第10話 逃げ出したお涼

 興奮して周囲の見えない暴れ馬の足元で、お涼の放った癇癪玉が鳴り響く。

 驚いた馬はいななき大きく背をそらせ、前足を大きく振りかぶった。


「あの足に踏まれては大の大人の背骨でも一発で折れてしまう!」

 馬の足元でうずくまる正太の身に襲いかかる惨劇を予想し誰もが目を覆ったその時、まるで桜吹雪が吹き荒ぶがごとく、お涼の体が宙を舞った。


 地を蹴った瞬間お涼の草履がとんだ。

 ひづめを避けて身を低く保ちながら正太の体を抱え込んだお涼の姿は、そのまま転がり土煙に消えた。


 暴れ馬は地団駄を踏むようにカッカッと蹄をうちならす。

 土煙が止み、馬主が馬の手綱をひくと、誰もが一言も発せずにことの顛末を固唾を飲んで見守った。


「おっかぁ!」

 荷台の下から飛び出す童子わらしに、涙で顔をぐしゃぐしゃにした女将が駆け寄る。

「正太ぁ!!」

 キョロキョロと青い顔で辺りを見回していた五平は「あっ!」と声をあげた。

 正太に続いて荷台から這い出したお涼は、決まりの悪そうな顔で五平と目を合わせると突然走り去った。


「お涼さんっ!!」

 五平は慌てて後を追った。


 草履も脱げ足袋のみとはいえ、現役くノ一お涼の足に五平が敵うはずもない。みるみる小さくなっていくお涼の後ろ姿を五平は必死に追いかけた。


「お涼さん……お涼さん!」

 長屋に戻ってないことを確認すると、五平は血眼になってお涼の姿を求めて走りまわった。

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