間話4 鶏小屋の記憶

 理科準備室のドアが大きな音を立てて開いた。

 器材の確認のため理科室にいた四年四組担任、吉田衛よしだまもるは大きくため息を吐いてドアに近づいた。

 理科準備室は理科室の奥にある。

 それなりの広さの部屋には作り付けの棚があり、壊れやすい実験器具や普段使用されない骨格標本、薬品類が納められていた。

 この校舎は真新しい、とは言えないがそれほど古い訳ではない。

 なのに、この準備室のドアだけが誰も触れていないのに開閉してしまうことが多々あった。

 吉田は取手を何度か回して鍵の突起が動く様を確認し、ドアを支える蝶番を確認する。

 よくよく見れば上から二番目の蝶番が少し緩んでいるようだ。

 吉田は準備室のひとつの引き出しを開け、ドライバーを取り出すと蝶番を締め始めた。

「ドアが開閉するのは蝶番が緩んでいたから。因果関係があれば、それは不思議でもなんでもない」

 作業をしながら、ぼそぼそ小さな声で呟く言葉は誰の耳にも届かない、はずだった。

「また、そんなこと言ってんのか」

 不意に掛けられた声はくされ縁の同僚、五年三組担任の柳直生やなぎなおきだった。

「昔は卵が睨んできたとかで、めちゃくちゃ泣いていたのに」

「うるさい!小学生の時のことをいつまでも話すな。そもそも原因はお前だ」

 思わず立ち上がって振り返り、言葉を返した。

 普段は生徒に見本を示す意味もあり丁寧に話すことを心がけているが、長い付き合いのある柳相手ではすぐに素が出てしまう。

 しかも、出された話題が吉田にとっては黒歴史とも言える出来事だっただけに、腹正しい。

 昔、まだ七坂小学校に飼育小屋があった頃、生き物係だった吉田は鶏の世話を熱心にしていた。

 いや、熱心にならざるを得なかったというべきか。

 鶏は生き物だ。こまめな世話がなくては死んだり病気になったりする。

 家でセキセイインコを飼っていた吉田はそれが分かっていたが、他の生き物係はそれが分かっている様子はなかった。

 小学生には他に楽しいことがたくさんある。

 授業のある間はそれでも当番がサボられることはなかったが、長期休みになるとそれも緩んでしまう。

 特に目の前の柳のような、飽き性で大雑把な性格は生き物の飼育には向いていない。子供であれば尚更だ。

 鶏が気になってこまめに学校に通っていたが、さすがに家族旅行を抜けることはできない。

 その期間の当番が柳だったのが問題だった。

 旅行から帰った翌日見に行った飼育小屋はかなり荒れていた。

 約五日間、ほぼ世話をされていないのが分かる鶏たちは空腹で殺気立ち、水と餌を与えて気をひいて、掃除をこなすのにどれだけ緊張したか。

 飢えのあまりか、自分達が産んだ卵を突き割って食べていた様子が、かわいそうで仕方がなかった。

 床の糞を洗い流して新しい藁をひいてから、先に古屋の外に出しておいた古い藁を探ると、食べられていなかった卵がいくつか出てきた。

 当時飼われていた鶏は全てメスだったため無精卵。

 雛が育つことはないが、夏の日に外で放置されていたのだ。もう腐っているかもしれないと思いつつ、持ち帰るために手提げに入れていたが、そのうちのひとつが妙に軽かった。

 どういうことだろうと、光に透かすため空に掲げ、小学生だった吉田は卵の中に黒々した目を見た。

「お前がちゃんと当番をこなしていれば、中身が無くなるまで腐乱することもなかったんだ」

 あの時は目玉だと思った。

 落として割った卵の中が空だったのも、小学生の吉田に混乱をもたらした。

 卵は長期間、気温の高い中に放置されると気孔から水分が蒸散し、乾燥してしまう。

 結果、卵の中は空になり、卵黄は黒く、卵白は白っぽい膜のようになる。

 おそらくそれが目玉に見えた、もしくは空を見上げた時、うっかり光が目に入り、陰性残像、光と反対色の残像が残ってしまう現象が起きたのだと今は解っている。

 あの当時にその知識があれば、泣いて取り乱し、柳に怒鳴り込むようなことはなかっただろうに、と後悔している。

「それは反省してるよ。生徒にも当番はサボらないようにって、ちゃんと失敗談として話してるんだ」

「………おい?」

「ん?」

「それはお前が当番をサボったという話だけなんだろうな?」

 吉田の言葉に、柳は沈黙で答えた。

