第32話

 あやめはその足で出征の決まった鬼八のもとへとやって来た。


「あやめ様! こんな夜分に恐れ入ります」

 鬼八は嬉しそうにあやめを出迎えた。

「精鋭部隊に選ばれたそうだな」

 あやめの言葉を鬼八は素直に喜んだ。

「はい、あやめ様のお陰です」

 あやめは鬼八に紐のついた円筒を手渡した。

「くれぐれも無茶をするなよ。万が一の時には天に先を向けてこの紐を引け」

「ご心配無用、この鬼八が破ノ国の輩など蹴散らして見せますよ」

「そうだな。だがまぁ、御守りのようなものだ、持っていけ」

 あやめはそういって鬼八に筒を押し付けた。


 宗兵衛に課せられた任務は『伊ノ国との国境で、攻め入る破ノ国の軍勢を削ぐ先陣を切れ』というもの。

 忍を使い捨ての駒のように扱う呂ノ国の言いぐさに難癖をつける者もいたが、軍勢が攻め込めば、伊ノ国の民が真っ先に犠牲となる。

 戸隠の精鋭でまずは迎え撃ち、伊ノ国と呂ノ国の武士らに少しでも有利な戦となれば、平民への被害は防げよう。そう判断した宗兵衛はこの依頼を受けた。


「この命尽きるまで、一雑兵たりともこの峠は通さぬ」

 宗兵衛は静かに闘志を燃やしていた。


 戦況は芳しくなかった。

 峠の一本道にて敵の数を少しずつ削っていく作戦は、失敗に終わった。


 敵の先陣隊は騎馬兵ではなく火縄銃を担いだ二人一組の歩兵であった。

 歩兵は道なき草むらに潜み、狙撃してくる。着火から発砲に時間のかかる火縄銃は一丁なら避けるのも難しいことではない。


「ええい! 埒があかねぇ!」

 しびれを切らした鬼八が飛び出した。

「待て、鬼八!」

 宗兵衛の制止も聞かず、鬼八は杉林を恐ろしい早さで駆け抜ける。予想外の速度に誰も照準を合わせることができない。


「日が暮れれば敵の飛び道具など使えなくなるというものを。早まったな、鬼八!」

 宗兵衛は眉根を寄せながらも、鬼八を捨て置けず総攻撃の合図を送った。


 敵の懐に入った鬼八は無敵だった。

 火縄銃を持っている兵を優先的に一撃で仕留めるその技は、あやめ譲り。

 万が一にも仕留め損ない反撃されることなどない。

 歩兵隊に壊滅的なダメージを与えた鬼八の左目を、小型の槍が掠めた。

「こ、この槍は!」 

 片手で扱えるほどの小型の槍、先端は伸縮自在のこの槍は風馬フウマ一族のお家芸だ。

「くそっ、風馬が破ノ国についてやがったのかよ!」

 ボタボタと血の滴る左目を押さえて鬼八は舌打ちした。

「ネズミがずいぶんと暴れ回ってくれたな」

 風馬の忍は鬼八めがけて槍をつく。

「キィンッ」

 鋭い金属音と共に槍が弾き飛ばされ、鬼八は誰かの背中に庇われた。


「か、かしら!」

 宗兵衛は煙幕を張ると鬼八を担いで林を駆ける。

退け!」

 宗兵衛の援護をしていた戸隠の精鋭たちは合図と共に散った。

「逃がすか! 追え!」

 忍び同士の攻防戦、負傷した鬼八を庇っての退避はいくら宗兵衛といえど分が悪い。


 間もなく宗兵衛と鬼八は追い詰められた。


「頭って呼んでたよな? 里長の首取りゃ、報償もたんまりもらえるだろうぜ」

 下衆な笑いを浮かべて槍を構えた忍が二人を追い詰める。


 万事休す……


 宗兵衛が悟ったその刹那、鬼八が懐から円筒を取り出し素早く紐を引いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る