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 チリはザン爺と浜辺の小屋に住み、漁を生業として生計を立てている。

 とはいえすでに齢七十を数えたザン爺にはもう櫓を漕ぐ力もなく、八年前に父が死んだ後、もっぱら漁はチリの役目になった。


 チリは毎朝、暗いうちに浜から小舟を出す。

 そして太陽が昇る頃に漁場に着き、網を仕掛ける。


 ただし普段は目一杯帆を張り櫓を回しても数キライ漕ぎ出すのが目一杯で、そのあたりではまだ底が浅くたいした獲物は期待できない。

 また朽ちた人工石の建物が水底のあちこちで根を張るように点在していて、延縄や網引きの邪魔になる。

 だからたいていは上層に漂う小さな回遊魚の群れに網が当たるか、垂らした針に底物がかかればいい方だ。

 けれど風に恵まれれば帆がそれを受けて沖にあるタワアと呼ばれる岩礁にまでたどりつけることもある。

 それは海面から突き出した錆びた鉄骨の骨組みで、もとは雲を突くような高さを誇る鉄塔であったというが途中で折れてしまい、その威容はいまでは見る影もない。

 ただその歪な孤島が海底へと伸ばす四本の脚はその周辺にたたずむ古代建造物の骸と相まってさまざまな魚が住み着く豊かな魚礁となっていて、うまく立て網を仕掛ければときにチリの肩幅ほどもある大きな魚がかかることも珍しくはなかった。

 そしてそんな大物を仕留めた日はチリは意気揚々と浜へ戻り、それを市場に卸して米や獣肉と交換した。

 父母と別れてからというもの、チリはもう何年もそういう暮らしを続けている。

 もちろん楽な生活とはいえない。

 けれどひと頃を思えば、日々、飯にありつけるだけで十分マシと言えた。


 だから他にはなにも望まない。

 望んではいけないと思っている。


 豊かさを追えば、やがて例外なく下腹に響くような重い失望に変わるとチリは身に染みて知っている。

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