第22話 美術室の怪談

 学年末の怪奇現象を期待して学級新聞の制作に精を出していた息子だったが、担任に集合写真の使用は却下されたらしい。

 昨今、コンクールなどに出品する可能性があるものに、顔が判別できる写真を使用するには映っている全員の許諾が必要であり、クラスの三分の一ほどが写真を使わないで欲しいと言ったという。

 プライバシー保護の観念教育の勝利である。

 先生に保護者ラインで報告しておいた甲斐があった。よかった。

 息子は少しガッカリしていたが、プリントしてもらった工場見学の集合写真は大切にリビングに飾っている。

 転校時期によってはクラス行事に参加できなかったり、集合写真を撮影しても映っている大半のクラスメイトと交流がなかった時期であったりすることが多いので、友人と呼べるクラスメイトと一緒に映っている写真は嬉しいようだ。

 申し訳なさが頭を擡げるが、転校することで一つの学校に通い続けるよりも友達が増えるから楽しいよ、と言ってくれる息子の気遣いをありがたく受け取っておこう。

 各校の友人たちとの交流も年賀状や手紙のやりとりがあるのを確認しているので、親を安心させるための嘘でもないようだし……。

 その大半が学校の七不思議が縁になっているというのは、趣味のつながりって強いなぁと思う他ない。

「まあ、学級新聞自体はすごく褒めてもらったしね!」

 先ほどまで拗ねてリビングのラグの上で寝転がっていた息子は、ムクリと体を起こしそのままあぐらを組んだ。

「写真プリントしてもらう間に、お姉さんからも学校の七百七十七不思議について聞けたし!」

 学級新聞を作るにあたり、使用する写真を家のプリンターで出力してくれたのは、同じ学級新聞を作る班になった女生徒のお姉さんだ。

 なんでも趣味で自費出版の本を出されているというお姉さんは家に様々な機械を揃えているらしく、妹の願いに快く協力を申し出てくださったそうだ。

 このお姉さんは息子達と10歳ほど年が離れているが、七坂小学校出身だ。

 現在美術大学に通っているという彼女は小学生の頃から絵を描くのが好きで、美術部に所属していた。

 活動場所の美術室にはいくつかの怪談話があって、その中のいくつかは代々美術部員に伝えられている。

「絵の具を置きっぱなしにすると、美術室の壁や天井に絵の具で手形や足跡が描かれるから絶対忘れないように、とか」

 他、描きかけの絵を乾かすための棚の中で一箇所だけ、絵を入れると次の日に描いたはずの絵が消えてしまう棚もあるそうだ。

 不思議と完成した絵を乾かす時は消えないらしい。

 この辺りの話は現役美術部員も知っているそうで、数年前、うっかり絵の具を忘れた生徒がいて、三日間ほど掃除のために美術室が使えなくなったというエピソードを息子は聞いていたという。

「実害があるけど、対策しとけば大丈夫だから、注意するようにって伝わってるんだよ」

 それを当然とされているあたり、七坂小学校に通うと多少の不思議では動じなくなっていくのか。

 いや、放送部などでは怖がりな子もいるのだから、美術部が特別なのか……。

 所詮、息子からこうして話を聞くだけの私では、全校生徒対象に調査できるわけでもないので気にしないのが一番だろう。

「それで実害はないけど、お姉さんが見て怖かった話っていうのが……」

 その年、美術部では9月の初めに応募締め切りの絵画コンクールに部員全員で応募しようということになった。

 そのため、例年ではほぼ活動がなかった美術部だったが、夏休み中に1週間ほど美術室を開放することになった。

 もちろん、家で描いてもよかったけれど、家を汚す心配もなく、また一人で描くよりは友達がいた方が楽しいということで、全部員がその1週間、美術室で絵を描くことになった。

