第10話 負い目

 「……お客さん」


 意を決して、ロゼスは宿屋の泊まり客である男に声をかけた。この男は子供連れで、もう二か月近くも宿屋に泊まっている。この親子がなぜ長期に渡って宿泊しているのかをロゼスは知らない。


 呼びかけに応じて本を読む娘の横にいた男が、茶色の瞳をロゼスに向けた。何とも表現しがたい嫌な雰囲気を持つ男だった。


 男の視線を受けて、意識をしないままにロゼスの喉がごくりと鳴った。


「マナリナを知っているだろう?」

「そこの受付台にいた女だな。最近は見かけていないが」


 男の言葉にロゼスは頷く。


「娘のように可愛がっていたんだがね」


 その言葉に男は薄く笑う。何かを見透かされたような気がしてロゼスの顔が僅かに上気した。


「最近、得体の知れない男たちのところに入り浸っているようでね。お客さん、傭兵が何かなのかい?」


 ロゼスは男の横に立てかけられている幅広の長剣に視線を移す。


「まあ、そんなところだ」

「なら、荒事には慣れているのだろう?」


 その言葉に男は少しだけ考え込むような素振りをみせて、口を開いた。


「その女をそこから連れ出してこいとでも言うつもりか?」


 その通りだった。ロゼスは素直に頷いた。

 あの時、急にマナリナが怒って出て行ってしまって以来、彼女がこの宿屋に帰ってくることはなかった。


 出て行ってから暫くたって聞こえてきた話では、マナリナは得体の知れない男たちが集まるところに出入りしているとのことだった。


 そこでは夜になるといかがわしい商売をしており、禁制の薬を扱っているとの噂もあった。


「子供ではないんだ。その女が自分の意思でしていることだろう。他人のお前がとやかく言うことじゃない」


 男が面白くなさそうに鼻を鳴らした。


「他人じゃない。娘のように思っているんだ。あのままではマナリナが、とんでもないことになる。私はそんな気がしてならんのだ」

「娘のように思っていようが関係ないな。本人が望んでしていることだ」

「それはそうかもしれんが、このままでは、私の気持ちも収まらない」

「気持ちが収まらない? 何か負い目でもあるのか?」


 男はそう言って言葉を切ると、立ち上がってロゼスの前に来た。立ち上がると余計にそう感じる。大きな男だった。


 そして、剣を常に持ち歩いているような男に上から見下ろされると、それだけで自然に恐怖が湧き上がってくる。


 負い目。言い当てられたなとロゼスは思う。見捨てると言えば言葉が強いのかもしれないが、確かに自分たちはあの娘の気持ちも考えずに宿屋売却の話を進めたのだ。それによってあの娘が見捨てられたと感じて、自暴自棄になってもおかしくはなかった。


「自分の夢見が悪いだけなのだろう? 根っこはそこだ。あの女が心配だからじゃない」


 頭上からそんな男の声が降ってきた。ロゼスは自分の遥か上にある男の顔を睨みつけた。


「そうかもしれない。いや、それもあるのかもしれない。だけども、私があの娘の心配をしていることは本当だ」


 その言葉に嘘はないとロゼスは思う。そんなロゼスの言葉に男は再び面白くなさそうに鼻を鳴らした。


「まあいい、ならばお前は何を差し出す。代償は何だ? 何で相殺させる?」

「代償、金のことを言っているのか?」


 何だ、結局は金なのかとロゼスは思いながら口を開いた。


「厄介事を引き受けて貰うんだ。多少なら払える。多くは無理だが」


 そう答えたロゼスを男は頭上から無言で見つめ、やがて口を開いた。


「金か。そうだな。あって困るものではないからな」


 その返答を聞いてロゼスは何を格好つけているのだと思う。よく分からないことを言ってはいたが、最初から金が目当てだったのだろうと。


「貴様の負い目を失くす。その代償が貴様の金だ。それで貴様の負い目はなくなる。ただそれだけの話だ。それ以上でもそれ以下でもない。では代償の先、その代償の向こう側には何があるのだろうな」


 何を言っている。意味が分からないとロゼスは思う。

 代償の向こう側。これから払う金だけでは足りないとでも言っているつもりなのか。


 ロゼスはそう思ったが、男が変に心変わりすることを嫌って、それを口に出すことはなかったのだった。

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