3-17
ムサシノの森は点在する遺跡に広大な樹木の覆いを被せたような景観をしている。
古代の建造物はカーリオなどと共に地中深くに埋もれていて人の目に触れることはないが、ただ地層変化の加減によるものなのか地上にその形状を残しているものも少なからずあり、それらを人は遺跡と呼んでいる。
とはいえその大部分はあらかた崩れ落ちて、言うなればただの瓦礫に他ならない。けれど少数ながら驚くほどに原型を留めている遺跡もあり、さらに稀ではあるがそれらが集中して地表に顔を出している奇所もある。
この時代、そういったいわば古代文明の残滓を拠点に街を造っていくのが常であり、ムサシノ王国も例外ではなく十分過ぎるほどにその恩恵を享受している。
遺跡では保存状態の良い古代カガクの遺物や古文書も多く発見される。
古代はいざ知らず、カガクは民草のものではない。
それらは効率よく他国を侵略するための道具であり、あるいは国を守る鉄壁の盾として利用されるものだ。
小国であるムサシノが近隣の強国と対等な同盟を結べている要因はまさにその類を見ないほど豊富に備蓄された古代カガクを恐れられているからに他ならない。
それほどまでにカガクという遺物は力の根源を示すものであり、それゆえにムサシノ王宮は数十年も前から大掛かりな調査団を組んで森を含む全ての領地を隈なく探索し続けたのだ。
そして支配の及ぶ範囲にはもはや未知の遺跡はないとして調査を打ち切ったのはもう二十年以上も前のことになるという。
そのはずなのに……。
シオリカの見立て通り、これが古代遺跡だとすれば王宮が見落としていたということになる。
けれどそんなことが本当にあり得るのだろうか。
何十年にも渡り、目を皿のようにして探索を続けた王宮直属の調査団がこんな巨大な遺跡を発見できないなんて。
チリは思わず唾を呑み込んだ。
とても信じられない話だった。
けれど遠目に眺めれば眺めるほど、たしかに崖はそう思わせる姿をしていた。
直線を引くその上端はもとより、よく見るとその前面も不自然なほどまっすぐに屹立している。
そしてなによりも巨きい。
左右に目線を振ってもその両端は森の樹々の奥に消えてどこまで続いているのかその全容は
また積もった土砂とそこから芽吹いた灌木や樹木がそれを余すところなく覆い隠して、近目にはよくあるただの切り立った崖のようにしか見えない。
だから見落としてしまったのだろうか。
あるいは遺跡のように見えて、やはり単なる自然地形なのだろうか。
立ち尽くしていたチリの肩口のそばでシオリカが無邪気な声を出した。
「もし、そうなら大発見だね」
チリはうなずくことさえできなかった。
そしていつだったか耳にしたある剣呑なうわさ話が甦った。
でかい遺跡なんて見つけるもんじゃねえや。
なんせ、古代カガクを独り占めにしたい王宮が口封じに一生牢屋に閉じ込めておくって話だぜ。
取るに足りない流言かもしれなかったが、鼓膜に引っ掛かっていたその誰かしらのひそめ声にまだ年端もないチリは身を震わせた。
「ねえ、チリ。これが遺跡だとしたらすごいカガクが残ってるかもしれないね」
シオリカはそう声を弾ませると、それから崖に向かって駆け出した。
チリは青ざめた顔でそれを追った。
「きっとどこかに入り口があるはずよ。見つけてそこを私たちの秘密基地にしよう、チリ」
「待てよ、シオリカ。今日はもう帰ろう」
岩壁の雪を手で払いながらさらに森の奥へ進んでいこうとするシオリカをチリは必死で引き留めていたと思う。
その後の記憶はあやふやだ。
野犬に襲われたり遭難した憶えはないからきっと無事に帰れたのだろう。
そして以後、再びあの崖のもとへ行った記憶もない。
あれからどうしたのだろう。
そういえば森に新たな遺跡が発見されたという噂も聞かなかった。
やはりただの自然地形だったのだろうか。
それとも……。
チリは少しずつ感覚が立ち返ってくるのを感じた。
けれど夢の中のようなその世界はすこぶる心地よく、意識がそこから引き剥がされようとする痛みに本能が抵抗を見せた。
チリは当時のシオリカの姿を思い出そうとしていた。
あの後、シオリカと交わした言葉の記憶を探していた。
けれど唐突に浮かびあがったのはつい最近の記憶。
たまに市場で見かける彼女の姿だった。
長い亜麻色の髪をうなじで括り、背はずいぶん伸びて、青みを帯びた瞳をあの頃と同じようにクルクルと忙しげに回らせ、そして誰かとすれ違うたびに笑みを振り撒くシオリカ。
すっかり女らしくなった彼女をチリはまともに見つめることができなかった。
うつむいて目線を逸らし、すれ違いそうになると脇道にそれてやり過ごす。
その自分をシオリカはどう見ていたのだろう。
軽蔑していたかもしれない。
いや、きっとそうに違いなかった。
シオリカに会いたい。
なぜだろう。
次第に解れていく夢の中でそう思った。
そしてあの頃のように無邪気な二人に戻りたい。
その素直な衝動がとても不可解で、チリは自分に少し呆れた。
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