第7話 勇者の胸のうち1

「死ぬんじゃねぇ! こんな、たかが腹に穴が空いたくらいで魔王が死んだりするんじゃねぇよ……ッ」


 なんという無茶を言うのだ。そもそも穴を開けたのは勇者自身じゃないか。それに聖剣は魔王を滅ぼすために存在している。それで思い切り腹を抉っておいて死ぬなとは、どういうことだろう。


「やっぱり、おまえは神官たちに聞いてた魔王とは違う。こんなヤツが人間を滅ぼす魔王のはずがねぇ」


 勇者の足音が段々と近づいて来るのが聞こえる。目はすでに使い物にならなくなってしまったが、耳はまだ何とか音を拾えるようだ。


「こんな……勇者に斬られ放題の魔王なんて、観察とかふざけたことを言いやがる魔王なんて、魔王なわけねぇだろ……ッ」


 すぐそばで勇者の怒鳴り声がした。それにいつもとは違った雰囲気で……そうだ、声に嗚咽が混じっているように聞こえる。


(やはり、最後に見たのは涙だったのか)


 なぜ泣いているのかはわからないが、できればもっと早くに見たかった表情だ。


「死なせねぇ……。やっぱりおまえは死なせねぇから」


 いくら勇者でもそれは無理というものだ。たとえ腹の穴を塞いだとしても、魔力の根源がなくなったこの体が朽ちるのを止めることはできない。そろそろ耳も使い物にならなくなるだろう。


「死ぬなよ……」


(だから、それは無理だと……うん?)


 不意に腹の辺りにおかしな熱を感じた。抉られたときも熱く感じたが、それとは別のもう少し穏やかな熱を感じる。


(そういえば、足元がおかしいような気もする)


 最後に勇者を見たときは血溜まりの中に立っていたはずだ。ところが、いまは立っている感覚がない。「変だな」と思いながらほんの少し動かした手が床に触れて、ますます不思議に思った。


(いつの間に倒れたのだ?)


 意識が揺らいでいるから倒れたことにも気づかなかったのだろうか。……いや、それにしては頭の辺りに床ではないものを感じる。少し柔らかく温かいその感触も気になるが、腹を覆う熱も気になった。


「……クソッ! もっと早く、もっとたくさん、出ねぇのかよ……ッ」


 顔のすぐ近くで勇者の声がした。一体どうしたというのだろう。それに「出る」というのは一体……?


「もっとだ……もっと……!」


 勇者の声に反応するかのように、腹を覆う熱がさらに強くなった。まるで暖かな羽毛の塊を抱いているように感じる。それに頭が痺れるようなゾクゾクするものも感じた。


「死なせねぇ……。おまえは、絶対に死なせねぇから」


(まだ、そんなことを……)


 諦めが悪いなと思っていると、頭がグイッと持ち上がった。……もしかして、わたしの頭は勇者の腕に乗っているのではないだろうか。


(体は床に倒れていて、それなのに頭は勇者の腕の上……?)


 自分がどうなっているのか想像できない。消滅寸前だというのに、この状況が気になって仕方がなくなる。


「絶対に死なせねぇからな。人間にとっちゃ魔王かもしれねぇけど、俺にとっておまえは魔王なんかじゃねぇ。だから、絶対に死なせねぇ」


 段々と胸が苦しくなってきた。消滅するのだから当然かもしれないが、それにしては呼吸だけが苦しくなっているように感じる。それに腹のあたりがジクジクして、肉が焼けるような嫌な臭いまでしてきそうな気がした。


(……いや、これは花の香り、か?)


 一体どういうことだろうか。いろいろ気になるのに息苦しさと腹の熱さに訳がわからなくなってきた。見えない目を開くと、吐息のようなものが頬に触れるのを感じる。


「おまえが言うとおりだよ。俺はたぶん……おまえに恋してるんだ」


(……うん?)


「いや、たぶんじゃねぇ。俺はおまえが好きだ。だから、絶対に死なせたりしねぇ」


 先ほどから勇者は何を言っているのだろう。勇者がわたしに恋をしていることは以前からわかっていた。だからこそ、日々熱心に観察をしていたのだ。


「だから、死ぬな」


 話がよく見えない。目を閉じたわたしは、残り少ない魔力を自分の眼球に集めた。そうして勇者の声がしたほうに頭を向け、ゆっくりと瞼を開く。


「……なぜ、顔を赤らめながら、泣いて、いる?」


 思っていたよりもずっと近くにあった勇者の顔は真っ赤だった。それに湖面のように潤んだ碧眼からはポタポタと涙がこぼれている。


「美しい、瞳、だな」


 最期の瞬間にこれほど美しいものを見ることができるとは思わなかった。これなら心置きなく消滅することができる。そう思って再び目を閉じると「魔王!」という叫び声が響いた。同時に全身を熱いものに包まれたような感覚に襲われる。


(最期まで、わからないこと、ばかりだ)


「魔王!」


 今度は全身を何かに縛られるような苦しさを感じた。思わず目を開くと、視界にうっすらと金の髪が見える。


(……これは……)


 もしかして、これは抱きしめられるという状況じゃないだろうか。まさか消滅前にこんな貴重な経験ができるとは思わなかった。しかし、なぜ勇者がわたしを抱きしめているのだろう。それに泣いている理由もわからない。

 次々と疑問が浮かんでは散り散りになり、意識がすぅっと遠のくのを感じた。

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