2-14
「セギルの遣いかや」
「うん、頼まれてた舟釘を寄合所に届けにきたの。そしたら……」
立ったままそう答えたシオリカをザン爺は手真似で座るように促した。
シオリカは焦れる心持ちを抑えてその場に膝を揃えて座った。
「まったくバカ者よな、チリの奴は」
ザン爺はしわがれた声で軽口のようにそう言ったが、シオリカは胸を押し潰される思いだった。そして口を突いて出てしまいそうになった「どうしてこんなことに」という言葉を辛うじて呑み込む。
不意に寄合所で聞いた誰かの言葉が思い出された。
「あいつの境遇なら誰だってそうしたんじゃねえか」
理由なんて分かりきっている。
貧しさがそうさせたのだ。
チリはたった一人残された家族であるザン爺を飢えさせないためにあえて危険な海に出ていったのだ。
そしてザン爺もそのチリの気持ちを痛いほどに理解している。
いまここでどうしてなどと訊いて許される訳がない。
そして一瞬でもそれを訊こうとした自分がここにいる誰よりも部外者だと白状してしまった気がしてシオリカは罪悪感に苛まれた。
しばらくして押し黙るシオリカの膝下にザン爺は瀬戸物の湯呑みを差し出した。
「そんなに濡れてからに、冷えたじゃろう。白湯じゃが、少しは温もるよ」
優しい声にまぶたが熱くなった。
そしてこれでは気遣われる立場がまるであべこべだと無性に情けなくなる。
シオリカは恥ずかしさを紛らわせるように湯呑みを持ち上げるとその側面にある絵柄に気がついて繁々と眺めた。
「これ……」
不意に記憶が甦った。
たしか八つの頃。ある日、父に連れられて出向いた焼物工房で土産にともらった二つの湯呑み。
ひとつには小鳥の絵が、もう片方には鯨の図柄があった。
そのときシオリカは父に頼み込んでそれを貰い、小鳥の湯呑みを自分に、そして鯨のほうはチリに手渡したのだ。
いまシオリカが手にした湯呑みには掠れてほとんど色を失ったその鯨が蝋燭の炎に揺らめいている。
「だいぶ欠けとるじゃろう」
見るとたしかに縁が所々欠けてギザギザとしていた。
これでは気をつけて口を付けなければ唇を傷つけてしまうかもしれない。
「悪いがそれしかないでの。湯呑みぐらい買えというのにチリの奴、もったいないとかいうてずっとそれを使っとるんじゃ」
シオリカは手のひらで湯呑みを押し包んだ。
そして目を伏せると日に焼けた幼い頃のチリの顔が目蓋に浮かんだ。
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