第3章13話 世界の彩り
ゲホッ、ゲホッ、ガハッ……。
沼の底から引っ張り上げられたかのように、メルは息を吹き返してむせた。
ひとりで試練を受けていたはずなのに、どうしてかアスターに抱きかかえられている。
「……? アスター、何があったの」
「こっちの台詞だ。大丈夫か?」
「私、アウグスタ様の試練を受けてて……そうだ。アウグスタ様は?」
「え?」
大きな姿見を見た。
映っているのは、アスターとメルだけ。鏡面に映っていた慈愛あふれる少女の姿はどこにもない。
辺りを見回した。
燭台に照らされる範囲に、他に人影はない。……リゼルも、仲間たちも、どこにも。
「──ったく。心臓に悪い……」
「ご、ごめんなさい……」
「立てるか? ──ほら」
差し出された手の大きさに、一瞬、戸惑った。リゼルとは違う大人の、男のひとの。
──一緒に行こう……。
脳裏に、リゼルや仲間たちの笑顔がひらめいて。
メルはその手を取るのに、目一杯の勇気を奮い立たせた。口にするのに、今まで歩んできた十四年分の勇気が必要だった。
一緒にいるのに、理由なんかない。
でも、私は……!
「──アスターの旅に、私も連れてって!」
アスターが驚きに目をみはった。
奴隷だった少女が、初めて正面きって、アスターの目を見ていた。空っぽだった少女が、自分の意思で。
「役に立つかどうかわからない。亡者に遭っても、のたれ死ぬだけかもしれない。でも、私はこの目で世界を見て、私が生きる意味を知りたい!」
モノクロだった世界が、ひとつ、鼓動を打って、目の前の少女が、確かな輪郭をもって、アスターの世界に彩りとして浮かび上がった。
自分が生きているかどうかもわからない世界で。
少女は確かに、鼓動を打っている……生きている。
「……おまえは。──ったく」
「……っ」
顔をしかめたアスターに、メルが条件反射でびくりと身構えた。こういう癖はまだ抜けてないわけで……。
なのに、自分で言い出したことを意地でも引っ込めない。
(ひとの気も知らないで……)
我知らず、ふっと笑った。久しぶりに。
「……俺も、喪うのは、もうたくさんだ」
アスターがぼそりとつぶやいたとき。
メルがもっていた魂送りの杖がふわりと浮かんで光を放った。瞠目するメルをよそに、もともと描かれていた装飾が枝葉を伸ばすように広がって、新たな文様を刻んでいく。
そうしてメルの手元に戻ったときには光が収まっていた。
「……ちょっと伸びた」
「杖が? そんなこと、あるのか」
「さぁ……」
ちょっと
「あ、ちょっと。アスター、話ちゃんと聞いてる? 私ついていきますからね!」
「……勝手にしろ」
「え? でも……」
「じゃあ、ついてくるな」
「ちょ、ちょっと。どっちなんですか!」
「来るなって言っても、どうせ来るんだろ?」
メルはきょとんとした。
問われているのは、メルの意思──答えならもう決まってる。
「……うん!」
振り返ったアスターがおかしな顔をした。メルがそう思っただけで、もしかしたら微笑ったのかもしれない。
延々とゆるやかな傾斜をのぼった先の出口では、イリーダ聖堂長が待っていた。メルたちを見て、ほっとしたように胸をなでおろした。
墓地の様子は、試練の前と打って変わっていた。
「……さっきの女は?」
「施療院に運ばれました。まだ意識が戻らないけど、お医者様が診てくれてるわ。……それよりも、アスター。よりにもよって試練の最中に洞窟に飛び込むなんて」
「……非常事態です」
イリーダの怒気に、メルがびくりとなる。
アスターは例によって、どこ吹く風だ。
「あ、あの! アスターがいなかったら、私、戻ってこれなかったかもしれません。だから……」
「……過ぎたことは言いません。メルさん、魂送りの杖を見せて」
「は、はい」
恐る恐る、イリーダに杖を渡す。
イリーダは杖の模様を確かめ、慎重に長さを見るとうなずいた。
「試練の合格おめでとう。カルドラ聖堂の巫女として、あなたを祝福します──これを」
イリーダが首にかけてくれた輝きに、メルは目を丸くした。指の先ほどの小さな銀のきらめき。
「……
「あなたに、聖堂の巫女見習いの地位を授けます。何かあれば、各地の聖堂を頼りなさい。きっと力になってくれるでしょう」
「……イリーダ様」
胸が熱くなった。
試練の合格──それは、魂送りをする素質があることを意味した。
……あとは、メル次第。
「それで、メルさん、アスター。ふたりとも、旅を続ける覚悟は決まった?」
「……え……」「……」
メルとアスターは、お互いの顔を窺った。
少しの沈黙があった。
でも、答えならもう決まってる。
「……はい!」「……」
返事をしたのは、メルの方。アスターの方は憮然としている。けれど、ダメならダメではっきり言うのを、メルもイリーダも知っている。
血相を変えて飛び込むぐらい、誰かを大事に思っているということ……。
試練からの帰り道、アスターはイリーダにぼやいた。
「……こうなること、わかってたのか?」
「まぁ、アスター。自分の選択の責任を誰かに押しつけることはできなくてよ」
「……」
アスターが憮然として視線を逃がした先、
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