2-17
「若い頃のことじゃ。とある秋日、虹橋にヤチマグロの群れが押し寄せとると知らせを聞いての。ワシは一攫千金、舟いっぱいにヤチマグロを積んでやろうと
ザン爺はそこで一度話を区切った。
そして湯をひと啜りするとそれから両手で顔をぬるぬると撫でた。
「ワシはそれまで己れをなかなかの豪胆者じゃと信じておったが、それはとんだ思い違いじゃったらしい。怖かった。真っ暗闇の海というのは恐ろしいもんじゃ。西も東も分からず、ただがむしゃらに櫓を漕いでも自分がどの方角に進んでいるのかも分からん。もしかすると下げ潮に乗って外洋に出てしまうかもしれん。そう考えると恐ろしゅうて櫓を漕ぐこともできず、ワシはただ舟板に座り込んで幸運を祈るしかなかった。秋も深い頃じゃから体も冷えてのう。歯をガチガチ鳴らしておったら、するとどれくらい刻が経った頃じゃろうか。真っ暗闇のその中にちょっとだけぼんやりと赤く見えるところがあることにワシは気がついたんじゃ。いや、もちろんそれがなにかなど分からん。もしかするとワシを迎えに来た死神の放つ光かもしれんと思うた。あるいは地獄の炎が見えているのかもしれん。そう思うた。けどの、それでも光はワシに力をくれたんじゃ。それが死神でも地獄でもそこに行きゃあなにかがある。誰かがおるかも知れん。そう思うだけでワシは櫓を手にして漕ぐことができたんじゃ。その赤い光に向かっての」
不意にザン爺がシオリカに顔を向けた。
「なんじゃったと思う、それは」
シオリカは少し考えて首を振った。
いくつか思い至るものがあったけれど、それを口にするほどシオリカは子供ではない。
黙っているとザン爺が微かな笑みを浮かべた。
「その正体は大きな焚き火じゃった。ワシが戻らんことを心配した浜の民たちが沖からでも見える目印にと総出で浜に木矢倉を組んでそれを燃やしておったんじゃ。その光じゃったのよ。岸にたどり着いたワシは人目も憚らずおいおいと泣いた。そして皆に礼を言うて回った」
そこでふうっと長い息を吐いたザン爺は最後にポツリと呟く。
「それがワシの灯台よ」
シオリカは首を傾けた。
「じゃあ灯台というのは焚き火のことなの」
ザン爺はゆっくりと深くうなずく。
「ああ、ワシにとってはの。じゃが古代の人々はエルキを使った。そして夜でも舟を自由に行き来させたという」
「エルキ……」
シオリカは目を見開き、うわ言のようにその言葉をなぞった。
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