第2話 魔王と勇者2
「転移魔法か? ……いや、帰還魔法か」
このような帰り方は初めてだ。なにやら変わった魔力の気配がしているとは思っていたが、これだったのか。よくよく観察すれば、勇者が立っていたあたりにうっすらと魔方陣の残骸のようなものが見える。
「これまで勇者が魔法を使ったことはない。ということは、どこぞの賢者あたりが魔法具でも持たせたか」
魔法が使えない人間でも、魔法具があれば特定の魔法を使うことができる。おそらく勇者は帰還魔法を発動できる魔法具を身につけていたのだろう。
そういった魔法具は主に賢者が創ると書物に書かれていた。以前やって来た一行の中に賢者らしき気配は感じなかったが、どこかで待機しているのかもしれない。
「大賢者が殺されたのは先代魔王のときだから……百五十年ほど前か」
そのくらいの時間が経っていれば、つぎの賢者が生まれていてもおかしくない。その賢者が帰還魔法の魔法具を用意したのだろう。
「いや、それならなぜ転移魔法にしなかったのだ?」
帰還魔法はその名のとおり一方通行の魔法だ。それよりも二カ所を行き来できる転移魔法のほうが都合がいいはず。魔王城に来るのも楽だろうし、何かあったときにもすぐに帰還できる。圧倒的に便利なのは転移魔法だというのに、なぜ帰還魔法なのだろう。
「たしか、大賢者が転移魔法の魔法具を創っていたはずだが」
先代魔王は、その魔法具を随分と警戒していたらしい。だから真っ先に大賢者を殺したのだろうが、結局その魔法具のせいで歴代最速の速さで消滅することになった。
あのとき大賢者が作った魔法具はどうしたのだろうか。先代魔王が壊したとは聞いていないし、勇者ほどの魔力があれば使うこともできるはず。それなのに使わない意図がわからない。
「やはり、人間の考えることはよくわからないな」
以前よりは人間のことを理解できるような気になっていたが、まだまだということだ。
「それに、わからないことが多いとますます興味を引かれる」
できればもう少し勇者を観察していたい。そのためにも無理をせずに毎日来てほしいのだが、果たしてあとどのくらいの間現れてくれるだろう。
「考えたところでわかるはずもないか。取りあえず明日の準備をしておくとしよう」
大広間を修復しながら、魔王城までの道筋に魔獣がいないか魔力を探る。元々魔王城の周囲に魔族は住んでいないから、そちらのほうは問題ない。魔獣の群れもいないようだし、これなら明日も時間どおりにやって来るだろう。
「それにしても、書物に書かれていた歴代勇者と当代勇者は随分違っているな」
魔王城には、歴代魔王が書き記した勇者たちについての書物が残されている。そうした書物を残すことも魔王の役目の一つなのだが、どの時代の書物を読んでも当代のような勇者はいなかった。
魔王と勇者の戦いは、魔族であっても長いと感じるほど古くから続いている。これまで数多の勇者一行が魔王討伐にやって来たが、当代のような勇者はおそらく初めてに違いない。
「いや、先々代の魔王がおもしろいことを書いていたな」
あの勇者も変わっていると思ったが、当代の勇者とはまた違う。そもそも一人でやって来る勇者など初めてだ。一行を連れて来るのをやめた理由も気になる。
「大勢いれば勇者も楽だろうに」
勇者一行には賢者や魔道士、拳闘士、時代によっては戦士や僧侶、槍術士、珍しいところでは王子や姫といった者たちもいた。そういった者たちが一緒なら楽になるだろうに、なぜ連れて来ないのだろう。
「……もしや、わたしが一人だからか?」
元々魔王になる気がなかったわたしには、歴代魔王のような手下の魔族も
「まぁ、一人のほうが気が楽ではあるが」
一緒にやって来ていたほかの者たちを思い出す。あの者たちも書物で読んだ勇者一行とは少し違っていた。
「まるで勇者ごとわたしを消し去ろうという感じだったな」
書物で読んだ過去の一行は勇者を大切にしていた。それなのに、当代の一行は勇者を巻き込んでもかまわないといった行動を何度もくり返した。
魔族は同族意識が低いと言われているが、それでも仲間と認めた者を傷つけたりはしない。それなのにあの者たちは何度も勇者を危険な目に遭わせていた。
「まったく、人間の行動はわからないことばかりだ」
そう考えると、勇者のほうがよほどわかりやすいような気がする。毎日同じ時間にやって来て、毎日同じことをくり返すということは勤勉なのだろう。何度“壁”に弾かれても挫けないところは根気強いとも言える。
「人間は飽きやすいと書物にあったが、訂正しておくべきか」
それとも個体差があるのだろうか。それなら当代勇者の記録として書き記しておいたほうがよさそうだ。
修復が終わった大広間を出て、長い廊下の奥へと向かった。寝室の前を通り過ぎ隣にある書庫の扉を開ける。正確には巨大な書庫の隣の部屋を寝室にしたのだが、いっそのこと書庫にベッドを設置したほうがよかったかもしれない。
