間話5 美術室の怪とかつての友

 七坂小学校は少しばかり奇妙な学校だった、と卒業生・間山友子まやまともこは思う。


 普段、同人誌を作るために活用しているパソコンやプリンターを学級新聞を作るために貸して欲しいと、年の離れた妹に頼まれたのはつい先日のこと。

 大学が早めに終わる日を見繕い、その日の放課後に集まるようにしてもらった。

 機器を貸すのは構わないが、操作方法が分からず壊されたり、反対に操作に慣れ過ぎてて、見られてはならない薄い本の原稿ものを発見されるのも怖かったので。

 可愛い妹に軽蔑の眼差しで見られる可能性は、排除しなければならない。

 万難を排して臨んだおかげで、学級新聞作りのための作業はつつがなく終わった。

 リビングに持ち込んだノートパソコンやプリンターに妹のクラスメイト、特に男子は興味津々でパソコンやアプリに関して色々質問されたりしたが、一人だけ違うことを聞いてきた子がいた。

 七坂小学校に通っていた時に特に印象に残っていることはありますか?という質問で、ああ、これが噂の転校生くんか、とわかった。

 なんでも五年生になってやってきた転校生で、初日から学校の七不思議を集めるのが趣味だと公言し、七坂小学校に学校史上、何度目かのオカルトブームを巻き起こしているらしい。

 それは怖い話で?と尋ねれば、目を輝かせて怖い話が苦手でなければ是非!と拳を握って答えてくれた。

 今回、学級新聞を共に作ることになった班員には怪談がダメだという子はいないらしく、全員がわくわくとした顔をしていた。

 私もオカルトや心霊話は嫌いではないので、それなら知っている話からいくつか披露してあげようと、おやつとジュースを用意しながら小学校時代の記憶を掘り返していた。


 七坂小学校は一見普通の小学校だ。

 歴史の古さはこの地域では一番だし、学校の敷地が寺だったとか墓地だったとかは他の学校でもよくある話だ。

 でもそれだけでは説明がつかないほど、怪談話が多い。

 さらにその頻繁に起こる心霊現象に対して、大きく騒ぐ先生や生徒が少ないのがおかしいと、大学生になった今になって友子は思う。

 教室の扉が開いて誰かが覗いていた、下駄箱やロッカー、机の中から手が出てきた、手を入れたら触られた、人が通れない場所を人影が横切っていった……。

 そんなことが度々起こり、その時は叫んだり驚いたりするのに次の日にはもう平然としている。

 どうせ、いつものことだから、と。

 不思議な現象が日常だと、いつの間にか慣らされ無関心になっていく。

 そして平凡な日常のことだと記憶から忘れ去ってしまうのだ。

 卒業してしまえば、こうして誰かから水を向けられないと思い出しもしない。

 おかしな小学校だった、と卒業して久しいからこそ、友子は思うことができている。

「そうねぇ……よく覚えているのは美術部で教えられた話かな」

 思い出すままに友子は美術部で語り継がれていた怪談をいくつか話した。

 絵の具を出しっぱなしにしていると美術室の床や壁、天井まで手形や足跡が描かれてしまう話や、描きかけの絵をしまうと消えてしまう乾燥棚、決められた場所以外で乾かすと一瞬で違う場所に整列する筆、皮だけを残して中身がなくなってしまうモチーフの果物。

 どれも美術部に入部したら伝えられる怪談である。

 こうしてまとめると、まるで美術部で代々怪談を語り継いでいるようだが、全部員に通達されるのは、注意事項だけだ。

 必ず絵の具は持って帰ること、筆は決まった場所で乾かすこと、描きかけの絵を乾かすときは特定の棚は使わないこと、モチーフに果物を使う場合はその日の内に描いてしまうこと。

