3-4

「畜生。なんだってこんなもん、俺が運ばなきゃならねえんだよ」

 雑多な荷が堆く積まれた背負子は肩にきつく食い込み、バルタはびしょ濡れの顔をしかめて文句を言った。

 バルタほどではないがそれでも相当な重さの麻袋を背負ったシオリカは歩容を緩めず振り返ってバルタを励ます。

「それでもエルキを作るには必要最小限です。チリを助けるためにがんばりましょう」

 そしてなけなしの余力を振り絞ってなんとか笑みを作ると、バルタはそれを一瞥して舌打ちを鳴らした。

「だいたいよお、あんた工房の娘なんだろ。それなら職人の一人や二人捕まえて運ばせりゃ良かったんじゃねえかよ。それをなんであんなコソコソ空き巣みてえに」

「それは……」

 シオリカは顔に張り付いた髪を指で戻しながら口籠った。

 なるほど、空き巣と喩えられても仕方のない行動所作だったかもしれない。

 シオリカは工房の裏口でバルタを待たせ、誰にも見つからないように忍び足で中に入った。

 そして急いで必要な道具を持ち出すとバルタとともにできるだけ人気のない道を選んで進み、ようやくそろそろ海辺へ出ようとするところだった。

 たしかにバルタが訝しむのも無理はなく、やむなくシオリカはその弁明をした。

「じつはその……私がエルキを発生させる機械を作ったことは父も含めて工房の人たちには内緒なんです」

 シオリカがふたたび前を向いてそう弁解すると、背中に不服そうな声が向けられた。

「ふん、そりゃなんでだ」

「一般人は古代カガクを無闇に使用してはならない。王宮がムサシノの民に出した触書きのひとつです。もし許可なく使用すれば重い罰則を課すとの定めもあります。今回のことが明るみになれば私だけでなく工房にも処分が下されるでしょう。だから職人たちを巻き込むことは避けたいのです」

 まごう事なき本心だ。

 父や工房で働く人たちに迷惑をかけたくない。

 とはいえシオリカが工作と称する趣味がその法に触れていることはどうやら工房内では周知であるようだ。

 ただそのことをバルタに話す必要はないだろう。

「けっ、さすがは森の人間様だ。胸糞悪いぜ」

「どうしてですか」

 シオリカは息を切らせながら訊く。

「そうじゃねえか。自分の身内に罪を被せるのはごめんだが、俺たち浜の者なら気遣う必要はねえ。おめえの理屈はそういうことだろうが」

「違います」

 短く言い切ると背後でバルタが冷ややかに笑った。

「ハハ、どこがだ。森の奴らは誰もがそうだ。俺たちを同じムサシノ民族とは思っちゃいねえ。海岸に住み着いたただの薄汚ねえ貧乏人だと蔑んでやがる」

「違います」

「違わねえ。森の人間は薄情な糞野郎ばかりだ。その証拠に七年前のドラグイ飢饉の時でも森は……」

 シオリカは唐突に足を止めて振り返った。

 すると瞳に怒りの炎を揺らめかせるバルタが数歩後ろで立ち止まっていた。

 シオリカはその彼を見つめ、少し呼吸を整えると不意に頭を下げた。

「その通りです。あのとき森は困窮する浜に対してほとんど何も援助らしいことをしませんでした。そして多くの人たちを見殺しにしてしまった。だからごめんなさい。本当に申し訳ありませんでした」

「なんだとてめえ、その言い草。俺を馬鹿にして……」

 バルタは胸高に持ち上げた拳をギュッと握った。

 けれどシオリカは臆さず言葉を継いでいく。

「こうやって謝れば許してくれるのですか。私たち森の人間があのときあなたたちに向けた仕打ちはこんな風に軽々しく頭を下げてそれで許されるものなのですか。違いますよね。そんな簡単なものじゃない。きっとそれは恐ろしく根深いものでしょう。それでもたしかに謝罪は必要だと思います。いずれ和解もするべきです。でもそれは今じゃない。それなら今、大事なのはなにか。それはもちろんチリの命を助けることです。だからこんなところに立ち止まっていつまでも議論をしている場合じゃないんです」

 最後はほとんど叫ぶように言い終えたシオリカはバルタから目線を切り、ふたたび足早に歩き始めた。

 すると少し間をおいて背後にバルタの足音が聞こえてきてシオリカはホッとした。

 もし彼が臍を曲げ、背負子を下ろしてそのままどこかに消えてしまったらどうしようかと内心ヒヤヒヤしていた。

 でもそうはならない確かな予感もあった。

 バルタは口も態度も粗野で怒りっぽいが、相手の理屈が正しいと思えばたとえどんなに頭に血が上っていてもそれを収めて従う理性を持っているとシオリカは感じた。

 そうでなければゼノに言い付けられたとはいえ、嵐の中を激しく嫌悪する森の工房まで黙って着いて来てくれるはずもなかった。

 チリを助けるためと納得すれば自分の感情を殺すことができる。

 バルタはそういう人間だとシオリカは密かに見抜いていた。

「バルタさん、手伝ってくれて本当にありがとう」

 シオリカが前を見据えたまま礼を言うとまた不服そうな舌打ちが背後に聞こえた。

「それと話の続きですけど、さっき言った罰則については心配ないと思います」

「はあ?」

 不審げな声にシオリカは後ろに顔を向けて答えた。

「こう言ってはなんですが王宮は浜に無頓着です。だからまさか古代カガクを浜人が使うなんて露ほども考えてはいません。それゆえに森に暗躍する目付けも浜には皆無だと聞きます。ましてやこんな嵐の日にわざわざ浜を偵察する者はいないでしょう。ですから私がエルキの光を海に放っても見つかるはずがありませんよ」

 そう説明したシオリカの横顔をバルタはしばらく猜疑に満ちた目つきで睨んでいたが、しばらくしてその目元からフッと力みが消えた。

「ま、それもそうかもな。俺たちの存在なんかは王宮にとっちゃフナムシみてえなもんだ。足元でゴソゴソ動いても気にすることもねえってところだろうな」

 自虐的な言葉を並べたバルタの口元にうっすらと笑みが浮かんだ。

 シオリカもまたそれを見て、口角を上げる。

 それから再び前を向き、歩みを進めながらジンと熱くなった胸を鎮めた。

 やはりバルタの理性はたいしたものだとあらためて感心した。

 そしてもしかするとそれは海で生業を立てる人間にとって不可欠な判断力なのかもしれないとふと思う。

 ザン爺の話もそうだった。

 海原では小さな向こう見ずや些細な欲が命取りになることもある。

 荒々しく野放図に見える海の男たちにはその実、感情を押し殺して理性を味方にする能力が人一倍必要なのかもしれない。

 そう考えるとチリが少しばかり恨めしく思えてきた。

 無事に帰ってきたら思い切り叱り飛ばしてやるんだから。

 チリは海の男として失格だって。

 そうなったらチリはどんな顔をするだろうか。

 ずっと疎遠だった幼馴染みにいきなり叱られたら、どういう風に弁解するのだろう。

 その想像はちょっとだけ楽しかった。

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