間話3 人の目は見たいものしか映さない

 失敗した。


 七坂小学校六年一組 寒咲かんざきはるかは深くため息を吐いた。

 少し前の雨の日のことだ。

 その日はたまたま体育のクラスが三組重なってしまい、体育館を共同で使うことになってしまった。

 七坂小学校の体育館は戦時中、避難所兼、遺体安置所になっていたことがある。

 この町にも軍需工場があり、そこが狙われて幾度かの空襲があったのだ。

 最初の2回は戦闘機の数も少なく被害もほぼなかったが、きっと偵察だったのだろう。

 3回目で編隊を組んできた飛行機は町の半分を焼き、たくさんの人が死傷した。

 尋常小学校だった七坂の体育館と、その後ろの山に掘られた防空壕に人は集まり、運び込まれた怪我人たちは碌な治療も受けられぬままに息を引き取っていった。

 その無念は『七坂小学校の体育館』に染み込み、過去のその日集まった人々の、半数以上全数以下の人数が雨の日に体育館に居ると誘われるように幻の人影が蘇る。

 今この体育館には、生きている人間の倍ほどの人影が存在していた。

 とはいえ、悠のようにはっきりと人影として見えている人間はほぼいないだろう。

 子供はこういったものに対して感覚が鋭いこともあるので、存在くらいは感じ、息苦しさを覚える生徒はいるかもしれない。

 だけどこの人影は本当に幻のようなものだ。

 よく言われる幽霊というよりは過去の人々の不安や苦しさが残像のように残って、特定の条件の時に再生されているだけ。

 こういう幻のようなモノは、誰かがはっきりと視認しその存在を認めてしまわない限り、再生をただ長い年月繰り返し、そのうち擦り切れて消えてしまうものだ。

 悠は今までの経験と亡くなった曽祖母の教えでそれを知っていたから、この人影もただの幻だと認識していたし、それを認識してしまいそうになった五年生に忠告した。

 一瞬隣り合っただけの下級生だ。いつもみたいに気味悪がられても、別に構わないと、そう思って。

 連日、捜索されることになるとは思いも寄らなかった。

 この五年生は一部ですでに有名になっている転校生だったらしい。

 学年が変わってすぐのタイミングで転校してきたらしいが、自己紹介で学校の七不思議を集めるのが趣味なのでたくさん教えてくださいと言い、七坂小学校の多すぎる七不思議に喜んで毎日話を聞き、校内を巡っているらしい。

「うわあ、遙かわいそう〜」

 言葉とうらはらにすごく楽しそうに転校生を観察しているのは数少ない友人の美原藍衣みはらあいだ。

 転校生は今日も六年一組に顔を出し、幾人かのクラスメイトに紛れて七坂小学校にある怪談をひとつ教えれば嬉々として帰っていった。

「大人しく帰ってくれたから別にいい」

 悠が今日教えたのは、無人の体育館で何かが跳ねる音がする。覗くと丸いものが跳ねていて仕舞い忘れたボールかと思って近づけば、人の首だった、という学校の怪談としてはスタンダードな話だった。

 普及しすぎている話はあまり本物に思えない。

 転校生も礼を言いつつも微妙な表情をしていた。

 むしろ、藍衣が語った放課後の教室で出会った生徒が次の瞬間いなくなったという話の方が興味深そうだった。

 悠の狙い通りであるのでそれでいい。

 七坂小学校の体育館で跳ねているのは、正確には首ではなくてボールだ。

 ただ、それを投げているのは亡くなった子供であるので、怪奇現象であるのは間違いない。

 悠に分かるのは、その子供が昔、この小学校に在籍していたけれど、ほとんど通学できずに病気で死んだこと、学校で遊びたかった気持ちが残って体育館にいることぐらい。

 そして、全国的に普及していた怪談といくつかの要素が重なったため、学校の怪談になってしまって、ずっと縛り付けられるように存在してしまっているという事実だけ。

 幽霊はその存在が認識されるほど、そういうモノだ、そこにいるモノだと思われ、消える、所謂成仏することができなくなっていく。

 悠にはその状態はとても辛そうに思えるし、もし怪談話に人を害する要素が付け加えられ、その通りにしてしまえば、ただの想い、残像のようだった幽霊は歪んで別の恐ろし気なものになってしまう。

