第11話 ごみ程の価値

 今、自分の上で必死に腰を振っている男は誰だったか。


 腰の動きに合わせて、床の上に広がった灰色の髪が生き物のように揺れている。

 薬による至福感と、それによって増幅された性的快感に身を委ねながらマナリナはそう考えていた。


 ああ、涎も垂れ流しているかもしれないとマナリナは頭の隅で思う。いや、涎だけではない。体中の体液が快感を伴って全身から放出されているようにさえ思える。


 ああ、そうだった。この男はカイトだ。マナリナがそう思った時、カイトは精をマナリナの体内に放出すると涎を垂れ流しながら、マナリナの豊満な胸の上に倒れ込んできた。


 体内で放出された瞬間、脳天を突き上げるような快感がマナリナを襲う。あまりの快感に意識が飛びそうになる。


 耳元で聞こえるはずのカイトの荒い息が、何故か遠くから聞こえてくるようだった。

 

 そうだった。マナリナは思い出した。今日は客の入りが少なかったのだ。苛立ち紛れに皆で薬をやって、こんな乱交状態になったのだった。


 周囲を見渡すと男女を問わず裸で、店の人間があちらこちらで床に伏している。まだ性交している者もいる。女性同士で抱き合い絡まっている者もいた。


 至福感と快楽の余韻に浸りながらも、何でこんなことになってしまったのだろうかとの思いがマナリナの中に生まれた。これでは前と同じではないだろうか。一度逃げ出した時と同じではないか。


 そもそもが、こんな至福感は全て薬によるものなのだ。全てが偽物なのだ。薬の効果が切れてしまえば、きっとまた死にたくなるような虚無感しか自分の中には残らないのだ。


 しかも、こんな無許可の娼館がいつまでもここで続けられるはずもない。ましてや、そこで禁制の薬をばら撒いているとなれば尚更だ。


 しかし、その事柄に意識を集中しようとすると、得も言われぬ至福感に全てが飲み込まれてしまい、それまで自分が何を考えていたのかも忘れてしまう。


 今日は少し薬をやり過ぎたのかもしれない。


 脳裏の片隅で、何て自分は弱くて駄目なのだろうとマナリナは思う。こんな薬を使っていれば、遠くないうちに身も心も壊れていくのは分かっている。そして、もう若くはないのだ。体を売る商売ですらいつまでも続けられるはずがない。


 それを嫌って自分は逃げ出したのではなかったのか。人生を今度こそはやり直そうと思って逃げ出したのではなかったのか。


 でも結局、戻ってきたのだ。逃げ出した先には平穏な物があったのに。平穏では満足できずに、どうでもいいような理由を盾にしてまたここに自分は戻ってきてしまったのだ。


 ごみのようだと思う。

 偽りの至福感に包まれたごみのような世界。そこでしか生きることができないごみ程の価値しかない自分の人生。結局、それが自分なのだとマナリナは思う。


 その時だった。荒々しい音を立てながら部屋に入ってくる人影があった。


「てめえ、何者だ? 何の用だ?」


 即座に怒声を喚き散らしながら、男たちが素っ裸のままで人影に詰め寄った。中には既に刃物を手にしている者もいた。


 部屋の中に現れたのは長身の男だった。どこかで見た気がする。誰だったろうかとマナリナは思う。


 駄目だ。薬が効きすぎているようで、意識を集中できない。


「好き勝手にやっているお前たちの代償は何だ。何で相殺させる」


 長身の男からそんな声が聞こえた気がした。


「てめえ、何をわけの分からないことを」


 そう叫んだ声はカイトの物だったろうか。


 次の瞬間、カイトの首から上が噴き出す鮮血とともに、ごろりと床にころがっていた。女性のように長いまつ毛を持つ両面が極限まで見開かれて、それは間違いなくマナリナの方を見ていた。


 床に伏していた女性たちから悲鳴が上がる。マナリナと言えば薬が効きすぎているのか、恐怖を全く感じなかった。


 てめえ。

 何しやがる。

 ぶっ殺してやる。


 そんな罵声が起こる度に鮮血が舞い上がった。


 止めて。

 殺さないで。

 逃げろ。


 次いで、悲鳴のような声もあちらこちらで上がる。

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