第4話 魔王、観察に勤しむ2

「クソッ! なんでこんなふざけたヤツの防御壁が破れねぇんだよッ!?」


 ふざけたことなど一度もないのに、また同じことを言われてしまった。

 詳細な観察を始めて以来、勇者は毎日のように「ふざけるな」と口にする。そんなことを言いながらも熱い視線をわたしに向け、日々熱烈にぶつかってくるのだから健気としか言いようがなかった。できれば魔獣ペットとして毎日愛でたいくらいだ。


(いや、人間に対して魔獣ペットというのはよくない言葉だったな)


 人間は魔獣ペットと言われることを不快に感じるのだそうだ。

 では、何と表現するのがいいだろうか。下僕、奴隷、生贄……いずれもわたしが感じているものとは違う。やはり魔獣ペットが近いのだが、それ以外の言葉が思いつかない。


(そばに置いて愛でたいだけなのだが、こういうとき人間は何と表現するのだろうな)


 勇者に尋ねれば済む話かもしれないが、問えばまた「ふざけるな」と言うのだろう。


「クソッ! 聖剣を鍛え直したってのに、全然変わらねぇじゃねぇかよ!」


 そう言いながら振り下ろした聖剣が、わたしの右腕の“壁”に当たった。触れた部分の“壁”が雷のような音を立て、聖剣のほうも赤く光っている。


「なるほど、鍛え直したのか」


 四日前から“壁”にぶつかる部分だけが光るようになったことには気づいていた。てっきり勇者の感情が昂ぶっているからだと思っていたのだが、変わったのは聖剣のほうだったらしい。


(とは言え、聖剣を強化しているのは勇者の魔力なのだろうが)


 眼鏡を外し聖剣に絡む魔力を見た。勇者の赤い魔力がするすると聖剣に吸われているように見える。なるほど、勇者の魔力を効率よく聖剣に与えるために何らかの処理をしたのだろう。そうして蓄えられた魔力がわたしの“壁”とぶつかることで、勇者の魔力が弾けるのだ。


(そのことを勇者は知っているのだろうか?)


 わたしのように魔力をほぼ無尽蔵に生み出せるのなら問題ないだろうが、人間である勇者はそうはいかないだろう。いくら魔力量が多いといっても限界はある。それでも聖剣が吸い続けるとなると、どこかで魔力が尽きてもおかしくない。

 眼鏡をかけて勇者を見る。一瞬怯むような表情をしたが、とくに疲労困憊といった様子はないようだ。少し安心したものの、いまはまだ大丈夫なだけかもしれないと思い直す。


(人間は魔力で生きているわけではないのだろうが、それでも十分危ないのではないか?)


 やはり人間というのはよくわからない。まるで勇者が使い捨ての駒のように感じられる。


(……それは少し不愉快だな)


 それに大いに困る。せっかく間近で観察できるようになったというのに、ここで中断されてしまっては知りたいことが謎のままになってしまう。

 わたしはまだまだ勇者を観察したいし、恋というものも知りたい。それにいろんな表情を見てみたいという欲も出てきた。


「そうだ、ここでやめるわけにはいかないのだ」


 何より、わたしを必死に見つめる瞳をもっと近くで見たかった。


「……クソッ、何なんだよッ!」


 そう、その目だ。ギラギラとした碧眼は、これまで見たどんな宝石よりも美しいと思う。これが恋をする人間の瞳かと思うとさらに目が離せなくなった。

 可能なら日の光に当たった瞳も観察したい。しかし窓のないこの大広間では見ることは叶わない。


(いっそのこと天井をなくすか?)


