第27話・ゼファーの戦い
彼女が将棋をやりたいと言い出したのはとても意外だった。
龍雅の中では彼女が一番好きなことは生き物の観察であり、それ以外といえば寝ることや食べることと思っていたからだ。
しかしながら困ったことに、龍雅には将棋の知識が無い。
そういった事情もあり、街まで出て将棋教室に連れてくるほかなかった。
「いらっしゃいませー」
デパートのフロアの一角。
お世辞にもそこまで広いとは言えない空間に入ると、受付の女性が挨拶をしてきた。
「狭い」
「意外と小さい子が多いな」
それぞれ純粋な感想を述べる。
週の営業日が決まっているだけあって、老若男女利用する人間は多いようだった。
「初めてのご利用でしょうか」
「あ、はい」
「こちらが利用案内となりますが、お二人でのご利用で宜しいでしょうか」
「いえ、この子だけです」
返答しながら受付台の上にあるパンフレットに目を通す。
入会金に加え月謝。加えて席料も掛かるようで、お世辞にも庶民向けの価格では無かった。
「ルールや基本的なマナーはご存知でしょうか」
「どう? ゼファー?」
「少し不安」
「それならちょうど今から初めての方向けの講座が始まりますので、受けてみてはいかがでしょうか。もちろんお金はかかりませんので」
「じゃあお願いします。ゼファーもそれで良いか?」
「うん」
返事を聞くなり、受付の女性がスペースの隅っこの方へと案内してくれる。
途中、将棋を指している人達から度々変なものを見るような視線を送られたが、特に気にはしない。
奇異な目で見られるのは最早慣れっこである。
「こちらの席にどうぞ」
「俺もここに居て良いんでしょうか?」
「はい、問題ありませんよ。是非お父さんも将棋を好きになっていってください」
(お、お父さん!? そんなおっさんに見えるかな、俺)
唸りながら上等とも下等とも言えない席に二人並んで座る。
横には小学校低学年ぐらいの子が2人。そしてその隣にはもう少し大人な子。
全員男の子だが、誰もが凛々しそうな顔をしていた。
「お名前教えて貰っても良いかな?」
しゃがんでゼファーと目線を合わせた受付嬢が聞いてくる。
「林道ゼファー」
「ゼファーちゃんっていうんだ。ひらがなや漢字は読めるかな?」
「問題ない」
「そっか。ありがとうね」
爽やかな笑顔を返し、受付の方は元の場所へと戻っていった。
(そういえば最近気にしてなかったな)
三姉妹は髪色のバリエーション富んでいる。傍目には外国人にしか見えない。
その事実は他人にとっては一番気になるポイントだろう。
「これ胸に付けて貰っても良いかな?」
「ん」
再度戻ってきた女性に名札を渡されるゼファー。
彼女はそれがどういうものかすぐに理解すると、器用に安全ピンを操作して上着にくっつけた。
「では、あと5分ほどで始まりますのでそれまでお待ちください」
ぺこりと軽いお辞儀を見せた受付嬢は元の位置へと戻っていった。
そして彼女が出ていってからちょうど5分後。
皺1つないスーツを着た講師がホワイトボードの前へと立った。
ほどなくして始まった自己紹介によると、彼は若手のプロであるようだ。
肝心の初心者講習の内容は子供にも分かりやすいように丁寧だった。
マグネットのコマを使いながら説明し、時々子供達にも考えて貰うことで飽きないようにしている。
大人の龍雅の目から見ても、将棋に興味を持ってしまいそうだ。
「それでは試しに対局してみましょうか。これは実際の将棋盤の大きさとは異なりますが、充分将棋の楽しさが味わえると思います」
言って、講師は対局用の机の上に将棋盤のようなものを広げた。
それは通常の盤ではなく、5×5しかない小さなサイズのもの。通常が9×9であることを考えると、半分程度しかない。
「保護者の方はお子様と試してみてください。あとはそこの2人でペアで。一番学年が上の君は僕とやりましょうか」
言われるがままにゼファーと組になり、
「それでは『宜しくお願いします』の挨拶と共に始めてください」
「「「宜しくお願いします」」」
第一打。
教わった駒の動きを脳内でシミュレートしながら駒を指す。
駒数が少ないだけあって先行が有利だろう。
そう思って強気にいったものの、1分後には酷い現実が待っていた。
「これで詰み」
「あ、ありがとうございました」
「ありがとうございました」
あっという間に負けてしまった。
しかもどうして負けたのか見当もつかなかった。
「あ、終わりましたか。まだ時間がありますので何度か対局してみてください」
講師の言葉のままにそれから数度三女に挑む。
しかしながら龍雅の手には負えず、どの対局もすぐさま決着がついてしまった。
「ゼファー強いな」
「キミが弱過ぎるだけ」
「ぐっ」
悔しいが少女の言う通りである。
ここまでいとも簡単に負けてしまっては龍雅も言葉が無い。
そして敗北に打ちひしがれているところに、講師が再びホワイトボードの前に立って言った。
「はい、皆さんいかがでしたでしょうか。今日はこれで終わりですが、もしこれで将棋のことが好きになって頂けたのなら、是非ご入会なさってくださると幸いです」
いつの間にか後ろに立っていた受付嬢の拍手を皮切りに、簡素な拍手が訪れる。
勿論龍雅やゼファーも手を叩いていた。
「さて、入会してくか」
「キミは入るの?」
思わず「え?」、と間抜けな声が出る。
「いや、お前の手続きなんだが?」
「ボクは何回か打ってみるだけでいい」
「でもせっかく興味持ったのに続けないと勿体なくないか?」
「あんまり」
言って、受付嬢の元へと歩いていく。
龍雅を抜きにして数度会話を交わした彼女は、すぐに龍雅の傍へと戻ってきた。
「初めてだから席料は
「そうか。折角だし俺も打ってみようかな」
「止めとけば? センスが無い」
「さらっと酷いこと言うな」
「事実」
(そりゃあゼファーみたいな勝負センス持ってないけどさぁ)
「じゃ、まあいいや。1時間ほど下のフロアぶらぶらして戻ってくるよ」
「うん」
ゼファーと認識を合わせてから、受付嬢への元へと行く。
「すみません。俺は外に出るので申し訳ありませんが、あの子のこと気に掛けて頂いても宜しいでしょうか」
「はい、構いませんよ。行ってらっしゃいませ」
「ありがとうございます」
お礼の言葉を残し、教室から出ていこうとした時である。
「こりゃあ今度の将棋大会は俺の優勝で決定かな?」
ドアに手を掛けたところで、見覚えのある子供が騒いでいるのが目に入った。
(あれは確か。同じ町内の子かな?)
気になりつつも、それ以上は特に何も思わず出ていく龍雅。
最早彼の心配事は今日の夜ご飯の献立へと変わっていた。
それから何だかんだ暇を潰してきっかり1時間後。
将棋教室の前には緑髪の少女が立っていた。
「どうだった? もういいの?」
「うん。大丈夫」
ガラス越しに映る受付嬢に軽く会釈してその場を立ち去ろうとする。
ゼファーの手にはパンフレット。どうやらしっかりと勧誘は受けているらしい。
「それで楽しかったか?」
「うん。そこそこ」
「ちなみに勝った?」
「ボコボコ」
(そりゃ初めだもんな。今日はゼファーの好きなもの作ってやるか)
ゼファーの喋りを悪い方に解釈した龍雅はぽんと彼女の頭に手を乗せた。
そして、龍雅は気付かなかった。
ガラス越しにこちらを睨む子供の視線に。
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