 その時のテーマは「家族」。

 それぞれに工夫を凝らしてはいたが、夏休みに行った旅行や行事の絵を描く部員が多かったように彼女は記憶していた。

 その絵の中に、とても立派な茅葺の日本家屋、その前に勢揃いした親戚を描いた部員がいた。

 すごい人数だね、と彼女が言うと、描いた本人は今回の法事で集まるまで、親戚がこんなに居たとは知らなかった、と言って笑ったという。

 絵の横に置いた参考用の写真を見せてもらいながら、これが祖父で、これが曽祖母で隣にいるのが又従兄弟の…と説明されたが、途中で本人も混乱していた。

 詳しい話は知らないが彼女の親は若い時に親戚の一人とトラブルがあり、長らく実家に帰ることがなかったらしい。

 その親戚が亡くなったことで、久々の帰郷となったということだった。

 初めて会った親戚との交流や、馴染みのない田舎が楽しかったのだろう、その日は互いに絵を描きながら、部員の話を聞いて終了したという。

 その日の予定を消化して、さあ帰ろうと昇降口まで来た時に彼女は忘れ物に気がついた。

 それは絵の具ではなかったが、あの美術室に忘れ物は極力ない方が安全だ。

 そう判断して、彼女は一人、美術室に引き返した。

 職員室で鍵を借り、扉の前に立った時、中からぶつぶつと呟く声が聞こえてきた。

 先ほど美術部員も顧問の先生も一緒に部屋を出た。

 確かに施錠したからこそ、今、手の中にある鍵を借りてきたのだ。美術室には誰もいないはずだった。

 けれど扉の前、耳を澄ますまでもなく、人の声が聞こえてくる。

 これは今まで聞いたことのない美術室の怪談ではないか。

 そう思った彼女は恐怖心よりも好奇心、あと自分の忘れ物が原因で部屋が荒らされるようなことになったのではないかという怖れから、扉の鍵を開けて、そっと中を覗き込んだ。

 鍵を開ける音はどうしても響いたが、声の主は全く気付くことはなかったようだった。

 ぐるり、美術室の中を見渡せば、今日の活動中に話をしていた部員の描きかけの絵の前に長く白い髪を振り乱し、背中を丸めている人物がいた。

 絵に向かっている背中しか見えなかったが、おそらく老婆であろうと感じたそうだ。

『いれてくれ…………そこは……私の場所だ……いれてくれ……』

 その老婆は何度も何度も部員が描いた親戚一同が揃った絵をひっかくような動作をしながら、涙声で懇願していた。

 彼女が目の前の光景に立ち竦んでいると、背後から顧問の先生の声がかかった。

 忘れ物を取りに行った彼女がなかなか帰って来ないので心配したのだろう。

 その先生の声と共に、老婆の姿は掻き消えた。

 引っ掻かれていた絵には傷もなく、美術室に荒れた様子もなかった。

 彼女は先生に自分が見た光景を話すことなく、忘れ物を持って帰宅したという。


「それ以降、同じ光景を見たわけじゃないし、明らかに美術室っていうより、その部員の絵か写真に憑いてたっぽいから、学校の不思議に入れるかどうかは悩ましいんだけど」

 お姉さんは他の美術室であった、例えば絵のモチーフとして持ってきた果物がいつの間にか中身だけなくなっていたとか、洗って干していた筆が一瞬目を離した隙に床に整列していたような経験より、その老婆が怖かったと言っていたそうだ。

「言葉では懇願していたけど、背中から伝わる感情がぞっとするような憎悪しかなかったんだって」

 お姉さんは部員にもその話をしなかったので老婆がどういう人だったかは分からずじまいだが、部員の家族が帰郷できなかった要因だった人なのだろうと推察していた。

 そして最後に、老婆が欠けた親戚一同が心の底から楽しそうな笑顔だったことも少しだけ悲しくて怖い、とぽつり呟いたという。

「まあ、どこのご家庭もいろいろ問題ってあるよね。

 ところでお母さんは、これ学校の七百七十七不思議に入れていいと思う?」

 息子の雑な感想と共に放たれた質問に、私は保留という先送りを提案しておいた。



41、天井や壁に描かれる手形アート

42、絵が消される棚

43、皮だけになる果物(モチーフ)

44、整列する絵筆


(保留)絵画に拒まれる老婆

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