 だけど、悠には話に聞くような霊能者のように幽霊そのものを成仏させてあげる力はなかった。できるのはただ見ることだけ。

 ずっと見ることだけしかできなかった。

 だけど、あの転校生はちょっとだけ変わっていた。

 霊能力だとか、そういったものがあるようには思えない。

 実際、見たり触ったりができるようではなかった。

 ただ彼は七坂小学校の七百七十七不思議という馬鹿げた話を素直に信じた。

 信じて、人に話をさせてそれを確認する作業を通じて、周囲の人間にもその不思議話をと思わせることに成功していた。

 複数の人に怪談話を信じさせるというのは、なかなかできない事だ。

 彼自身の想う力が強いのも影響しているんだろう。

 ならば、逆はできないかと思ったのだ。

 彼が信じなければ、その怪談はなくなるかもしれない。

 体育館で跳ねる首などないとそういう認識が広がれば、体育館でボール遊びする子供は自然と薄れ、解放されるかもしれない。

 そうなってくれたらいいな、と考えたのだ。


「でもさぁ」

 じっと転校生が出ていった扉を見ながら考えに耽っていた悠を呼び戻したのは、藍衣の不満気な声だった。

「なんであの子、悠と話までしてて、探してる人と同一人物だって気づかないんだろ?」

「あの子が探してるのは六年一組のだからな」

 悠は自分の髪を引っ張って言った。

 あの体育の時間、悠は髪を纏めていた。そして悠の背はすでに160cm近く、胸はあまり発達していない。

 顔立ちは普通だが、兄二人の言葉遣いに影響されている自覚はある。

 悠自身はあまり気にしていないが母は悠を女の子らしく着飾らせるのが好きで、今日も色味は青系統だがあちこちに刺繍のあるワンピースだ。

「それにしたってさぁ」

「まあ、彼はきっと生きている人間にはさほど興味がないんだろう」

 会話した六年生を探しているのだって、幽霊が見える人に興味を持っているだけだから。

 このまま気づかず、捜索も諦めてくれればいいと悠は考えていた。



 数日後、書道教室から細長い箱を抱えた女性教師が出てくるを見て、悠は少し嫌な予感がした。

 なぜかその箱の中で、馬が足を踏み鳴らす姿が見える。

「こんにちは、先生。あの、その箱、なんですか?」

「あら、こんにちは。これは四文字熟語の書かれた掛け軸よ。授業で見せて欲しいって言われて」

 教師の顔をじっと見る。

 クラスは覚えていないが、五年生の担任教師だったと思う。

 さらに嫌な予感が深まった。

「あの……その、見たいって言ったのって…………転校生の」

 そう問うと、怪談好きの転校生が近頃六年生の教室に通っているという話を思い出したのか、教師の眉が困ったように下がった。

 思わずこちらの眉もぎゅっと寄ってしまう。

「ええ、そうなのよ。でもこれはそんな怖い話ではなくてね」

「あの!」

 何か思案しながら言葉を繋ごうとした教師を遮って悠は言った。

「それ授業が終わったらすぐに仕舞った方がいいと思います。絶対、しっかり箱にしまって保管した方がいいです!」

 勢い込んで告げた瞬間、予鈴が鳴った。

 午後の授業が始まってしまう。

「よろしくお願いします!」

 そう言い捨てて、早足で教室に向かった。

 馬の足音と、転校生から逃げるように。

 放課後、昼休みに会った教師の後を手を合わせて拝みながら追い縋る転校生と、その転校生を振り切って書道準備室に箱を持ち込み扉をしめた教師の姿を廊下から窓越しに見て、悠は安堵の息を漏らしたのだった。


23、体育館で跳ねる球(ボール)

24、掛け軸の中の暴れ馬

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