 それなら思う存分、日の光を浴びることができる。瞳だけでなく金の髪も輝いて見えるかもしれない。


「光り輝く勇者の瞳は、さぞや美しいのだろうな」

「……ッ!」


 つぶやいた途端に勇者が二歩飛び退いた。どうしたのだろうかと首を傾げると、勇者の目元が赤らんでいるように見える。


(興味深い表情だな)


 よくよく見れば頬も赤らんでいるようだし、金の髪からのぞく耳は明らかに真っ赤になっていた。


「ふむ、そういう表情もなかなか愛らしい」

「……ッ」


 さらに勇者が飛び退いてしまった。あぁ、そこまで離れてしまうと頬の赤らみすら見えなくなってしまう。


(かといって、わたしが近づけばまた飛び退くのだろうし)


 仕方ない。ここは全体的な観察をすることにしよう。そう思い直し、改めて勇者をじっくりと見つめた。

 この距離ではっきり見えるのは大きめの碧眼にスッと伸びた鼻筋、それに肉感的な唇の形や色くらいだ。あぁ、目尻は少し下がり気味なのか。だから愛らしく見えるのかもしれない。金の髪や金の睫毛も魔族ではあまり見かけない色だ。


(わたしの青白い肌や漆黒の髪、紫眼とはまったく違っていて興味深い部分ばかりだな)


「そういった部分も含めて愛らしく見えるのかもしれないな」

「ふ、ふざけやがって……ッ!」


 私の言葉に重なるように勇者の怒鳴り声が響いた。同時に大きな魔力が瞬時に近づいてくる。ハッとしたときには聖剣の切っ先はすぐ目の前で、咄嗟に右手で顔を庇っていた。


「……さすがに痛いな」


 切っ先が触れた手の甲に鋭い痛みが走った。指先まで“壁”で覆われていたはずだが、調整がうまくいかずに強度が足りなくなっていたらしい。

 手の甲を見ると、親指側の手首から小指の根元にかけてざっくりと切れていた。小指側の傷のほうが深いようで、小指が外側に少し垂れ下がっている。そんな状態なのに、思っていたよりも流れ出た血の量は少ない。


「すばらしい斬れ味だ」


 だから傷の割に血が流れていないのだろう。左手で小指を元の位置に戻すと、すぐに根元が再生される。おかげで痛みを感じたのもわずかな時間だけだ。


「さすがは聖剣だな」


 これは貴重な体験をした。そう思いながら再び距離を取っている勇者に視線を向けると、何とも不思議な表情でわたしを見ていた。


(これは、どういった表情だ?)


 困惑、衝撃……いや、放心だろうか。とにかく見たことがない表情を浮かべながらわたしの右手を食い入るように見つめている。


(いや、見ているのは手首……袖口か?)


 手元を見ると、斬られたときに流れた血が袖の色を濃くしていた。といっても元々濃い灰色の服だから目立つわけでもない。それなのに、勇者の目はじっと見つめ続けている。


「どうかしたのか?」


 声をかければ、体をビクッと震わせてわたしの顔を見た。そんなに目を見開いてどうしたというのだろう。直後、眉を寄せた険しい表情に変わる。


「その表情も初めて見るな」

「……ッ!」


 ハッとしたような顔をした勇者は、そのまま何も言うことなく煙のように消えてしまった。まだ夕暮れまで時間があるというのに、どうしたというのだろうか。


「あれも恋に関係した表情なのだろうか」


 先々代魔王の書物にいまのような表情は記されていなかった。


「……何だか胸がざわりとするような表情だったな」


 あまりよい表情には感じられなかったが、興味深くはある。できればあと数回じっくり観察したいところだが、明日も同じような表情を浮かべてくれるだろうか。


「……そうか、わたしが傷を負ったのは今回が初めてか」


 だからあんな顔をしたのかもしれない。ということは、またどこかしらに傷を負えば似たような表情が見られるかもしれないということだ。


「なるほど、それなら方法はいくらでもある」


 新しい勇者の表情が見られるのだと考えるだけでゾクゾクした。ここまで知りたいという欲を刺激されたのは初めてかもしれない。


「よし、明日からは傷を負うように心がけよう」


 痛いのは好きではないが、書物にも書かれていない表情を見るためなら安いものだ。それに今回の傷で“壁”の加減もわかった。うまくすれば痛みも少なくて済むだろう。


「あぁ、明日が楽しみだ」


 その前に今日のことを記しておかなくては。

 いそいそと書庫に向かったわたしは、興奮冷めやらぬ気持ちのまま勇者の様子を細かく書き記した。いつもは二、三行で終わるところが、気がつけば一ページも書いてしまっている。


「明日は一ページでは足りないかもしれないな」


 期待で胸を膨らませながら書物を閉じ、表紙をゆっくりとひと撫でした。

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