 そんな注意事項に疑問を抱いて、どうして?と尋ねると理由を教えてもらえる。

 不思議なことに大半の生徒は疑問に思わず、その独特のルールを素直に守るばかりだった。

 転校生くんにこのうちのいくつかを伝えたという部員は、友子と同じく美術部のルールに疑問を持った子なのだろう。

 そしてきっと、友子と同じく、そのルールのいくつかを破って、伝えられていた通りのオカルト現象を体験しているに違いない。

 わざと絵の具を忘れて帰ったことが先生にバレて、半泣きになりながら掃除をしたなあと話しながら懐かしく思い出す。

 一応、それぞれの逸話に本当か定かではない由来も添えられていたりする。

 果物の中身が無くなってしまうのは、この学校が建てられる前の寺に飢饉の折り亡くなった人々を祀る碑があったから、とか。

 描きかけの絵を仕上げることが出来なかった亡くなった子どもが絵を消してしまう、果物と同じく寺に祀られていた子供の霊が手形を作っているなど。

 七坂小学校が建つ前、前身のような形で寺子屋があったのは確かな話だし、つまりは寺があったのは確実で、当時の寺なら墓地が敷地内にあってもおかしくない。

 この地方ではそれぞれの集落の近くに共同墓地があり、それとは別に寺に分骨して墓を建て祀ってもらうのが一般的だった、というのを郷土史の授業で友子は知った。

 また戦前からの長い歴史があるので、在学中に死んだ生徒もそれなりの数いるだろう。その子たちが本当に怪談に関わっているかどうかは知りようもないが。

 そうして語っているうちに、美術室で目撃した中で一番怖いと感じた出来事があったのを思い出した。

「……正確にいうと、学校の怪談、ではないかもしれないけど」

 そう前置きして話し始めたのは、夏休み、コンクールに出品する絵を描くために美術室に通っていた時の出来事。

 十年も前のことだから、記憶もだいぶ朧げになったいたはずなのに、語り出すとするする言葉が出てきた。

 コンクールのテーマは「家族」。

 ありがちで、でもどうとでも工夫できる題材にそれなりに頭を絞っていたが、大抵の部員は自分を含む3人から6人程度の「家族」を描いていたから、20人以上を描こうとしていた彼女の絵は印象に残っていた。

 テレビや写真でしか見ることもないような、大きな茅葺き屋根の日本家屋。

 その前にずらりと揃った親戚一同。

 四つ切り用紙に納めるには多すぎる人数で、細かな顔などは描ききれないものの、服装や体型で上手に人々を表していたように思う。

「すごい人数だね」

「うん、わたしも今まで知らなかったんだけど、お父さんの親戚なの。法事で集まることになって、はじめて教えてもらったんだ」

 絵を描く参考に、と記念撮影してきたという写真を指さして、彼女はこれがおじいちゃん、これがひいおばあちゃん、と教えてくれたが、さすがに会って間もない親戚は覚えきれなかったのだろう。

 途中からたぶん、とか確か、という言葉が多く含まれるようになっていった。

 無理もない、と今でも思う。

 彼女の親戚たちは皆、よく似た顔でよく似た雰囲気を持っていた。

 彼女の母とおぼしき女性と彼女が少し浮いて見えるくらいに。

 どうやら田舎によくあることだが、近隣の家はほぼ血の繋がりがあり血の遠い近いはあっても大半が親戚となるそうだ。

 そして地域内で婚姻関係を結ぶことが多いようで、よく似た風貌になっていったのだろう。

「お父さんとお母さんが結婚するときに、よそから嫁にもらうのかって、反対されたらしくて」

 彼女の両親は駆け落ち同然で田舎を出て、長らく音信不通になっていたそうだ。

 だが唯一連絡を取り合ってきた父の弟から連絡があり、一番強固に反対していた人物が亡くなり、その法事があるので来てもらえないかという声かけがあった。

 そこで家族で初の帰省をし、親戚たちと和解してきたのだ。

「たくさんの親戚が話しかけてくれて楽しかったけど、私は田舎すぎて私はあんまり行きたくないなー」

 虫とかすごかったし!と彼女は絵を描きながら笑っていたが、どこか不安げな感情が顔に滲んでいて思わず、どうしたの?と尋ねていた。

「うーん……お父さんが、ね。田舎暮らしもいいんじゃないかって、言い出して」

 彼女としては、たまに田舎に遊びに行くのは構わないが引っ越しまではしたくない。

 けれど親戚と和解した父親は、すぐにでも戻りたがっているのだという。

 仕事のこともあって母親も反対しているが、押し切られそうな勢いなのだと愚痴をこぼした。

「みんなと一緒の中学校に行きたいし、絶対反対する!」

 そう力強く話す彼女を頑張ってと応援し、そのあとは真面目に絵を描いて時間は過ぎた。

 そして下校時間になって学校から出ようとした時、お弁当を入れていた鞄を忘れたことに気がついた。

 絵の具を忘れないように気をつけ過ぎて、うっかりしたらしい。

 まだ数分の猶予はあると美術室にダッシュした時、その人物を見たのだ。

 20人以上を描いた「家族」の絵。

 完成間近のその絵は乾燥させる棚が足りなかったためにイーゼルに立てかけたままになっていた。

 画板にクリップで止められた絵を凝視している白い髪の女性。

 痩せこけて老婆にしか見えないその人物は何事かを呟きながら、手を動かしていた。

 あきらかに生身の人間に見えないその姿に思わず息を呑み込んだが、老婆の手の動きが気になって、息を潜めてそっと移動する。

 半開きの扉に隠れるようにしながら様子を伺っていると、老婆が触れているのは絵ではなく見本にしていた写真だとわかった。

『……てくれ、…ぃれて……そこは……』

 ぼそぼそと掠れた上にハウリングのような……ブレて重なった音で聞き取りにくかったが、何事かを懇願していることはわかった。

 直感で、この人が友人の両親の結婚を反対していた、亡くなった人なんだろうと悟って、友人たちを恨んで出てきたのだろうかと、そう思ってしまった。

 でも、本人たちじゃなくてどうして美術室に出たんだろう?