 その様にさらに怒りが募る。

「お前なぁ!」

「いや、ほら五年四組の転校生が怪談話が好きらしくて、そういう方が話を熱心に聞いてくれるだろ?」

「怪談なんて信じさせる方がよくないだろう!」

 吉田は怪談を信じない。

 七坂小学校は歴史の古さと土地柄もあってか、そういう話にことかかないが、卵のように原因となることはあると思っている。

 それが究明されないから、超常現象に思えるのだ。

「でも、あるだろ?」

 そこの扉のように、と指さされ、フンと息を吐く。

「これは蝶番が緩んでいたから開いただけだ。ドアストッパーで動かなくなるのは、物理的な力が原因だということだ」

 もう大丈夫だろ、と言いながら、話のせいで途中になったと、再度ドライバーでしっかりネジを止める。

 一番下の蝶番まで念の為、確認していると柳の足が目に入った。

 大雑把な性格の柳だが、普段体育の授業以外はスーツを身につけていることが多い。

 七坂小学校は服装にさほど厳しくないため、ラフな服装の教師も多い中、珍しいことだと、ふと思った。

「月に何度も緩む蝶番とか、それだけで問題だろ」

 そんな柳の言葉は無視して立ち上がった。

 回数は問題にしたくない。ドアの開閉が特定の人間の前でしか起きないという事実にも蓋をする。

「そう言えば五年の教室でも扉が開いたそうだな」

「ああ。おかげで、地盤調査するかどうかって話も出てる」

 七坂小学校の地盤調査は二年前に行われた。

 問題なしとのお墨付きだった。

 数年おきに行われる調査で、ずっと建物の歪みは否定されている。

「地盤以外の原因を見つけるさ」

 湿度でも斜度でも建材でも。まだ要因になりそうなものはたくさんある。

「ところで、何の用だったんですか、柳先生」

「あっ、そうだ!会議の時間がちょっと早まったんだよ。もうすぐ始まるから」

「それを早く言え!」

 のんきな柳の言葉に、一瞬だけ立て直した言葉遣いは脆く崩れ去った。

「ここの施錠を終えたらすぐに行くから、伝えておいてくれ」

「分かったよ」

 慌てて準備室の机の上を整えはじめた吉田に頷いて、柳は先に理科室を出た。

 実際に会議が始まるまで15分ほどはある。

 ゆっくり歩いていれば、吉田も追いつくだろうと思った。


 腐れ縁とはよく言ったもので柳と吉田は小学校・中学校・高校が同じで、大学は違ったがいくつかの学校を経て、同時期に七坂小学校に赴任した。

 学生時代、特に仲が良かったことはなかったが、何かとおかしな出来事に遭遇する時、近くにいることが多かった。

 吉田は不可思議な出来事に合うほど、科学的根拠があるはずだと頑なに否定するようになり、柳は信じざるを得ない、と感じている。

 吉田に泣いて怒られながらも、小学生の柳は深く反省することはなかった。

 むしろオカルトな体験談をすげーとはしゃいでいた記憶がある。

 浅はかな子供だったのだ。

 あの出来事の後も当番を度々サボることがあり、その結果として一羽の鶏を死なせてしまったことがある。

 すっかり当番を忘れた次の日、同クラスの当番に怒られながら飼育小屋に行くと一羽の鶏が倒れていた。

 ピクリとも動かない鶏を見て、もう一人の当番は先生を呼んでくる、とその場を離れた。

 さすがの柳も死んだ鶏の姿に動揺して、おろおろと飼育小屋を覗き込もうとした。

 その瞬間、ぐっと押さえ込まれるような圧を感じて、柳は後ずさった。

 小屋の中にいた他の鶏たちに一斉に見られていた。

 小さな感情のない、しかし冷え冷えとした瞳で注視された柳は、教師がやってくるまでその場から動くことができなかった。

 以来、柳の足の一部に、鱗のようなものができるようになった。

 魚鱗癬ではないか、と診断されたが痒みはなく、甲状腺をはじめとした他の症状はない。

 吉田なら、鶏への罪悪感からストレスを感じてそういう症状を起こしているのではないか、と言うだろうか。

 それが正解かもしれないが、柳は鶏からの戒めだと感じている。

 あれから柳は『当番』をサボることは絶対にしていない。



25、卵の中の目玉

29、ひとりでに開閉する理科準備室の扉

30、鶏の足の鱗

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