「いや、それでは寝る時間がなくなってしまうか」
よい読書とは心身共に健やかであってこそ充実する。勇者が現れるようになってから本を読む時間がめっきり減ってしまったが、そのうちまた以前のようにたっぷりと読書の時間を得たいものだ。
「いや、それよりもいまは観察のほうが楽しいな」
大きな机の引き出しからわたし専用の記録書を取り出し、机上にはお気に入りの羽根ペンと青色のインクを用意した。記録書をパラパラとめくりながら、ふと最初の頃の記述に目が留まる。
今日の勇者は、白い鎧を着ていた。
今日の勇者は、金髪を少し短めに整えていた。
今日の勇者は、魔法防御の施された服を着ていた。
今日の勇者は、碧眼が少し疲れているように見えた。
「……ただの観察日記だな」
さすがにこれでは後の魔王に笑われてしまいそうだ。書物を読むことは好きだが、どうも記すほうはうまくいかない。ペンを持ち、少し考えてからペンを走らせる。
今日の勇者は“壁”に五カ所、傷をつけた。そして転移魔法で魔王城を出ていった。
「よし、少しは有益なことを記したぞ」
改めてこれまでのことを読み返した。途中、思い出したことをひと言二言つけ加えながら、ふとした疑問が浮かぶ。
「魔王討伐のためだとしても、一人きりで毎日これほど熱心に通うものだろうか」
人間は敵わない相手だとわかると、質より量で攻めてくる。書物を読み返した限り、過去の勇者一行もそのような感じだった。
ところが当代勇者は毎日一人でやって来る。聖剣を振り回し、攻撃が当たらないと文句を言いながらも翌日にはやはり一人で現れた。
「そういえば、先々代魔王が興味深いことを書き記していたような……」
この城に来て最初に目に留まったのがその書物だった。あまりにも興味深い内容に、ほかにもこういった書物があるのではないかと読み耽っているうちに三十年ほどが経っていた。
「おかげで、気がつけばわたしが魔王と呼ばれるようになっていた」
若干面倒くさいが、魔王城にはまだ目を通していない書物が山ほどある。それを読み終えるまではこの城を離れるわけにはいかない。
「あった、これだ」
ほかよりも分厚いその書物は、先々代魔王が書き記した書物だった。半分ほどは勇者一行との戦いの記録だが、残りは人間についての観察と考察が記されている。これまで随分多くの書物を読んできたが、こんな内容の書物は初めてだった。
こういう書物が紛れ込んでいるから城から離れることができないのだ。しかし魔王をやっていると読書の時間が減ってしまう。かといって城を離れてはつぎの魔王に城を占領されてしまう。
「そうなると、まだ目を通していない書物が読めなくなる」
魔王とはなんと面倒なのだろうか。ハァとため息をつきながらパラパラとページをめくる。……あった、これだ。初めて読んだとき、どういう状態なのか想像できなかった文章だ。
「人間は恋なる衝動に突き動かされると予想もつかない行動に出る、か……」
――恋とは相手に好意を持つこと。多くの人間が抱く一般的な感情で、延長上でつがい関係を結ぶことが多い。恋に陥ると周りが見えなくなり、相手に向かって真っ直ぐに突き進む傾向にある。脇目もふらず恋しい相手を求め、何度挫けようとも諦めず、無我夢中で相手に向かうのが恋だと言えよう――
「……うん? これではまるで、当代勇者のようではないか」
毎日魔王城にやって来ては、お茶の時間も休息を取ることもなくひたすら立ち向かってくる。金の髪が頬や首すじに貼りつくほど汗をかこうとも、絶対に見逃さないとばかりに熱い碧眼をわたしに向け続けた。何度退けようとも決して諦めず、日が出ている間はずっとわたしの前に立ち、ひたすらわたしだけを見ている。
「もしや、勇者はわたしに恋をしているのか……?」
口にして、なるほどと納得した。てっきり魔王討伐のために来ているのだと思っていたが、それなら一人でやって来るようになった理由もわかる。
おそらく勇者は恋をしている自分の姿を見られたくないのだろう。先々代魔王も人間にはそういう一面があるということを記していた。
「なんと、そんな珍しい出来事の最中に自分がいたとは」
これまで恋という現象について書かれた書物に出会ったことはない。何度読み返してもうまく理解できないままだったが、実際に観察すればわかるかもしれない。
「なんという幸運だ」
そうとわかれば、明日からはより一層熱心に観察することにしよう。書物には表情の変化が重要だと書かれているから、顔を中心に見るようにしなければ。
あぁ、初めて魔王になってよかったと心底思う出来事に巡り逢えた。高鳴る胸を押さえながら記録書を引き出しにしまい、珍しく眠りの前の一冊を手にすることなく早々と寝室で眠ることにした。
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