第58話 外伝〜名前の由来〜

「里長が身罷みまかった」

 薄暗い奥座敷でそう告げられたあやめは、ハッと息を詰めた。


「跡目争いが始まる……と」

 声を絞ったあやめに、宗兵衛は黙って頷く。


「里長の嫡男、疾風はやてが跡目を継ぐは自然の流れ……」

 そう言いつつも、あやめの目には諦めの色が色濃く見てとれた。


(誰がどう見ても疾風より宗兵衛様の方が適任。長老衆の意見が割れるも無理はない)


「あやめ、美濃に渡れ」  


「なっ!?」


 あやめは血相を変えて食い下がる。

「何を仰います! このような時に、宗兵衛様のお側を離れるなど!」


 膝をたててにじり寄ると、あやめは宗兵衛の手を取った。

「里の中にも世襲を重んじる者は存外多くおります。跡目を争えば、宗兵衛様のお命を狙いに来る輩も出てくるでしょう。このあやめ、常にお側に控え命に変えてでも宗兵衛様を御守り致します!」


 必死に訴えるあやめの手を今度は宗兵衛が握り返した。

「それ故、そなたを側には置けぬのだ。そなたが我が身を省みずわしを護るのは目に見えておる。……あやめ。そなた、身籠っておろう?」


 サッとあやめの顔が硬直した。


 宗兵衛はあやめの手を力強く握ると更に声を潜めた。

「そなたにはわしの子を産んで貰わねばならぬ。これよりは跡目争いに決着がつくまで、この里にそなたらの安全な場所はない。

 その身は既にそなたのものに非ず。美濃の山奥に身を隠し、子を護れあやめ。

 すべてを収めたあかつきには迎えを出す。

それまで二人で待っていてくれ」

 あやめは震える指で宗兵衛の手を握り返し、こくりと頷く。


 その夜。闇に紛れて、猿を従えたあやめは美濃へ向けて出立した。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る