第29話・友とお風呂とこれからと①

「わぁー、ひろーい!」

「フレア痛い。手引っ張らないで」

「そうです落ち着くのです! 目立ってるのです!」


(いや、目立ってるのは髪色だと思うぞ)


 心の中で突っ込みを入れつつ、龍雅は受付のスタッフに入場券を渡した。


 龍雅達が今いるのはスーパー銭湯。

 しかも天然温泉を売りにしているだけあって、館内の設備も中々豪華である。


 お風呂にそこまで魅力を感じない龍雅でも、いざやって来ると興奮せざるを得なかった。


 風呂自体が良いこともあるが。

 それを上回ることが更にある。


「じゃあ、フレアちゃん達を預かるね」

「うん、悪いな。頼んだ」

「任されました」


 一緒に玉城もいるのだ。


 彼女がここに居るということは、少なくともお風呂に入っている間は子供の面倒を見なくて良いということである。

 普段一人になれることがほぼないだけあって、ほんの少しでも羽を伸ばせる時間があるのは有難かった。


「良い子でいるんだぞー」

「橋爪に言われなくないのです」


 残念ながら完全に一人とはならなかったが。


「じゃあまた後で」

「うん。みんないこっか」


 男湯と女湯の分かれ道。

 龍雅と橋爪は男湯へ。それ以外のメンバーは女湯への暖簾のれんをくぐっていった。


「ところで何でスーパー銭湯なんだ?」

「何だ? 風呂は嫌いか?」

「そういう訳じゃないけど、いきなりだったし」

「いきなり行きたくなるのが温泉なんだよ」


 コインロッカーの前で服を突っ込みながら友が言う。


「リョウガ。100円貸して」

「何だ忘れたのか。ほらっ、これ使えよ」


 Tシャツを脱ぎながらロッカーの隅に置いておいた100円を親友に向ける。

 ロック解除時に返却される仕様なので損することはないのが良い点である。


「あん? 今の俺じゃないぞ」

「ん?」

「こっち」


 右隣に居た橋爪から目を離し、左を向く。

 そこには親しみある緑の女の子が突っ立っていた。


「何でゼファーがこっちに!?」

「何となくこっちが良い」

「駄目に決まってんだろ。玉城のところに行きなさい」

「ボクは幼女。男湯でも許されるはず」

「自分を幼女と自覚している幼女はダメなの! ほらっ、行きな」

「むー」


 何時ものように小さく口を膨らませるゼファー。


「むーむー言っても駄目なものダメ。良い子にしてたら後でアイス買ってやるから」

「約束」

「ほいほい」


 小指と小指を絡ませて魔法の呪文を唱える。

 それでようやく満足したのか、三女は女湯へと帰っていった。


「親やってんなー」

「何だよ急に」

「別にー。楽しそうだなって思っただけ」

「お前なー」


 ロッカーを閉めながらぼやく。


「毎日毎日同じことの繰り返しのこの生活の何処が楽しそうだって言うんだ?」

「でも毎日が完全に同じわけじゃないだろ。3人いるわけだし」

「そりゃそうだけどさ」


 脱衣所と浴室の境界線を越え、かけ湯へと並んで向かう。

 中は想像以上に広く、そこそこ人がいるというのに狭さを感じなかった。


「家事に追われるのはしんどいし、遊び相手するのも一苦労。あいつらが寝付くまでは自分の時間もない。しかも何するか予測不能ときた」

「おうおう不満のオンパレードだねぇ」

「そら溜まるさ。世の親は凄いなって心底思ってる」


 お金の心配をしなくても良いのがまだ助かっている状況。

 そうでなかったらとてもではないが、片親で3人の面倒など見切れない。


「でもさ。本当の親が失くしてもチビ達が普通に振る舞ってられるのは、お前を信用してっからじゃないの?」

「どうだか」


 個別の洗い場の前に座りシャワーの蛇口を前に倒す。

 最初こそ冷水が身を襲ったものの、すぐに心地よい温度へと変わった。


「お前ひねくれちまったな。昔は素直な優しい子だったのに。お父さんは悲しいぞ」

「誰がお父さんだ」


 手に出したシャンプーを泡立て髪へと乗せる。


「でも真面目な話。充実はしてるだろ」

「そんな風に見えるか?」

「見える見える。だってお前の母親が亡くなった時、お前ずっと死にそうな顔してたじゃん。今にも消えてなくなりそうなあの時期に比べたら、今のお前はずっと幸せそうだよ」


 言葉が出なかった。

 橋爪が言っていることは的を射ていると自覚してしまったから。


 あまりに忙しすぎて、最近死にたいと思うことすら忘れていたのだ。


 シャンプーの泡を落とした自分の顔を正面の鏡を通してみる。

 自分でも分かるほどすっきりとした表情をしていた。

 ついこの間まで死人のような顔をしていたのにだ。


「俺こんな顔だっけ?」

「そうだよ。俺が最も見た顔だな。むしろ最近のお前がおかしかったんだよ」

「あぁ、そうかも」


 答えながらボディソープをしみ込ませたタオルを全身にこすりつけていく。


「で、お前が元気になったのが嬉しくて、俺もこういう企画を立ち上げたってわけだよ」

「企画ってお前。別にお前の奢りってわけじゃないじゃん」

「貧乏学生にそこまで求めるなよ。車で送迎してやっただろ」

「それは感謝してるけどさ」

「てかお前も免許取らないの? チビ達と買い物行ったり遊びに行くのに足が無いと不便だろ」

「そのうちな。留守番こそ最近出来るようになったけど、まだまだ危なっかしいからな。家に居る時でも時々迷子になったりするし」


(特にゼファーが)


「あははは、家でかよ。やっぱ面白いなあいつら」

「笑い事で済まないのが子育てだよ。お前もやってみろよ」

「孤児院に行って引き取ってくるか」

「普通の選択肢を取れんのかお前は」


 身体を洗い終え立ち上がる。

 ちょうど橋爪も終えたようで、再び並んで浴槽を目指した。


「中込んでるし外行くか」

「賛成」


 外界へと繋がる扉を開け外へ。

 すると冷ややかな風と共にやけに耳馴染みのある子供の声が聞こえてきた。


「広い広い! 楽しー!」


 何処からどう聞いても長女の声である。

 子供の高い声はやたらと反響するのか、女風呂とそこそこ距離がありそうなのにはっきりと彼女が何を言っているか聞き取れた。


「楽しそうで何よりだな」

「いや、恥ずかしいんだが」

「そう思ってるってことは家族やれてる証拠だよ」

「今日はやけに突っかかってくるじゃないか」


 乳白色の湯に足を突っ込みながら返す。

 身体がとろけるような快感に、つい笑みがこぼれた。


「俺は誰よりもお前の幸せを願ってるだけだよ」

「気持ち悪い奴だなお前」

「そう言うなよ。ところでさ」


 橋爪が両腕を前に伸ばしながら切り出して来る。


 そういえば長女の笑い声がしない。

 玉城かストゥーにでも注意されたのだろう。


「お前自身は何かやりたいこととかない訳? 来年大学には行かないのか?」

「大学かぁ」


 呟きながら口元まで湯に浸かる。


 まったく未練がない訳ではない。

 母親が死ぬ前はやりたいことや行きたい大学もあった。


 だが、今と昔では状況が違う。

 それに託されたものもある。


「ないな。今はあの子達が健やかに過ごせればそれでいい」

「そっか。……そっか!」


 親友は無駄に威勢のいい声を上げると、夜空を見上げて押し黙った。

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