第33話・残された者

 ゼファー達が立ち去ってから30分。

 早くも半時の時間が経過したというのに誰も何も発せなかった。


 とは言いつつも、最低限のやり取りはしている。

 その程度のコミュニケーションは、姉妹達がゼファーに吹き飛ばされた際に負った傷を治療するのに、必要不可欠だった。


 しかしながら肝心なことは誰も何も言えないでいた。


 ニーグのこと。

 皆を守るために出ていった三女のこと。

 今どうするべきか。

 これから何がしたいのか。


 話すことはいくらでもあるはずなのに、まったくと言っていいほど言葉が出てこない。


 恐怖と驚愕きょうがくによって作られた心の傷は、そう簡単にはえないようである。

 その証拠とばかりに、全員が全員沈んだ表情をしていた。


「いたっ!?」

「悪い、ごめん」


 フレアの首の後ろに出来た切り傷に脱脂綿を当てた時、少女の顔が僅かにゆがんだ。


「うんん、おどろいちゃっただけ」

「そうか。なるべく気を付けるよ」


 首から背中。

 そして膝へと消毒を行っていく。


 ストゥーリアの方は吹き飛び方が良かったのか、消毒が必要なほどの傷は無かった。


「ねぇりょうが」

「ぅん?」

「どうすればいいの?」


 ここでようやく、長女が本題を切り出した。

 本来であれば大人であるはずの龍雅が挙げなければいけない議題のはずなだけに、彼の表情は更に陰りが出来ていた。


「どうって?」

「ゼファーをつれもどしたいの!」

「それは……」

「りょうがなら出来るよね。ゼファーを取りもどすいいアイディア。何かあるよね?」

「そんなこと」


 急に言われたって困る。


 はっきりとそう言わなかったのは、子供達の前ではまだ大人でいたかったから。


「ストゥーも同じだよね。ゼファーにもどってきてほしいよね?」


 どうしようもない現実に、破れた障子をひたすら見ていたストゥーリアの髪がぴくりと跳ねる。


「当然なのです。言われるまでもないのです」

「ストゥー!」

「妹が姉の代わりに犠牲になるなんてあってはならないのです」


 次女が半開きだった拳を強く閉じる。


「大体姉妹に力の差は無いのです。それをゼファーは嘘までついて」

「そう……なのか?」

「ママが言っていたのです。強さはフレアが、持続力は私が、コントロールはゼファーが秀でてるって」

「それにアタシたち、みんなできることちがうもん! ゼファーだってにが手なこといっぱいあるもん!」


 そうだ。

 何でも出来そうな雰囲気を出していても、ゼファーはポンコツな面も多い。

 好きなこと以外は最低限しかやろうとしないし、人間として生きていくうえで必要な料理も掃除も洗濯も他の姉妹の方がずっと上手い。


(人間としては、か)


 それならドラゴンとしてはどうだろうか。


 親譲りの洞察力。

 素早い判断力。

 格上に引かない胆力。


 どれも一級品だった。


(もしかしたら――)


 それ以上のことは思っちゃいけない。

 考えちゃいけない。

 言っちゃいけない。


 だが、始まった負の連鎖は理性を経由する前に脳から喉へと伝わってしまっていた。


「ゼファーはドラゴンとして生きた方が幸せなのかな……?」


 ぼんやりとした状態で呟いてしまった一言。

 ゼファーの決断を尊重しようと思ったが故に出てしまった声。


 言葉は時にナイフとなる。

 そんな単純なことさえ意識せずに出した刃は、確実に少女達の神経を逆撫さかなでした。


「何を言ってるのりょうが」

「本当なのです! もし正気なら見損なったのです!」


 次々と浴びせられる非難。

 たった一度過ちを犯しただけで、有り得ないものを見るような目が飛んできた。


「ぇ、いゃ、ちがっ」

「私達は人間として生きてきたのです! だってそれはママの教えなのです!」


 ストゥーリアの瞳から涙が湧き出た。


「アタシも人として生きたい! ゼファーもきっとそうだよっ」

「ドラゴンだからといって、ドラゴンとして生きていかないといけない理由はないのです。ママが教え導いてくれたことを、否定するなですっ!!」

「ストゥー!!」


 感情の赴くままに居間から飛び出していくゼファー。

 たった一言で、彼女は龍雅の傍から離れていった。


 言い訳する間もなく出ていった彼女を追い掛けることも出来ず、ただ茫然ぼうぜんと廊下を見続ける。


「りょうが……」


 フレアが静かに前に立った。

 彼女もまた瞳に涙を溜めていた。


「アタシはみんなと、ストゥーとゼファーといたい。だってそれがふつうだったから」

「フレア……」

「本当はアタシが言わなくちゃいけなかったんだ。アタシがニーグについていくって」

「…………」

「でも言えなかった。アタシがいちばんおねえちゃんなのに。ゼファーはアタシたちをまもってくれた。こんどはアタシたちがゼファーをたすけるばん」

「……」

「りょうが。アタシ人げんでいたいよ。ドラゴンより人げんのほうが楽しいよ」

「でも、でもさ」


(人間として生きて死んだら意味が無いじゃないか)


 言えなかった。


「つづき。何もいってくれないんだね」


 フレアが一歩離れる。

 その表情は失意に満ちていた。


「りょうがのばか」

「っ。フレア……!」


 彼女もまた廊下を駆けていき、龍雅はただ一人居間に残された。


 戸を壊され本や小物が散らばった居間には、あったはずの団欒だんらんはすっかりと消え失せていた。


 彼は片膝をつき、目のあたりを黙って膝に押しやると、か細い声で呟いた。


「どうすりゃいいんだよこんなの。どうすればよかったんだよクソ」


 そして息を吐くように一言。


「死にてぇ」


 すっかりと忘れかけていた呪詛じゅそが再び龍雅の元へと帰ってきた。

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