第31話・急転直下

 幸せな生活なんて長続きしない。

 当たり前のようでそうではない事実を忘れかけていた頃。


 龍雅は、

 フレアは、

 ストゥーリアは、

 ゼファーは、


 絶望に直面した。


 夜にとける漆黒の体。

 踏み潰されれば一溜りもないほどの巨体に加え、まるで砥石で研いだように鋭い牙と爪。そして鋭い眼光は見ているもの達を萎縮いしゅくさせた。


 4人の前に立つのはドラゴン。

 子供達とは違う、成熟した竜が目の前に存在していた。


 ★


 それはほんの少し風が強いだけのいたって普通の夜。


 夕食を終えた龍雅と子供達は各自好きなことに夢中になっていた。


 龍雅とフレアは2人でテレビゲーム。

 ストゥーリアは毎度の如く文庫本の虜になっており、ゼファーは次女の隣でチェスの定石本を読んでいる。


「フレアの反応速度おかしくない?」

「そっちがおそいだけだよ」

「言うなー、こいつ。それっ」

「ふえ!? 何それっ! 大人げない!」


 卑怯な手段で勝利した龍雅が勝ち誇るように両腕を天井に向ける。

 それがあまりに気に障ったのかフレアは険しい顔を浮かべていた。


「もう1回!!」

「おう。何度でも良いぞ。かかってこい」

「うるさいのです。少し静かにするのです」


 すっかり上がってしまったテンションのせいで、次女に文句を言われてしまった。

 しかしこういう注意が入るのも最早日常茶飯事である。


「まったく。声を出したら喉が渇いてきたのです」


 本を床に置いて次女が立ち上がる。


「あ、ストゥー。プリン食べたい。取ってきて」

「何で私に言うのです。それくらい自分でやるのです」

「あ、アタシのも!」

「じゃあ俺も」

「私は小間使いじゃないのです!」


 と、言いつつも取ってきてくれる。

 口は悪いがこういう気が利く当たり優しい子である。

 裏を返せば損な性格とも言えるが。


「あれ? 俺のプリンは?」


 テーブルの上に置かれているのは1つ。

 既にゼファーが手に取っていることを考えると、残りはフレアのものである。


「ふんっ、大人はプリンなんて食べなくて良いのですー」


 舌を出しながら意地の悪い表情でこちらを煽ってくる。

 青髪少女の手には龍雅のものとなるはずだったお菓子容器が握られていた。


「あ、こいつ。それ俺のだぞ」

「人間には勿体ないのですよ。生態系の頂点であるドラゴンに食べられるとあってはプリンも満足なのです」

「流石に傲慢ごうまんだぞそれは」

「何とでも言うのです。私より弱いうちは説得力が皆無なのですよ」

「ほぅ、明日の夜はお前だけ肉抜き決定だ」


 龍雅の台詞があまりに衝撃的だったのか持っていたスプーンを落とす次女。

 だが、すぐに我を取り戻した次女は落としたスプーンを拾って言った。


「も、もうその手は効かないのです。私だって料理の1つや2つぐらい作れるのです」

「そうか。明日はビーフストロガノフにしようかと思ったんだけどな」

「び、ビーフ!?」


 食べたことの無い料理だが知識はあるらしい次女ならではの反応である。

 他の2人は頭の上に疑問符を浮かべている。


「ズルいのです! 私にそんなもの作れないと知って言ってるのです!」

「これが大人だよストゥーリア君」

「大人のやることですかこれが!」


 叫びつつも観念したかのようにプリンとスプーンを差し出してくる。


「うむ、苦しゅうない」

屈辱くつじょくなのです。私にもっと力があれば」


 何てことを言っているが、彼女はいそいそと自分の世界に戻っていった。

 ちなみに次女は食後すぐにデザートを食べている。


「りょうが早くつづきつづき!」

「ちょい待ち」


 フタを開け、甘味を口に運ぼうとしたところで突如ゼファーが勢い良く立ち上がった。

 それもいつに無い真剣な眼差しで。


「どうしたんだゼファー?」

「……来る!?」

「来るって何が?」


