第6話 観察と生命のやり取りは紙一重2

 目が覚めてからもどうにも落ち着かない。やはり気分が昂ぶっているからだろうか。書庫にいても本に集中できなかったわたしは、いつもより早い時間から大広間で待ち構えることにした。


「……来た」


 勇者の魔力が扉に近づいてくるのを感じる。まずは何度か攻撃を受け流し、それから“壁”を調整して腹を斬らせることにしよう。


「魔王」


 現れた勇者の表情がいつもより厳しいように見える。これはこれで愛らしいなと思いながら一歩近づく。それに眉を少し寄せた勇者は、何か逡巡しているのか碧眼をきょろりと動かした。


(ほう、そういう仕草も愛らしい)


 もはや何をしても愛らしく見える。期待が高まりすぎて気持ちがおかしくなっているのかもしれない。深呼吸をし、「いつでも来い」と両手を少しだけ広げた。それから“壁”の調整をしようとしたとき、強烈な魔力が一気に突っ込んでくるのを感じた。

 咄嗟に右手で頭を庇った。しかし、衝撃を受けたのは頭でも右腕でもなかった。



 ボタ、ボタボタボタ、ボタ。



 腹のあたりがやけに熱い。視線を落とすと、床に大量の血溜まりができている。よく見ると真っ赤な中に割れた眼鏡があった。なぜ眼鏡が落ちているのだろうと見ている間にも、ボタボタと新しい血が滴り落ちている。

 視線を少し上げて、自分の腹のあたりを見た。……あぁ、そうか。この血溜まりは、わたしの腹から流れ出た血が作っているのか。


「これは見事な、穴が空いたな」


 腹の真ん中辺りに、ぽっかりとした穴が空いていた。覗き込めば背後が見えそうだ。


「わたしの“壁”に不具合が……、いや、聖剣だからか」


 わたしの魔力は意識しなくても勝手にわたしを守ろうと“壁”を調整する。いつからそうできるようになったのか覚えていないが、一族特有の能力なのだろう。今回はそれが逆効果になった。

 向かってきた聖剣の切っ先が、一瞬だが頭を狙ったように感じた。だから“壁”は頭を守ろうと上部と右腕に集中した。その結果腹部が瞬間的に手薄になり、そこを聖剣に抉られてしまった。


(さすがに抉られたのでは、“壁”では防ぎきれなかったか)


 魔力ごと斬ることができる聖剣にとって、薄い“壁”など壁ですらなかっただろう。観察に夢中ですっかり忘れていたが、聖剣とは元々あらゆる魔力を断ち切れる武器だ。だから、毎回種族や魔力の質が違う魔王であっても消し去ることができた。

 わたしがこれまで再生可能な傷しか負わなかったのは偶然だったに違いない。わたしの“壁”が強力だったからだけでなく、勇者が本気を出していなかったからだろう。

 その証拠に、いまの勇者からは天井を突き抜けるほどの魔力が立ち上っている。右手に持つ聖剣を包む魔力も膨大なものだ。剣先からはポタポタと血が滴っているが、滴らずに刃に纏わりついている濃い紫色のものはわたしの魔力の塊に違いない。


(なるほど、根源を絶ち斬られたか)


 魔族は魔力によって生きている。魔力は体内にある根源で生み出されるが、そこを失えば生きてはいけない。たとえ失わなかったとしても、再生できないほどの傷を負えば必ず消滅する。

 わたしの根源は腹の奥にあった。そこを見事なまでに抉られたのだ。歴代魔王の誰よりも豊富な魔力を持つわたしでも、さすがに根源を失っては再生できない。この姿を保っていられるのもあとわずかだろう。つまり、わたしは間もなく消滅するということだ。


「残念だ。まだまだ勇者を観察したいと、思っていたんだがな。もっといろんな表情を見たかったし、恋というものも、知りたかった」


 意識がぐらついてきた。体内の魔力が叫ぶように膨れ上がっているが、さすがに残った魔力だけで腹の傷と根源をどうにかすることはできない。


「もう、勇者の観察は、できそうに、ないな。もう少し、勇者の愛らしい顔を、観察していたいと、思っていたのだが……、仕方ない」


 霞んでいく目が最後に捉えたのは、碧眼をこれでもかと見開いた勇者の顔だった。以前見た驚愕のようにも見えるが、それとは少し違う雰囲気がする。驚くというより、これは……呆然というほうが近いだろうか。


「最期に、また一つ、新しい表情を見ることが、できたな」


 それだけで十分だ。長い間生きてきたが、これほど有意義な時間を過ごしたのは初めてだった気がする。もっと勇者を観察していたい気持ちはあるが、欲をかきすぎるのはよくないだろう。それに欲張った結果がこれなのだから諦めもつく。

 体内の魔力が腹の穴から外に漏れ始めた。もうこの体を保つのも難しそうだ。最期に、わたしに恋をしていた勇者の姿を見ておくかと視線を向ける。


(……あれは、どういう表情、だ……?)


 そこには、なぜか碧眼を見開いたまま涙を流す勇者の姿があった。

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