3. 光芒
3-1
漁終いをして、帰路に着いたチリはまもなく吹き付けてくる向かい風に舟足を遮られた。
帆風裁きにはそこそこ自信があるチリだったが、真正面からの風を押して進んでいく操船はやはり至難だった。
そこでチリは浜への帰還は早々に諦め、追い風に乗ってたどり着けそうな北東の岬へと向きを変えた。
以前、漁師仲間に聞いたことがあった。
岬の周囲はほとんどが舟を寄せ付けない岩礁だが、南向きに一箇所だけ抉れていて、その奥に波の立たない小さな入江があるという。
ひとまずそこに退避して通り過ぎる嵐を凌げば、あとはなんとかなるだろう。
チリは楽観的にそう考えていた。
そのときはまだ波も風もそれほど酷くはなかったのだ。
ただ西から空を押し包んでいく黒雲の勢いは凄まじく、太陽はすぐに隠され、まだ昼下がりのはずなのに辺りは一気に不穏な薄暗がりとなってしまった。
その光景を目の当たりにして膨らむ不安を、けれどチリは舟板いっぱいのカチメジキを見遣ることでそれを掻き消した。
大丈夫だ。
この嵐の脚は速い。
入江に避難していればすぐに通り過ぎるはず。
今日中は無理かもしれないが、少なくとも明日の朝には帰れるだろう。
それより入江に着いたら、カチメジキを捌いて塩漬けにしておかなけりゃ腐っちまうな。
売り値は落ちるが仕方がない。
まあ、それでもそこそこの銭にはなる。
そういえば近頃、ザン爺はよく膝や腰が痛いと嘆いているから薬を買ってやりたい。
ひと月分の米を仕入れたら、残りはいくらぐらいになるだろう。
そんな風に気を紛らわせながら、チリは北東の岬へと舟を進めた。
けれどその目論見はそれから半刻も経たないうちに慈悲もなく霧散することになった。
岬まで目と鼻の先というところまでたどり着いたチリはそこに現れた光景に愕然とした。
打ち寄せた波が白い魔物のように岩壁を駆け上り、またその周辺には巨きな渦があちこちで逆巻いている。
とてもではないが岬に舟を寄せられそうにない。
無理をすれば舟が転覆して渦に水底まで引き込まれるか、運よく近づけたとしても波に押されて舟ごと岩礁に叩きつけられるのが落ちだ。
それにこのあたりの海流は下げ潮になると凄まじい速さで外洋に向けて流れていく。
もし舟がその潮流に乗ってしまえば一巻の終わりだ。
チリはこの小舟もろともいずれ黒潮と共にどこか北方の海に流されて藻屑と消えるだろう。
その想像にチリは背筋を凍り付かせ、すぐさま舳先を反転させた。
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