民には言えねえの一点張りで話にならんかったからな」


 凄まじい速さでハンドルを回転させながらセギルが言葉を続ける。


「そういえばチリにもしばらく会ってねえな。どうだ、ザン爺、そろそろソルトの奴に似てきたんじゃねえのかい」

「ふふ、まあのう。顔つきはそれで文句ないが、無鉄砲なところまで似てしもうてちょっとばかし困っとるわい」

「ふはは、そうみたいだな。けど、そりゃあ爺さんから引き継いだ血筋だろう。まあ仕方ねえんじゃねえか」

「そうじゃのう。まあ、仕方がないかのう」

 

 ザン爺が苦い顔をしてその萎れた肩を窄ませるとセギルは向き直り声色を変えた。


「あんた、名は」

「ゼノです」

「それじゃゼノ、ちとすまねえがウチのバカ娘をあそこに連れて行ってやってくれねえか」


 そう言ってセギルは岩場の方に顎先を泳がせる。

 その申し出にさすがに面食らったゼノは思わず返す声を上擦らせてしまった。


「え、いやしかし、あそこは岩場で夜目が効かねえと危ない……」

「ああ、承知の上さ。けどな、それこそ誰に似たのか知らねえが娘はバカに加えてとびきりの頑固モンなんだよ。どんなに止めても飛び出して行っちまうに決まっている。それならゼノ、父親としてはあんたに着いて行ってもらった方が安心だ。頼む、後生だ」


 そう頭を下げられてゼノはほとんど無意識に頷いた。


「……お父さん」


 振り向くといつのまにかゼノの隣にシオリカが立っていた。


「ありがとう、お父さん」

「ふん、礼なんかほざいてる場合か。とっとと行ってチリを引き上げてこい」

「うん!」


 そしてシオリカが駆け出し、縄梯子に片足を掛けたところでセギルが思い出したように声を放った。


「ああ、それとな……」


 シオリカが足を止めるとセギルはハンドルを両手で握ってニヤリと笑みを浮かべた。


「やっぱりこいつは少々重すぎるぜ。事が済んだら俺が改良してやる。それまでに図面を用意しておけよ」


 その言葉に目を丸くしたシオリカはすぐにパッと顔を輝かせて「うん!」ともう一度頷いた。

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