第2章3話 不穏な胸騒ぎ

 頭上に照り出した太陽が目にしみる。


 野宿のせいで身体のあちこちが痛んで起きると、アスターの姿はなかった。いつの間にかたき火が消えて、煙だけがくすぶっている。


 置いていかれた焦りに任せて辺りを探していると、傭兵仲間たちと山羊乳のかゆをすすっていたガレッツォが教えてくれた。



「あいつなら夜明けから偵察に出たよ。近くに亡者がうろついてるかもしれないってな」



 止めたんだが……とガレッツォの渋い顔。


 昨日、亡者たちを足止めしたアスターの活躍は傭兵たちの誰もが知っている。

 少しぐらい休ませてやりたいという周囲の思惑もあって、あえて役割から外していた。



「なんだ、あの無茶な戦い方は。あいつ、いつもこうなのか?」


「さぁ……私も知り合ってからまだ日が浅くて」



 本当は「日が浅くて」どころではない。メルとて、アスターと知り合ってからまだ三日しか経っていない。

 死に急いでるみたいなヤツだ、とガレッツォはぼやいた。



「あんたに言うことじゃないかもしれないが、気をつけてやれ。……嫌な予感がするんだよ」


「……は、はい」



 不穏な胸騒ぎに、お腹の底がすっと冷える。朝食にもらった乳がゆの塩辛さが、喉の奥に張り付いてべとついた。


 ──それから二日間。何事もなく隊商は進んだ。


 殺風景だった荒野にも所々、緑が見られるようになってきた。

 隣町であるカルドラまでの行程は、あと半分。メルとアスターが出会ったリバーズの町に比べると豊かで人口が多く、うまい酒と女が楽しめる……というのは、道中で仲良くなった傭兵たちからの受け売りだ。


 ガレッツォを慕っている仲間たちなだけあって、荒くれ者だが気のいい男たちが集まっている。それ以上に、リーダー格のガレッツォが、メルのことを「魂送りができるお嬢ちゃん」と扱ってくれたことも大きいだろう。


 隊商の中で、メルは特に不自由することもなく、気ままに過ごすことができた。



「おーい、メルちゃん。酒もってきてくれ」


「こっちにも、干し肉の追加頼む!」


「はーい」



 日もすっかり暮れて、給仕役に収まったメルが傭兵たちの間をパタパタ駆け回っていると、



「メルちゃーん、こっちこっち」



 ──声がかかった。


 ガレッツォの傭兵仲間で、アントニオという若い男だ。かなり前から飲んでいるらしく、頭まで葡萄酒ワインに漬かったかのように赤くなっている。



「はーい、今いきまーす……きゃっ!?」



 するり。太ももの辺りをなでられた。

 全身の産毛が猫のようにぞわっと逆立った。

 い、今、スカートの中に手が入ったような……。



「あ、あの……!」


「働いてばっかりで疲れたろ。俺たちのとこで休んでけよ」


「い、いえ。私、他にもやることあるので……!」


「いいじゃん、いいじゃん。メルちゃん、働きすぎなんだよ。なぁ、みんな?」



 ど、どうしよう。


 うろたえているうちに、アントニオはメルを隣に座らせて、ムリヤリ酒をもたせてしまった。薄い葡萄酒の水面に、借りてきた猫のように縮こまった自分が映っている。


 他の傭兵たちが、アントニオの行為に気付いている様子はない。


 メルがブリキのジョッキをもって固まっている隣で、アントニオはドラ声を響かせて調子っぱずれに歌い始めた。周りの傭兵たちも合いの手で応じ始める。



「俺たちゃ気ままな旅暮らしー」


「「おぅおぅ!」」


「風のようにー。水のよにー。流れていけばおサラバさー」


「「おぅー!」」



 ──その土地その土地の風を読み、空気を感じて、刹那せつなを生きる。誰も彼も、背負ってるものは違っても、ぶつかりあわねば気がラクさ。流れに身を任せて、気ままにいこう。雄大な大地に包まれて、俺たちゃ傭兵、ならず者。



「あ、ははは……」


 引きつった笑いをしていると、アントニオが肩に手を回して身体を密着させてきた。汗臭い体温とむわっとした吐息に思わずひるんだ。ぞわりと総毛立った。


 なんでもいいから、早く解放されたい……!


 気をまぎらわせようと、手元のジョッキの中身をグビリと飲もうとしたところで、それを止める者がいた。



「……何してる」



 見れば、偵察帰りのアスターが剣を抜き放ちかねない顔で、そこにいた。

 アスターと一緒にきたガレッツォも、入れ墨の入ったたくましい腕を組んで渋い顔をしている。



「おまえら……──ったくよぉ。ガキには手を出すなって言わなかったか?」


「い、いやぁ……あはは! 怖い顔すんなって。ただメルちゃんも酒飲みたがってたから勧めてただけなんだからさ。なぁ、みんな?」



 酔いのさめたアントニオが慌てて手を放して、メルはやっとその場を離れた。


 仲間たちに説教垂れるガレッツォを後ろに残し、アスターはメルの手を引いてずんずん歩いていく。



「あの……アスター。ありがとう」


「嫌なことは断っていい」


「でも……」


「給仕もだ。別に、おまえの仕事じゃない」



 ズキリ、と胸が痛んだ。

 魂送り──それが自分の仕事やくめだと、アスターに言ったのではなかったか。

 なのに、いざ亡者を前にしたら、何もできなかった。



「ご、ごめんなさい。私、肝心なところで役に立たなくて……」


「?」


「魂送りするって言ったのに震えてるばっかりだったから……。でも、もっとちゃんとできるようになるよ。アスターに守ってもらうばっかりじゃなくて、私……──!」



 メルが魂送りできてれば、アスターだって亡者たちのところに残らなくてよかった。アスターの命を危険にさらさずに済んだ。


 アスターは、ふいと視線を逸らした。

 その仕草が、メルにはまるで責め立てているようにも見えて。



「……別に。必要ない」



 簡潔すぎる言葉は、メルを突き放す刃だ。

 胸のうちを切り刻むようで。

 無性に泣きたい気持ちになる。



「……。……ごめんなさい」


「傭兵の奴らだって、謡い手がいない戦いに慣れてる。おまえが気にすることじゃない」



 ──……それはアスターがいるからだ。


 メルは唇を噛んだ。

 アスターが戦力になるから、傭兵たちもみんな何も言わないで置いてくれる。魂送りができない役立たずなメルのことも。

 でも、メルひとりだったらどうなっていただろう? ……わからない。



「いいから、早く休め。明日も早い」


「…………うん」



 アスターと別れた荷馬車の陰で毛布にくるまって、こみ上げそうになる涙を瞬きで押しとどめた。


 泣くのは嫌い。心がもろくなるから。

 涙なんかじゃ、何も変わらない。



「……リゼル…………」



 夜空の星は、応えない。

 ……どんなに想っても。

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