 そんなことを考えながらも動けなくなっていると、ぽん、と肩に手が置かれた。

 たぶん、きゅうりにビックリした猫並に飛び上がったと思う。

「忘れ物、見つからなかったのか?もう鍵閉めるぞ?」

 おそらく、なかなか戻ってこないことを心配して来たのだろう美術部顧問の先生がそこに居た。

 思い切り跳ね上がった心臓がまだドキドキしているのをなんとか抑えながら美術室内を振り返ったが、もうそこには先ほどの老婆の姿は無かった。

 ただ、老婆が触れていた写真の人物一同の明るい笑顔が妙に印象深かった。


 そんな話を身振り手振りも交えて1.5倍ほど盛って話して聞かせれば、転校生くんは大人しくもテンション高く拝聴してくれ、他のお友達も楽しんでくれたようだった。

 学級新聞用の写真も多少の加工をいてあげれば見栄え良く仕上がり、妹の姉の株も上がったようで友子としても良い1日になった。

 やぱり若いって元気でいいわぁ、と大学生にあるまじき感想を胸に自分の課題もこなすかとクロッキー帳を取り出したところで、今日話して聞かせた老婆のことを思い出す。

 普段は思い出しもしない出来事だったのに、話をしたことで脳が刺激されたのか色々な情報が今、目の前で見たかのように脳裏に蘇っていた。

 結局、友人家族は父親の望みのまま、小学校卒業を待たずに父親の実家に引っ越していった。

 最後に会ったのは引っ越しの前日で、まだ浮かない顔ではあったが高校ではこっちに戻ってくると宣言し、手紙を出すと約束して去って行った。

 それから2〜3ヶ月に一回程度、便りを交わしていたが中学校三年を最後に音信は途絶えたままだ。

 最後の手紙に地元以外の高校進学を反対されてる、と書かれていたのでそのまま田舎で進学したのだろう。

 初の帰省の時は楽しかった親戚付き合いがしんどい、とぽつり零されていた。

 そして当時の自分には老婆に見えた白髪の女性。

 痩せ細って皺も多かったが、老婆というには若くはなかっただろうか。

 友人たちを恨んで化けて出たのかと当時は思っていたが、恨みや怒りよりも深い哀しみが強く感じられたように思う。

 そして、掠れた声で呟いていた言葉。

 あれは本当に『いれて』だったろうか?

 途切れ途切れに懇願するような、ぼやけて震える声。

 あれは……。


『……逃げて……』


 ビクッと体が震えて、クロッキー帳を取り落とした。

 考え込み過ぎたのだろう。

 記憶から蘇った声が、耳元で今、囁やいたように感じてしまった。

 昔からの過集中と妄想癖はいつになっても治らない。

 鮮明に思い出したと感じる記憶は、半分以上、脳が作り出した記憶であることが多いらしい。

 脳が勝手に整合性をとろうと、記憶を捏造・補完してしまう。

 さらに最初は自分で嘘だと分かっていても、何度も繰り返し語っていると誤認してそれを本当だと思い込んでしまうことがあるのだ。

 今日は小学生たちに怪談話として話して聞かせた。

 だから脳内が混乱しているのだろう。

 友子は落ちたクロッキー帳はそのままに、本棚に並べてある一冊のファイルフォルダーを取り出した。

 自分宛の手紙やハガキをまとめたフォルダーの中から、7年前に届いた手紙を取り出す。

 封を開けて中身を取り出すと、記憶していた通り、高校進学が希望通り通らないという話や強制される親戚付き合いや行事が多くて嫌だ、という話題が綴られていた。

 中学生にはスマホや携帯は持たせないと親に言われていたらしく、SNSやメールで繋がることはなかったので、彼女の現在は分からない。

 この手紙には返信したはずだが、その後の返事がなかったことで自然と音信不通になったのだ。

「……あれ、まだ何かあったっけ?」

 便箋を戻そうとした時に、封筒の中に何かが残されているに気がついた。

 時々手紙だけじゃなく、自作絵も交換していたのでそれかもしれないと取り出したのは、絵ではなく写真だった。

 冠婚葬祭……全員の服が黒なので葬祭の方だろう。

 あの日、美術室で見た写真と似た、親戚一同の集合写真。

 成長した彼女と彼女の母だけ浮いて見える、よく似た顔形と全く同じ笑顔で揃った20人ほどの人々が映る写真。

 彼女と彼女の母だけが、真顔でまっすぐカメラを見ていた。

「…………元気、だといいな」

 呟いて彼女の顔に爪先で触れた時、自分のものでない指も重なって見えたが、友子は今度は動揺もせず声もあげず、写真を裏返すと便箋と共に封筒にしまい、フォルダーに戻した。

 自分に今更できることは何もない。

 そもそも今日、たまたま怪談話をしたことでようやっと思い出したような、薄情な繋がりだ。

 親戚か田舎に何があるのか、気にはなるが首は突っ込まない。

 三日かかった美術室の掃除で自分は懲りた。

 七坂小学校出身者は心霊現象へのスルー力が鍛えられるのだ。




41、天井や壁に描かれる手形アート

42、絵が消される棚

43、皮だけになる果物(モチーフ)

44、整列する絵筆


番外、忠告する白髪の女性

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