3-2

 けれどふたたび正面から吹き付ける強風と対峙することになったチリは焦燥に駆られた。

 いくら風を受け流そうとしても、帆がバタついてどうしても上手くいかない。

 さらに降り始めた雨に帆は重く濡れ、横風でなければうまく広がることも出来ず、そしてその横殴りの雨のせいで視界も極端に悪くなった。

 そしてついにはうねる波に立っていることすらままならなくなった。

 チリは舟尻に腰を着け、それでも帆縄をやりくりしてなんとか風を捉えようと試みる。

 けれど帆は度々裏打ちと萎れを繰り返し、やはり舟をまともに前に向けることさえほとんど不可能だった。

 チリの胸に次第に絶望感が広がっていく。

 じわじわと喉を締め付けるような恐怖にチリの奥歯が鳴り始めた。


 死。


 意識の中で急速に存在感を増していくそれはチリにとってあの日の父の姿そのものに他ならない。


 燃え立つような紅い夕焼け。

 むしろを被せられた遺体。

 肩口から消えてしまった腕。

 血の気を失った白い肌。

 そしてそばもとで響く母の慟哭。


 これまでに数えきれないほど何度も消し去ろうとしたその記憶がいま、白く泡立つ海面に、深く高く振幅を繰り返す舟の舳に、そしていつの間にか空全体を覆ってしまった禍々しい黒雲に鮮明に映し出されては消えていく。

 チリは痩せ細っていく心のどこかで微かに思った。


 バカだな、俺は。

 どうせなら笑った顔を思い出せばいいのに。

 あの豪快な笑い声を耳に思い出せばいいのに。

 そうすれば波に呑まれてもきっと幸せな気分で父さんのもとへ行けるのに。


 けれどチリはすぐさま首を振ってその弱気を掻き消した。

 ダメだ。

 自分が死んだらザン爺はどうなる。

 浜の人たちがいくら情け深くても、身寄りのない老人を養う余裕なんか誰も持っていない。

 それにザン爺も他人に迷惑をかけるようなことは望まないだろう。

 そうなればもしかすると自ら命を絶つのではないだろうか。

 いや、きっとそうするに違いない。

 ザン爺がひもじい時に浮かべるあのしょぼくれた笑顔が目に映った。

 チリはハッと鋭く息を吐き、荒れ狂う海を睨みつけた。

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