第35話

 まるで鬼神のような動きで破ノ国の兵士らを殲滅し終えると、宗兵衛は人目も憚らず肩を震わせ泣き崩れた。


「一体どうなってんだ?」

 鬼八は呆然と血にまみれた峠を見回した。


「なぜお前があの筒を持っていた?」

 宗兵衛は鬼八にボソリと問う。

「なぜって、あやめ様が万が一の時に紐を引けって昨日持たせてくれたから……」

 そこまで言って初めて鬼八は事情を察した。

「まさか……あやめ様が……?」


 宗兵衛は放心しながらも頷いた。

「紫の発煙筒はあやめの色。おそらく単身敵の本丸に乗り込み、天守閣を燃やして敵の目を自分に集め我らを助け……命を落とした」


「そ、そんな……あやめ様が? まさか!」


「一人で敵の本丸に乗り込み無事で戻れる筈もない」


「そんな! 分かってたなら何で助けにいかなかった?」


「この距離では間に合わぬ。こうなっては一人の敵をも討ち漏らさぬようにするしかなかった」


「そんな……あやめ様を見殺しにしたのか? あやめ様一人を犠牲にしておいて、任務達成とでも言うつもりか!?」


 鬼八は槍で突かれた左目から血の涙を流しながら宗兵衛を責めた。


 自分が紐を引いたせいであやめが死んだ。

 その事実を受け入られるほど鬼八は強くなかった。


 あやめの暗躍で参謀陣を失った破ノ国は急激にその勢いを失っていく。


 たった一人で敵軍に乗り込み壊滅的なダメージを与えたこの乱は、忍の世に衝撃を与え「破ノ国の大乱」と語り継がれた。


「戸隠のあやめ」の名は「狂い咲きの徒花あだばな」と称され、全国の忍の里に知れ渡った。


 憔悴しきった精鋭隊を戸隠の里で待ち受けていたのは、猿とお涼であった。


 宗兵衛は猿の泣き腫らした目を見て全てを悟った。

(お涼はあやめの忘れ形見。必ずや護ってみせる。いつ私が居なくなったとしても一人で生きていけるよう、強い忍に育て上げよう)


 お涼を目に写して誓う宗兵衛の後ろで、鬼八もまた蛇のような目でお涼を見つめていた。

 どれだけ慕い、焦がれても決して手に入らなかったあやめ。

 そのあやめに瓜二つのお涼を見たとき、鬼八の中で歪んだ執着がムクムクと沸き上がった。


(宗兵衛などには任せておけん。俺が……俺が力をつけて、今度こそあやめ様の代わりにこの里もお涼をも護ってみせる)


 十歳のお涼はこの時、我が身に降りかかる過酷な運命をまだ知らなかった。

 

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