第34話・希望の遺産

 心が締め付けられるように痛い。

 目を閉じても頭の回りには、虫のような負の念が飛び回っている。


 全てを放り出して眠りにこうとも、頭の中で自身の失言が繰り返し再生された。


「はぁ」


 布団から上半身を出し、カーテンに覆われていない窓を見つめる。


 ゼファーは寂しがってないだろうか。

 泣いてないだろうか。

 お腹は減ってないだろうか。


 思うのはいなくなった三女のことばかり。

 彼女がいないところで突き放したばかりだというのに、ゼファーへの心配が尽きなかった。


 苦しい。

 苦しい苦しい苦しい苦しい。


 頭の中がごちゃごちゃしてストレスを直で感じる。

 まるで浮かんでいるようなふわふわとした意識は何度経験しても慣れない。


 吐き気と気持ち悪さを我慢しようと胸を押さえたものの、あまり効果は無い。

 寝ようと思ってとこに入ったはずなのに、精神を保つだけで精一杯だった。


「何やってんだ俺」


 月明かりの無い夜を見上げながら言う。


 すこやかに育てると誓った子供達を守ることも出来ず、あまつさえ信頼さえも失った。


 もう自分には何もない。


(ごめんよ、セレス。俺には無理だったよ)


 あまりの情けなさに瞳からぽつんと液体が落ちた。


 人間急には変われない。


 いくら決心しようが、

 守るべきものが出来ようが、

 クズな人間がそんなにも早く変われるわけないのだ。


 簡単に死にすがるような人間に何が出来る?

 大体普通の人間がドラゴンの問題を解決出来るわけがない。


 出てくるのは逃避の言葉ばかり。

 終わっている、と心から思える状態だ。


 ぼんやりとした視界の中、ふと本棚の上の写真立てへと視線がいく。

 そこには初めて子供達と初めて撮った写真があった。


 姉妹全員が笑顔で龍雅もまたにこやか。


 ニーグさえ現れなければこの現実はまだ続いているはずだった。


 しかし実際は違っていて。

 どうしようもない障害に打ちひしがれている。


 こんなことになるのなら、最初から関わるべきではなかったと思ってしまうほどに。


 今度ばかりは前を向けない。

 ポジティブになったところで何も解決しないのだから。


「くそっ、くっそっ!」


 涙をこぼしながらひたすら右膝にやるせなさをぶつける。

 こんなことをしてもどうにもならないというのに、怒りや悲しみ、己の無気力さを物理的に叩きつけないとどうにかなりそうだった。


 ひとしきり体を痛めつけ、龍雅はぱたんと倒れこんだ。


 闇に慣れた目で天井を見る。

 最近ようやく親近感が湧いてきた柄も、今日ばかりは鬱陶うっとうしさを感じる。

 普段であれば見つめているだけで眠気が押し寄せてくるはずなのに、だ。


 ゆっくりと右腕で目元を隠す。


 自暴自棄になったおかげですっきりしたのか、先程よりかは若干気分がマシになっていた。


(このまま眠りに落ちたら全て解決していないだろうか)


 そうならないことを龍雅は一番よく知っている。

 世界はそこまで都合が良くないのだ。


(急にセレスが復活してゼファーをぶっ飛ばしてくれないだろうか)


 無理だろう。

 死んだ者は生き返らない。


 例えドラゴンであったとしても、自然の摂理には敵わないだろう。


(それに例えセレスであっても――)


 数度しか見たことの無い竜の姿を思い出し、はっと龍雅は体を起こした。

 彼女が死に際に言っていた言葉が急に脳裏に浮かんだのだ。


『寝室の押し入れに手紙があるので、本当に困った時は読んで下さい』


 咄嗟とっさに押し入れへ駆けより、強くふすまを引く。


「これか?」


 冬用布団の上に無造作に置かれていた白い封筒を手に取る。


 表面に何か書いてあるようだが、部屋が暗くて分からない。

 とはいえ恐らく宛名だろう。


 急に湧き出てきた希望を掴むために電灯のスイッチへと寄る。

 そして、スイッチに触れようとしたところで思った。


 これを読んでしまえば解決するかもしれない。

 だが、十中八九辛い目に遭うのは間違いない。


 ここで茨の道をいっていいものか。


 ふと弱い自分が横を通っていく。


(もう失うものなんて何もないだろ。前に進め龍雅)


 首を横を振り邪念を振り払う。


 答えは決まっている。

 例えこれが望むものでは無いとしても、今この時点で諦めるにはまだ早い。

 もう激励してくれる親はいないのだから。


 性根まで腐るのはもうごめんだ。


 電灯のスイッチをオンにし、部屋を明るくする。

 LEDの光が目に刺さったものの、眩しさよりも期待の方が上回った。


「あいつ字上手いな」


 封筒の表に書かれていたのは予想していた通り龍雅宛ての文字。

 やたらと達筆で書かれており、何処で学んだのかと一瞬気になったが開けていく。


(リョウガへ。この手紙を読んでいる頃には私はもう貴方の元には居ないでしょう)

「べたな入り方だなぁ。何処で学んだんだ一体」


 突っ込みを入れながら続きを読む。


(手紙を開けたということは、きっとどうしようも無い問題にぶち当たっているのですね。人やお金、子供達の力では解決出来ない問題に)

「そうだ、そうなんだ」

(そのような事態に備えて、私の力を残しておきます)

(おっ!?)


 セレスの力が得られるのは大きい。

 例え1人では叶わなくとも、姉妹達の協力を得られればもしかしたら何とかなるかもしれない。


 そう思って、視線を更に下に落とした時だった。


「えっ?」


 思いもよらない記載に声が出る。

 それはあまりにも衝撃な内容で、飲み込むのに10分以上立ち尽くすこととなった。


 この日、龍雅は寝付くことが出来なかった。

 だが、夜が明ける頃。彼の瞳には昨日までなかった輝きが灯っていた。

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