番外 怖いもの(※注意:虫の話有り)

 新しい学校に自分の好きな怪談話、不思議な体験が溢れていたからといって、無闇矢鱈にはしゃいで良いものではない。

 しかも、それが苦手、嫌いな人が多いものなら周囲に配慮も必要だ。

 小学校五年生、もう十歳を過ぎているのだから、そういう目の前にいない人のことも考えられるようになるべきだろうと、一度しっかり話をしようと思った。

「あなたの好きな七不思議やオカルトな話が、とても怖くて話も聞きたくない、知りたくないっていう人がいるのは分かってる?」

 リビングのテーブルで向かい合いそう問いかけると、息子は神妙な顔で頷いた。

「放送部の子が泣いちゃったって聞いて、反省した」

 そう言って私の目を見返してくるが、親である私には分かる。

 これは経緯は理解したが、根本的なところは解っていない目だ。

 罪悪感も後ろめたさもなく、ただルール違反をしてしまったことだけ把握して、そのルールさえ守ればいいと思っている。

 息子のこういう部分は生まれついてのもので、私や夫にも共通するということは遺伝性の形質でもあるのだろう。

 こういう特性はどうしようもないところはある。けれど、そのまま放置してしまえば、これから先の社会生活の中で周囲に無用な軋轢を生んでしまう。

 息子が悪意なく誰かを傷つけてしまい、悲しい思いをする人を増やすようなことはなくしていきたい。

「あなたは虫が苦手よね?」

「……全部の虫じゃないよ」

 私の問いかけに息子はぎゅうっと酸っぱいものを飲み込んだような顔になった。

 息子はユスリカや蟻、蜂が苦手だ。

 虫の種類ではなく集団行動する虫が苦手というか。

 おそらく原因になったのは三歳になるかならないかの頃。

 今と同じく好奇心旺盛だった息子は公園で蟻の巣を見つけ、何を思ったか着ていたオーバーオールの胸ポケットに蟻を詰め込み始めた。

 一匹づつ摘んでは胸ポケットに入れ、ポケットから這い上がってくる蟻を戻し……そんな作業を続けて数分。

 息子は足元に違和感を覚えたのだろう。ふと下を見た。

 そこには息子の体をよじのぼってくる無数の蟻がいた。

 ポケットに詰め込まれた仲間のフェロモンを辿ったのか、息子が服に食べこぼしたおやつが原因だったのかは分からない。

 自分の体にまとわりつく蟻に恐怖した息子は、先ほどまでとは一転、蟻を振り払おうと手を懸命に動かした。

 しかし所詮は三歳児の動き。蟻の大半は息子の抵抗など気にせず這い回り、息子は大きな声で泣き出したのだった。

 ベンチで息子を見ながら近所のママ友と談話していた私は、ついさっきまでごきげんで立ったり座ったり踊ったりしていた息子が泣き出したのに驚き、近づいて初めて事態を悟ったのだった。

 息子は小さな虫といえども命を弄んではいけないという教訓とともに、集団行動する虫に大きなトラウマを抱いたのだった。

 幼かったために記憶はぼんやりしているようだが、植え付けられた恐怖心は消えていない。

「蜂とか…刺されるかもしれないし、蟻も噛むし……」

「ユスリカも嫌いよね?夏に集団で飛んでる小さい蚊みたいなの」

「…………うん」

「でも、あれは蚊じゃないから、刺したりしないでしょ?」

 息子はじっと自分の膝を見る。

 被害を受けるから嫌いで怖いわけじゃない、と理解しているのだ。

「別に虫が嫌いなのは悪いことでも克服しなきゃいけないことでもないのよ?」

 ぱっと顔が上がった。

 じっと見てくるのは話し始めた最初と同じだが、こちらの話を聞く姿勢になっている。

「虫がいるところは避けなきゃいけないし、遭遇しちゃった時に怖い気持ちになるのはデメリットだけど、虫が好きな人の好きだって気持ちを否定したり、見つけた虫を全部退治しようとしたりしなければ、いいと思う」

 こくん、と頷きが返ってきた。

 手を伸ばし、その頭をぽんぽんと撫でてから再び口を開く。

「でもあなたにとっての虫みたいに、怪談や七不思議が怖くて嫌いな人がいるんだってことを、ちゃんと理解しなくちゃダメなの」

 そういうと息子はぽかーんとした顔になった。口がまん丸に開いている。

「あなたが虫がたくさんいるところを見るのも嫌で避けたり、話を聞くのが嫌でテレビのチャンネルを変えるみたいに、見るのも話を聞くのも嫌だって人も多いのよ?」

「本当にあるかどうか分からない話でも?」

「直接は見えない、葉っぱや樹の下で越冬しているテントウムシも嫌いでしょう?」

 私の言葉に息子は何度も頷いて、そして思いもよらないことだったというように宙を睨んで何か考え始めた。

 私はしばし口を噤んで息子の答えを待った。

 注いでおいた麦茶を飲み干す頃に息子は話はじめた。

「怖い話に出てくる幽霊とかお化けって、見た目が怖いことも多いよね」

「そうね」

「何がしたいのか、分からないことも多いし」

「目的も手段も普通に考えたら、意味不明だったりするわね」

「酷い目に会う話もあったし…なんかこう、驚かすようなことしてきた。僕はそれが楽しいんだけど」

「お母さんはちょっと苦手だわ」

 不意を突かれると本当に心臓が縮こまってしまう。

 オカルトなことだけじゃないけど。

「見たくも聞きたくもないって思ってるのに、周りで話されてたら、しかも楽しく話てたら、嫌って言い出せないよね……」

 息子は自分の常日頃の言動に思い至ったようで、だんだん声が力なく沈んでいく。

 そしてガバッと頭を抱えてテーブルに突っ伏してしまった。

 言い訳をするならば、今までの学校ではここまで人目も気にせず、七不思議を聞いて回るようなことはなかったのだ。

 そもそも普通の小学校だと全国的に流布しているような怪談話がいくつかあるだけなのが普通で、1週間もすれば七不思議も出尽くしてしまう。

 そうなれば話はそう繰り返されることもなく、怪談やオカルトの話はSNSで、学校では普通の行事や勉強、ゲームなどの話題で過ごすことが大半だった。

 しかし七坂小学校は格が違った。

 本当に七百七十七あるかはともかくとして、転校してしばらく経っても不思議話が尽きない。

 聞いて回れば次々出てくるし、いくつか体験までしたことでテンションが振り切れていたのだ。

「反省できた?」

「できた……」

「じゃあどうしたらいいか決めた?」

「明日から、一緒に楽しんでくれる友達以外がいるところでは大きな声で話さない。誰彼なしに聞いて回るのもやめる。体験した人を羨ましがって見るのもやめる」

 そんなことしてたのか。

 大いに反省してほしいところだ。

「センパイも、明日、六年一組でごめんなさいだけして通うのやめる」

「まだ探してたの!?」

「センパイは判明したけど、男だって勘違いしてたの恥ずかしくて気づかないフリしてた……」

 行ったら不思議話してくれるから、つい……って、よくクラス出禁になってなかったわね。

 本気で菓子折りでも持ってお詫びに伺いたい。

 でもこれで、息子の行動が少しは改まると安心できる。

「放送部にも、もう一回、謝りに行ってくる」

「うん、頑張って。明日から気をつけてね」

 私も早く話をすべきだったと反省しながら、息子も周囲も楽しい学校生活を送れるようにと、ひっそり祈った。

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