4-7

 ゼノは人それぞれが持つ微かな波動を色で感じることができる。

 それはきっとこれまで他人の目の奥にある自分の像を見透かそうとして生きてきたせいだろう。


 自分に益も害もなさないものは無色。

 自分を蔑む者の色は黒。

 懐柔しようとするものは紫。

 反発するものは赤黒く、嘘をつく者は灰色に見えた。


 それらはたいていの場合、ぼんやりと燻んでいる。

 まるで海月や海鼠なまこの色のように。

 

 だがしかし、それらを超越した極彩の波動を放つ人間が稀にいる。


 なかでも特にゼノの心に深く刻み込まれて離れない色がある。


 それは大婆様マルスが纏う海の底から湧いてくるような深い蒼。


 戦姫レスカの全身からほとばしる焔の如き緋色。


 そして狂乱の悪魔でも微笑ませてしまいそうなユリカナの山吹色。


 なぜ、そのような波動を持つ者が皆、女であるのかは分からない。

 けれどいずれの光も目が眩むほどに鮮烈でありながら優しく包み込まれていく感触を合わせ持つ。

 そしてそんな光に当てられる度、ゼノは母の胎内の記憶を呼び起こされるような不思議な心持ちになるのだった。


 凛とした立ち姿を見せているシオリカからはレイトと同様の青白い閃光が波打つように放たれている。

 それは火時計がゆらめき灯す炎の照度よりもずっとずっと明るく、ゼノの瞳にはまるで夜空に輝く満月の如く眩い。

 その美しい光に知らず見惚れているとシオリカが不意に首を傾げた。


「あの、ゼノさん、どうかしましたか」

「いや、すまない。なんでもないさ」


 あわてて目を逸らし板壁を背に座り込むと、ゼノは照れを隠すように声を放った。


「おう、バルタ、おめえの番だぜ。気合い入れていけ」

「わあってますって。見ててくださいよ。ゼノさんより強い光を出して見せますから」


 そうおどけたバルタからレイトを受け取ったヨシアがわざわざ憎まれ口を叩いた。


「んなこと言って、相当へばってんじゃねえの。足許がふらついてるぜ」

「んだとぉ、どこがふらついてるってんだよ。てめえこそ目が霞んでんじゃねえか」


 ダンダンと足を踏み鳴らすバルタとそれを迎え打つように背筋を張るヨシア。

 飽きもせず突っかかる彼らにシオリカが明るい声を上げる。


「良かった。二人ともまだまだ大丈夫そうですね。では次から特別にハンドル係を長めにやってもらうことにしましょう」


「あ、いや、ちょっと待ってくれよ。そりゃねえぜ」


 バルタが慌てて真顔を振り向かせた。


「そうだよ、シオリカちゃん。さすがにそりゃないって」


 続いてヨシアも引き攣った愛想笑いを作る。


「ふふ、冗談ですよ。でも、次やったらきっちり五分増やしますからね」


 そう言って微笑むシオリカに二人は青ざめた表情でしっかりと肯いた。


 その様子に頬を緩めたゼノは改めて思う。


 不思議な娘だ。

 ヨシアはともかく、出会って数時間しか経っていないバルタをこうも容易くあしらってしまうとは。

 しかもシオリカは森の民だ。

 当然、自分たちと彼女の間にはわだかまりによる深い溝があるはず。

 それなのに今、この場においてそんなものはとっくに霧散してしまっている。


 ゼノは一度軽く頭を振り、それからゆっくりと腰を浮かせる。


「おまえら、いつまでも戯れてんじゃねえ。そんなことじゃいつまで経ってもチリに光が届かないだろうが」


 張り上げた野太い声にバルタとヨシアが首をすくめた。


「オ、オッス」

「り、了解ッス」


 返事を重ねた二人を睨め付けると、その傍らに立つシオリカの立ち姿が目に入った。


 彼女の輪郭から放たれる揺らぎのないまっすぐな光。

 澱みなく澄み切った青白い光。

 見詰めていると己の中の穢らわしい部分が浄化されていくような感覚がある。


 ゼノはわずかに眉を寄せた。


 この光は危うい。

 そして脆い。


 どういうわけかそう直感した。


「あ、あの、ゼノさん。どうかしましたか。さっきからおかしいですよ」


 いつのまにか目のまえにシオリカがいた。

 その表情には困惑した色が見える。

 ハッとした。

 自分はバルタやヨシアを睨んだ目つきのままシオリカを見詰めてしまっていたのだろう。

 

 我に返ったゼノは彼女から目を逸らし、海辺側の板壁へとあわてて身を寄せた。

 そして暗黒の海に目を凝らしながら、苦し紛れにいつにない多弁を背後に向ける。


「い、いや、なんでもない。それよりだいぶ風が収まってきたな。沖の波も多少は落ち着いてるかもしれねえ。チリの舟が持ちこたえてくれてりゃいいんだが」


 するとわずかな沈黙の後、シオリカの声が真横から聞こえた。


「チリは大丈夫です。必ず帰ってきます」


 顔を向けると闇をどこまでも貫こうとする真剣な瞳がそこにあり、そして彼女から放たれる光がより一層勢いを増して見えた。

 ゼノは海に目を戻し、呟くように云う。


「そうだな。あいつは大丈夫だ。その加護を目印に戻ってくる」

「加護……? ああ、レイトの光のことですね。ええ、きっと光を見つけて帰ってきます。このムサシノの浜に」


 ゼノは軽く肯き、シオリカに見えないように頬を緩めた。


 バルタが掛け声とともにハンドルを回し始めた。

 そして地鳴りのような音が高まると、レイトが発する真っ直ぐな光跡が闇の海原へと伸びていく。


 そうだぜ、チリ。必ず戻ってこい。

 この加護を守るのはおまえの役目だ。

 くたばったら承知しねえからな。


 そのゼノの声なき叱咤は青白い光線に乗ってはるか沖の波間へと消えていった。

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