 龍雅が返すや否や凄まじい轟音ごうおんと共に床が揺れた。


 咄嗟とっさに地震を身構えたものの、継続的な揺れは無い。

 一瞬激しく振動しただけですぐに収まったのだ。


「何だ何だ今の!?」


 戸惑いながら子供達の安否を確認する。


 結論から言うと、彼女達は龍雅よりも遥かに冷静だった。

 そして揃いも揃って戸の向こう側。庭の方角に目を向けていた。


「どうしたんだ3人共……」


 言った直後だった。

 今度は急に戸が吹き飛び、反対の戸を吹き飛ばした。


「なになになになにっ!? 怪奇現象か!?」


 狼狽うろたえ続ける龍雅。

 これ以上何が来ても驚かないと思えるような状況下で、眼前に闇が現れた。


 否。

 漆黒しっこくではあるものの暗闇ではない。

 壁のように見えても無機物ではない。


 それはまさしく生物であり、

 人間の常識をいとも簡単に破壊する万物の頂点だった。


「龍雅、離れて」


 ゼファーが促してくる。

 だが、頭では理解していても身体は未知への恐怖でそれどころではなかった。


「K*+}%$"#)~|~」


 猛獣の鳴き声に似た何かが突き抜けてくる。

 頭で理解出来なくとも、苦しいほどの圧が伸し掛かった。


「だれ!」


 フレアが勢いよく叫ぶ。


「)#*――、力を使わねば言葉すら理解出来ぬとは、ほとほと呆れたものだな」


 意味不明だった咆哮が今度はしっかりと知覚出来た。


「っ!?」


 ここでようやく龍雅は前を踏み出した。

 そんな彼のすそをゼファーは必死に引いていたことに気付かなかったが、現実を確認したい欲には勝てなかった。

 また、三女もまた未知の力に怯えて上手く力を出せていなかった。


「小さいな」


 それは子供達のことか。それとも龍雅を指しているのかは分からない。


 前に踏み出したことで視界に映ったのは、巨竜だった。

 初めて見た竜であるセレスよりも大きく、あまりの巨大さに思わず息を呑んでしまうほどだ。


「ドラ……ゴン」

「ふんっ」


 鋭い眼光が龍雅を突き刺す。

 猫のように光っているものの、ライオンのように獰猛だった。


「頭が高いぞ人間如きが」


 黒竜が言い放った瞬間、龍雅の頭は文字通り床へと落ちた。


 何をされたのかは分からない。

 まるで後頭部を手で押し付けられているように顔が畳にめり込んだ。


(いってぇぇ!?)


「りょうが!!」


 抗えない。

 必死に両手で踏ん張り抵抗するものの、謎の力は弱まることが無い。


「止めて!! りょうがをいじめないで! どうしてこんなことをするの!」


 フレアの全力の声が耳に届く。


「強き者が弱き者を蹂躙じゅうりんすることの何がおかしい」

「おかしいよ! できるかぎり人とはなかよくしなさい、ってママ言ってたもん!」

「ふむ」


 分かってくれたのか龍雅を苦しめていた力が弱くなる。

 苦痛は継続しているが、どうにか前方を向けるだけの威力にまで落ちていた。


「くだらん。そんなことを宣っているから子育てもロクに出来ずに死ぬのだ」

「っ!! ママのことをわるく言うな!」

「フレア!」


 勇んだフレアがドラゴンに蹴りをお見舞いしようと走る。

 が、


「ひゃぁあ!?」


 彼女の想いが果たされることは無く、足が竜に届くことなく吹き飛ばされた。


「ぐぅ!?」


 そして飛ばされた先には龍雅。

 巻き込まれることになったが不幸中の幸いにも彼女を受け止められた。


「我の子がここまで頭が悪いとは。先が思いやられるな」


(え……今なんて)


「今、何て言ったのです?」


 ここで初めてストゥーリアが介入してくる。

 彼女は体を震わせ目を見開きながら竜を見た。


「我の名はニーグ。貴様らの父だ」


 今日一番の衝撃が4人を包んだ。

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