2-7


 まさかこれほどまでの釣果を期待したわけではなかった。


 舟底に足の踏み場もないほどに寝かせられた獲物を眺め、チリはうっすらと笑みを浮かべる。

 市場に持って行けばこれでひと月は余裕で暮らせる銭になるだろう。

 ザン爺が歯の抜け落ちた口を大きく開けて驚く様が目に浮かぶようだ。


 やはりエビス波は魚を呼ぶ。

 今日ほどそれを実感したことはない。


 つい数刻前、父に恨み節を向けた自分が恥ずかしくなる。

 けれど愉悦は舟縁を騒がしく叩く波の音にたちまち掻き消された。

 空の半分は雲に覆われ、すでに太陽も呑まれてしまった。

 海は不穏な灰色のうねりと化し、無数に立つ白波の先は霞んで陸が見えない。


 やはりもう少し早く切り上げるべきだった。


 チリは風上から吹き荒む風を帆に受け流しつつ岸を目指し、喉に咽せるような後悔に度々歯噛みをする。


 今朝、浜から出した舟は潮の流れと追い風を受けて面白いように進んだ。

 嵐の不安に苛まれていたチリは当初、さほど遠くない慣れた場所で漁をしようと考えていた。

 ただそれが漁夫の習性なのか、沖へ沖へと誘う豊かな風と潮にチリは抗い切れず、気がつくといつのまにか舟はタワア近くまで進んでいた。


 さすがに不味いと思った。


 少し引き返そうかとも思案した。 


 けれど天空に広がる鮮やかな青空と穏やかな波がもたらす心地よい舟の揺れに張り詰めたその意識を弛緩させたチリは考えを改めた。


 せっかくここまで来たんだ。


 タワア近くの海底には朽ち果てて残る古代の街が礁となり、総じて一帯は豊かな漁場となっている。

 ただし今日のように潮と風の向きに恵まれなければチリが乗る三角帆の小舟でたどり着くことは難しく、そうそういつも来られる場所ではない。

 それに加えて普段ならこの界隈には多くの舟が出ていて、漁民同士の縄張り争いも激しく、場所を確保するだけでもひと苦労だ。

 そのような海原にいまはただ一艘、チリの舟だけがポツリと浮かんでいるのだ。

 まさに奇跡とも言えるその光景にチリの胸は大きく高鳴る。

 東の方角に目を細めるとすでに朝焼けは消え、淡い青空に太陽が白く輝いていた。

 次に振り返ると西の空にまだ黒雲はなかった。

 ただひっきりなしに首筋を撫でていく生温い潮風が嵐の気配を辛うじて繋ぎ止めているに過ぎない。


 大丈夫だ。

 さっさと魚を獲って早めに終いにすればいいさ。


 そう心に決めたチリはいくつもの針を取り付けた浮き延縄を船尾から手早く海へと放り込み、そして帆の向きを少しづつ変え漁場を大きく旋回させるように舟を進めた。


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