第4章7話 欲しかったのは……

「──それで、試練の洞窟の中で目を覚ましたらアスターがいたから、びっくりしたんですよ! でも、駆けつけてくれて嬉しかったな。心配して来てくれたのがわかったから」


「……そうかそうか。よかったなぁ」



 メルがアスターとしてきた旅の話を、ザイスも感慨深そうに聞いてくれた。

 メルがリゼルの幻影を見たという話では、目に涙を浮かべていた。



「あの子たちには本当にかわいそうなことをしたと思ってる。おまえにもつらい想いをさせたな……」


「……ううん。リゼルの幻影が見えたのは私が弱かったから……。私が臆病だったから、そう見えたんです」



 試練の洞窟での出来事を思い出して、メルもしんみりとした。


 リゼルと一緒に帰ってきたかった。この現実世界に。……でも、いくら望んでも、できないことはある。


 生者と死者のときは、交わらない。

 そのことを痛いぐらい、思い知った。


 ザイスの声が、沈痛な響きを帯びた。



「……実を言うとな、おまえのことも、正直、あきらめていたんだ。探してはいたが、生きているとは思っていなかった。最後の子を喪ったんだと、そればっかり考えて後悔してた。すぐに戻ってよく町を探していれば、もっと早く会えたかもしれなかったのに……すまなかった」


「……ご主人様……」



 胸が熱くなった。


 メルがアスターとともにリバーズの町にとどまったのは、たったの二日。ザイスが見つけられなかったのも無理はなかった。それに……──


 メルは、もう知っている。

 捜しているひとが、見つからなければいいと願う矛盾は、両立するのだと。


 捜しているのに、見つかってほしくない。

 見つかってしまえば残酷な現実と向き合わなければいけないという恐怖があることを。



「ご主人様、私が生きててよかったと……思いますか?」


「もちろんだとも」


「……私、生きててもいい、のかな……?」



 ぽろりと、言葉がこぼれた。

 アスターには怖くて聞けない言葉。

 だって、聞いたら怒られる。自分で考えろって言われるのが目に見えているから。

 アスターはいつだって、メルの欲しい言葉をくれない。



「……もちろんだ。おまえが生きていてくれてよかった。また魂送りの歌と踊りを見せておくれ。私の一番の楽しみなんだ」



 ザイスの言葉が、甘い湧き水のようにメルの心に染みていった。お日様みたいな光に、身体が内側からぽかぽかと温かくなる。


 生きていてもいい──その言葉を、ずっと誰かに言ってほしかったメルは笑った。心の底からほっとして。


 山小屋の外の嵐が、ずっと続いてくれればいいと、願った。



  ☆☆



 メルが部屋を出ていったのち──


 入れ違いに、談話室に入ってきた男を見て、ザイスは顔面に貼り付けていた笑みをはがした。のっぺりとした無表情になる。


 メルの前では我慢していたキセルに手を伸ばした。紫煙が室内に、ゆぅらりと立ちのぼる。わずらわしげに。


 入ってきた男は、この辺りではめずらしい南西系の民族の証である褐色の肌に、側頭部に刈り込みの入った長髪を束ねていた。


 護衛のバヤンだった。背中には、室内にも関わらず、大剣を背負っている。ザイスの前にどかりと腰を下ろした。



「ちぇっ。まどろっこしいな、ザイスの旦那。逃亡奴隷なんぞ、さっさと捕まえ直せばいいのに……」



 こちらは噛み煙草を口の中でクチャクチャさせながら言う。ザイスは鼻白んだ。



「まぁ、そう言うな。剣士の方はともかく、一緒にいた女はロギオ商会の会長の孫娘だ。敵に回すとやっかいでかなわん。なるべく穏便に済ませたい」



 ロギオ商会の名に、バヤンは軽く目をみはった。大陸を股にかける大商会──商人なら誰でも知っている。しがない護衛でも、名前ぐらいは聞いていた。



「けど、明日の昼まで待つって話だろ? あのメルってガキがあっちを選んだらどうするんだ? ……まさか、渡すのか?」



 ふん、とザイスは唇をゆがめて笑った。

 バヤンが心配してるような「まさか」は起こらない。その確信ゆえに。



「……奴隷ってのは身も心も主人のモノだ。あいつには、それを幼い頃から染みつかせてる。まぁ、見てろ。今にわかる。どちらがあれの主人にふさわしいか、な」



 あの小娘を使いこなせるのは自分しかいない。

 暗い愉悦ゆえつに、ザイスは笑みを深めた。

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