第13話・決断
家が燃えている間、まったくもって現実感がなかった。
地に足が着いていないふわふわとした感覚。それどころか、まるで地面が沼になってしまったかのように沈んでいく幻覚はひたすら気持ち悪かった。
近所の人が呼んでくれた消防による消火活動は深夜まで続いた。
普段ならもうおねんねしているはずの子供達も、この時ばかりはただただ家と言う名の廃墟を見ていた。
フレアは泣きじゃくっていた。
故意でないとはいえ、自分がしでかしてしまった事の大きさに押し潰されそうになっていた。
ストゥーリアは睨み付けるように燃え盛る家を見ていた。
きっと怒りを今の姉妹にぶつけるわけにはいかず、やりきれない気持ちを炎にぶつけているのだろう。
ゼファーは呆然としていた。
自分の失敗が住宅火災を招いてしまったことを受け止めきれていないようだった。
三者三様。
だが、全員がマイナス感情を抱いている。
壊れかけている子供達を前にして、龍雅は何も出来なかった。
違う。
何もしようとしなかった。
崩壊していく思い出を前に、自分を保つことで精一杯だったから。
『可哀想に』
『あの子、母親も亡くしたばっかりでしょ』
野次馬どもの同情が耳に入り、吐きたくなるほどの頭痛がした。
近所である自分の家に居たくないのは分かる。
だが、今言わなくてもいいじゃないか。
何故傷付いている人の前で感想を述べる。
そんなことは次の日の
(ああ、本当にこの世の中は……)
クソだ。
「龍雅」
この世に呪詛を吐いていると、ふと声がした。
「なんて顔をしてるのです」
上から目線の口調。
顔を見なくとも分かる。
ストゥーリアである。
そう思った。心から。
「お前はそんな弱い人間じゃないでしょう」
違った。
話し掛けてきたのは、死んだはずの母だった。
そんなわけ無いと思いながらも前を向く。
しかしながら、何処からどう見ても他界する前の母親がそこに居た。
不意に右目から涙が溢れた。
「そんな弱い子に育てた覚えはないですよ」
(俺は強くなんてない!)
言葉が出ない。
何度か喉を抑えて調子を確かめてみたが、言の葉が紡がれることはなかった。
「そんなことありません。龍雅は強くて優しく、そして器用な子だもの。こんな苦難ぐらい簡単に乗り越えられる」
心の声は伝わるのか会話は成立した。
口調、仕草、表情。全てが龍雅の知る母である。
(俺には無理だよ。今にも心が壊れそうだもの)
「そう」
母が近寄ってくる。
(っ!?)
そして、龍雅の両頬を右手の親指と中指で挟むなり睨み付けてきた。
「無理なんて台詞はやってから言いなさい!」
久し振りに味わう母の
同時に、ぼかしのようなフィルターが掛かっていた世界がやたらと鮮明に映った。
「前を向きなさい、龍雅。人生なんて後ろを向いていても百害あって一利なしよ」
(母さん──!)
母は後ろに一歩下がると、名残惜しそうな表情を浮かべてから、再び口を開いた。
「もう時間みたいですね。さようなら龍雅」
(母さん! ちょっと待って母さん!)
「次自殺なんてしたら絶対許さないからね!」
(母さん!)
別れの言葉を残す母に対して咄嗟に手を伸ばしたものの、彼女は元々無かったかのように消えていった。
そして、先程までまるで聞こえなかったというのに、今度は多種多様な音が耳に飛び込んできた。
いや、あるべき状態に戻ったともいう。
奇跡。
そんな言葉が脳をよぎる。
そんなわけがない。
これはきっとセレスが巻き起こした現象だろう。
彼女が自分の子供達のために今の魔法とも呼べる時間を引き起こしたというのなら、
龍雅の取るべき行動は1つだった。
「わっ!?」「ふわ!?」「むむ!?」
前に回り込み、子供達をまとめて腕で包む。
彼女達は驚きこそしたものの、抵抗などせずに龍雅に抱き締められた。
「次の
「──っ!?」
炎の光に照らされた赤髪の少女が一瞬動きを止める。
目を真っ赤にした姿は非常に痛々しかった。
「怒ってないの……? アタシのせいでこうなったのに」
「怒んないよ。くしゃみがあんなことになるなんて誰も予想つかなかったんだから」
「でも、でも──!」
「良いんだって。フレアのせいじゃない」
「!? うわああぁ!」
フレアが流す涙の勢いが増す。
龍雅の右腕に顔を押し付け、ダムが決壊したかのように全力で泣き叫んでいた。
続いてゼファーの方に視線を移す。
「ゼファーも悪くないからな」
「なん、で? ボクの、は完全に、判断ミス」
ゼファーの声は震えていた。
普段わが道を突き進んでいる彼女が責任を感じているのだ。
「それを言うなら、俺が最初に動くべきだったんだ。止めれなかった俺が一番悪い」
「そんな、こと」
「なくないよ。真っ先に動いたゼファーは俺なんかよりよっぽど凄い。ただ、ちょっと対応を間違えただけで、何にも悪くない」
「……」
ゼファーが口を閉ざす。
涙こそ流していないが、感傷に浸っているようだった。
最後は次女の方へ。
彼女の手には龍雅が彼女に買い与えた本が握られていた。
「持ってきてたのか」
「当然です。傍に置いておいて良かったのです」
「そっか。図書館の本は……駄目そうだな」
まだまだ鎮火しそうに無い我が家を見ながら言う。
「人間」
「何だ?」
「……何でもないのです」
何か言いたげな表情を残し、次女もまた口を閉ざした。
それから消火活動が終わるまで、龍雅は子供達のすぐ傍に居た。
火が消えたのは、実に深夜4時のことだった。
★
消火活動が終わり、警察への事情聴取を終えた龍雅はビジネスホテルの一室に居た。
夜更かしをすることとなった子供達は、ベッドの上ですっかり寝息を立てている。
初めての大事故でよっぽど疲れたのだろう。
龍雅はそんな彼女の寝顔を見ながら、スマホでとある人物に電話を掛けた。
コール音が鳴る。
4回目の途中に電話を取る音がした。
『もしもし、なんか用か?』
「お前T大に行くって言ってただろ。家探しした時の賃貸情報ってまだ持ってるか?」
『どうしたんだいきなり。引っ越しでもするのか?』
質問されて改めて息を飲む。
もう過去を振り返ることは止める。
これは最初の1歩。
龍雅は高鳴る鼓動を必死に耐えながら回答を作り出した。
「実は──」
何でもないただの平日の昼下がり。
龍雅にとっては重要な1日となった。
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