第42話 忍び通路

 そこにあると知っている者でも見落としてしまいそうな草深い祠に、猿は注意深く近づいていく。


「鬼八めがすでにここを通過しているとなれば大事おおごとです。様子を見て参りますゆえ、お涼様は身を隠していてください」

 猿は祠に手をかけ、中へと潜り込んだ。


「万一鬼八が来ても、決して正面から挑んではなりませぬぞ! じぃが戻るまでは、黙って後をつけるのです」

 猿の指示にお涼は頷いた。


 猿の気配が消えると、お涼には森の空気が一段と濃くなったように感じられた。

 不安から神経が研ぎ澄まされているのであろう。森の中の空気の流れが手に取るように分かる。

 わずかな虫の声すらもしない、暗澹あんたんたる森の中で、お涼は一人神経を極限まで張りつめて、ほこらの周囲を伺っていた。


 空気が動いた。

 お涼はクナイを両手に持ち、身構える。


 シュルシュルと蛇のような音をたて、暗闇から鉤縄かぎなわ※がお涼を襲う。 

 

 しかし、お涼の研ぎ澄まされた神経は、暗闇の中でも鉤縄の動きを完全に把握していた。

 ヒラリと一歩退しりぞいて、鉤縄の金属部分をかわすと、お涼は縄の巻き取られた方角を睨み付ける。


「よぉ、お涼。来ると思ってたぜ!」 

 闇の中から現れたのは、浪人のようにボサボサに伸ばした髪を頭の上で1つに結び、眼帯に隠れていない右目でニヤリと嫌らしい笑いを浮かべている鬼八その人であった。


「鬼八……」

 かつては兄と慕った事もあった。

 記憶とは遠く異なるその風貌に、お涼は戸惑いを隠せない。


「巻物を返してもらいます」


「良いだろう」


 鬼八は意外にも即答した。

「お前が俺のものになるなら、この巻物はくれてやる。お前と俺とで新しい戸隠の里を作るんだ」


「な……なにを?」


 お涼は眉をしかめた。

「古い戸隠はこの俺が潰す。力のある者を集め、全国に戸隠の名を知らしめる!」


「愚かな……」

 お涼は嫌悪にその美しい顔を歪めた。



 ※鉤縄かぎなわとは、縄の先に鉄鉤てつかぎがついた忍具のことで、足がかりの無い壁・崖などを登る時などに用いられる


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