2-18

「ワシが聞いた話ではそりゃあ恐ろしいほどに明るい光じゃったというぞ。なんでも四十キライほど離れた場所からでもそれが見えたというからのう」


「うそ、四十キライも」


 森の南北を測ってもせいぜい八か九キライだ。

 四十キライといえばムサシノの南、大河タマリバの流れの向こうあたりまで光が届くことになる。

 驚くシオリカの顔を見てザン爺はうっすらと笑みを浮かべた。


「まあの、古代の話じゃ。いまの世では信じがたいことばかりよな」 


 そして再びふうっと息を漏らしたザン爺は急に真顔になった。


「この嵐は足が速い。たぶん夜になる頃には峠を越える。じゃが、もしチリが千にひとつこの荒れ狂った風と波を持ちこたえたとしても、その後に来る真っ暗な闇にはあのときのワシと同じようになすすべがない」


「だから灯台……」


 シオリカは呟き、深く思案するときの癖で無意識に親指の先を齧り始めた。


「そうじゃ。チリにとっての灯台が要る。けどの、嵐が過ぎてもしばらくは多少の雨風は残るし、それに濡れた薪じゃと焚き火を燃やすことも適わん」


 そこで絶句したザン爺は沈鬱な顔つきで目を閉じた。

 そしてなにもかも諦めるように肩を窄めた。

 シオリカは考えている。

 右手の親指の爪が八重歯に叩かれカツカツと音を立てる。

 そのときゴウッと音がしていおり全体が横揺れした。

 柱や梁がいっそう強く軋み、かまちに座った二人の男もおもわず腰を浮かせた。

 そして風が去り、不意に訪れた束の間の静けさの中でシオリカは咥えていた親指を唇からそっと離した。

 

「できるかもしれない」


 呟いたその言葉にうっすらとまぶたを開いたザン爺が横目にシオリカと目を合わせた。


「うん、できると思う。チリの灯台」


 シオリカがうなずきかけると、ザン爺は彼女の引き締まった顔つきを不思議そうにぼんやり見つめた。

 すると間をおかず話を聞いていたらしいバルタと呼ばれた若者が背を向けたまま吹き出した。


「はん、なにができるってんだよ。森のお嬢ちゃん風情が笑わせるぜ」


 謗られたシオリカはくつくつと肩を震わせる若者のその背に目を向けた。


「じゃあ、あなたにはなにができるというの」


「ああん」


 バルタがまなじりを吊り上げた顔を素早く振り向かせたがシオリカは臆さない。

 スッとその場に立ち上がると首を振った。


「ごめん、言い直す。あなたたちはチリのためになにかをしようとしているの」


「なんだと」


 今度は蟹男ゼノが剣呑な顔つきで振り向いた。

 しかしそれでもシオリカは構わず怒気を孕んだ彼らの目線を正面から受け止めて言葉を継ぐ。


「どうせなにもできない。嵐が止むのを待つしかない。そう決めつけてそこに座り込んでいるだけじゃないの」


「おい、もういっぺん言ってみろ。てめえ、女だからって容赦しねえぞ」


 バルタが板間に片足を掛けて凄んだ。

 けれどシオリカはそれを意にも介さず、かまち縁までゆっくりと歩み寄った。


「何度だって言う。いまこの瞬間にも死んでしまうかも知れないチリになにか少しでも手を差し伸べようとする気持ちがあなたたちにはないの」


「このアマ、ぶっ殺されてえのか」


 バルタのこめかみに青筋が浮いた。

 ゼノは立ち上がりその長い左手でいきりたつバルタの体を制したが、その眼はシオリカを睨みつけていた。

 シオリカはグッと奥歯を噛んだ。

 そして胸の前で拳を組み合わせ、不意に二人に頭を下げた。


「お願いです。私に力を貸してください」


「は、てめえ、急になにを……」


 虚をつかれたバルタとゼノに、顔を上げたシオリカが再びその真っ直ぐな瞳を彼らに向ける。


「私にはチリを救い出せるかもしれない方法がある。でもそれをやるには私一人では無理です。あなたたちが心からチリの無事を祈っていることはもちろん分かってるつもりです。だから私に手を貸して欲しい。絶対に救ってみせるなんて言えない。でもたった1ミラルでもチリを助けられる可能性があるのなら私はそのためになんだってしたい。だから、お願い。いまは森も浜もなく私に協力してください」


 叫ぶように語尾を括ったシオリカはそれからもう一度彼らに頭を下げた。

 すると憤りの矛先を失ったバルタとゼノは互いに呆けたような顔を見合わせた。


「ワシからも頼む」


 そのときシオリカの背後でザン爺もまた二人に頭を下げた。


「爺さんまで……」


 ゼノがざらついた声で呟いた。


「お願いだ。チリに灯台の光を見せてやってくれ」


 そう懇願して萎れた腰を曲げるザン爺にバルタとゼノは怒気を折られ、二人とも困惑した表情を浮かべた。

 そしてまた顔を見合わせ、やがてゼノが不審げな目をシオリカに向ける。


「けどよ、爺さんもさっき言ってたが焚き火は無理だぜ。火を起こしてもすぐに消えちまう。いったいどうするつもりだ」


 シオリカは瞳に力を込め、三人の顔をゆっくりと見回すとそれからポツリと言った。


「エルキよ」


「は、バカ言うんじゃねえ。エルキなんて王宮の技師でもなかなか……」


 聞いた途端、バルタが呆れ顔で失笑したがシオリカは静かに口を挟んだ。


「私、作ったの」


「な、なにを」


 バルタが真顔になり唾を飲み込むと彼女は不敵に口角を上げた。


「決まってる。エルキを放つ機械よ」 



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